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言の葉ノ架け橋【第3話】

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羽根木くんの場合(後編)


「ごめんなさい。ちょっと、お父さんのおっしゃってることが」
首を傾げている私を無視して、お父さんはきっちり頭を下げてきた。
 
「蒼空にもチャンスをください」
「いやいやいやいや。まってまって、待ってください。ちょっと顔をあげてください」
 
チャンスって。食べて、なかったことにって、本気ですか。
 
気持ちは分かる。
あの日の対応を間違えたんじゃないか。あの日がなければ、もっと違う毎日を送れるのではないかと。そう思いたい気持ちはわかる。でも。
 
お父さんは頭を下げたまま動かない。
フガフガ言っているウメ子の横で、丸い目をクリクリさせて考え込んでいたようなヨウちゃんが、そっと飛んできて私の頭上にピョコンと止まった。
ちょっ、イタ。
 
「チャンスください?」
 
頭上から落ち着いた女性の声が降ってきた。どこかで聞いた声。誰かに似ている。うーん、と。
 
あ、自分の声?
上を向くとヨウちゃんはサッと飛び立ち、背後の本棚に止まる。
今のセリフ、ヨウちゃんが言ったの?
 
お父さんはそっと顔をあげて、私に向かって返事をする。
「瓜生君は、たったひとつの失敗から突然学校に行けなくなってしまった。だけど、チャンスをあげたら行けるようになったんですよね。蒼空も、あの日の記憶がなくなれば、我々の言うことも聞いて、ちゃんと学校に行くのでは、と」
 
いえ、お父さん。
今、言葉を発したのは私ではありません。ヨウムのヨウちゃんなんですけど。
お母さんも気づいていないみたいで、「ブヒブヒ」喋っているウメ子のそばで目を伏せたままだ。
 
お父さんがうつむくと、ヨウちゃんが私の背後からまた声を足す。
 
「ちゃんと?」
 
いやいやいや。ヨウちゃん。
絶妙な単語を繰り返すのやめて。いい感じに会話が成立しちゃってるみたいだから。
私は本棚のヨウちゃんと、ご両親の顔を交互に見る。
 
お母さんが顔をあげ、私に向き直って言った。
「それでも蒼空は変わらないと思いますか。でも、うちの事務所に今年入ったパートの息子さんが、ちょうど東中の子だったんです。友達になってくれそうで。そうしたら楽しく学校に行けると思うんです。成績なんか人並みでいいんです。瓜生君のようにできる子じゃないのは分かってますから。普通の高校に行ければ、またやり直せると」
 
「いや、あの、ええ。まぁ……」
人並みとか普通とかの基準も、蒼空くんのそれときっと違うし。そもそも主従関係にある家の子を友達にするって発想がちょっとどうかなと思うのですが。
 
「お願いします。ウメ子先生に、呪文か何か分かりませんが、かけてください」
「いや、あの、ですから」
戸惑っているとお父さんは「お願いします」と再びガッツリ頭を下げる。
「それじゃ、だめですか」
 
「それじゃぁ、だめですねぇー」
 
本棚の上からのヨウちゃんの容赦ない返答に、誰よりも私が一番驚く。
軽薄! 軽薄すぎる!
 
顔をあげたお母さんが、泣きそうな顔で私を見つめる。
私が「だめですねぇー」とノリノリで言ったと思っていますよね。怒ってますか? 怒ってますよね。
私じゃありません。ヨウムのヨウちゃんですと言っていい雰囲気だろうか。「なーんだ」って笑ってくれるだろうか。

「いや、あの、えっとですね」 
冷や汗を流しながら本棚をそっと振り返ると、ヨウちゃんがバサバサと音を立て、窓から出てクスノキの上のほうへ飛んで行った。
「えっ」
 
ヨウちゃん、言い捨てですか。
私はゆっくり、視線だけお父さんに移す。目の前のお父さん、怒っているように見えるんですけど。この後どんな話をすればいいのでしょうか。
 
「だめってどういうことですか」
 
お父さんは、完全に怒ってらっしゃる。
まずい。共感、共感、で宥めてやり過ごして、あとは藤原先生に相談しようと思っていたのに。
 
フゴフゴフガガゴゴゴ とウメが何か言っている。
 
「いや、ダメっていうか。えっと……」
「教えてください。どうして諒太君は良くて、ソラはダメなんですか」
お母さんは、懇願するような瞳に見えた。
 
「いや、諒太君は、って言われても」
なんのはなしですか。
首を傾げると電話を受けた時に感じた頭痛がぶり返してきた。こめかみを強くおさえる。

困ったな。頭が痛い。ああ、何だか考えるの面倒くさい。

フゴフガガゴゴゴ
 
「頭の良い瓜生君と違って、蒼空ではダメなんですね」
お父さんが追い打ちをかけるように言う。そうじゃない。困ったな。ダメなのは蒼空くんじゃなくて。

フゴフゴフガガゴゴ
 
「蒼空くんにとっては、」
顔をあげたら思ったより大きな声になってしまった。ええい。言ってしまえ。
「その日が何かのきっかけだったのかもしれません。でも、その日だけじゃない……かもしれない、かな……と」
お父さんの鋭く光る眼光に、最後は歯切れが悪くなってしまった。
 
膝の上でボールペンをぎゅっと握りしめた。お父さんが眉間に皺を寄せる。
「蒼空がずっと虐められていたとか」
「いえいえいえ、そうではなく……」
「私たちが何か辛い思いをさせていたんでしょうか」
「いえいえいえ、そういう訳でも……」
 
そういう訳ではないけれど、そういう訳かもしれない、けど……分かんないよ、そんなの。
 
「あの、ただ、不登校っていうのは、えっと。ほんの少しずつ、コップに水がたまるように何かがたまっていくんです。最後の一滴でコップの水が溢れてしまった。あの日がそうだったのかもしれません。その一滴だけを取り除いても」
 
あれ?
コップの水の話は、アレルギーの時に使う例だっけ。間違えたか。
 
「あ、逆です。コップの水が空っぽになってしまったかもしれません。色々なきっかけで水が減ってしまって。自信を失ってしまった状態なんです。だから自信の水を少しずつ増やしてあげれば、減らすより、増やす方が何倍も時間がかかるもので……」
 
「どっちなんですか」
お父さんがイライラしたように言う。
「あっ。すみません」
私はぎゅっと唇を噛んでから、さらに言葉を出してみた。
 
「第一、蒼空くんは、なかったことにしたいなんて思っているんでしょうか」
お父さんは眉間に皺を寄せ、無言で私を見る。
 
「蒼空くんがおっとりしていて先回りしてしまったって、後悔なさってるんですよね。それなのに。それでもまだお子さんを自分の想い通りに動かそうとなさっている。友達のこととか」
お母さんは、はっと息を飲んで私を見た。
 
「えーっと……」
窓から大きな風が吹き、玄関前の掲示板に貼り出されていた用紙がバタバタと音を立ててはためいたのが視線の片隅に入った。
ウメ子が、ブガブガブガッ と大きく鼻を鳴らして玄関を見る。
 
「あ、分かった。分かりましたっ」
私は思わず大声を出して掲示板に走った。先週、調理実習に行った時の蒼空くんの書いたレポートだ。
はためいていた用紙の画鋲を抜いて、ご両親に持ってきて見せた。
 
「蒼空くんは、『かけはし』では設備が整ってなくて調理実習ができないことをとても残念がっていました。先日、東中に行った日の午後、ここでレポートを仕上げたんです。図書室でレシピを考え直してたり、栄養素を調べていたり。一生懸命に。これです」
お父さんが怪訝そうな顔で受け取る。
「学校から出された宿題だと思ってたんですけど、そうではないらしくて。ただ、家に持って帰るのを嫌がっていて。あまりに上手に書けているので掲示板に貼っていたんです」
 
お母さんは真剣にレポートを見て感心しているように見えた。
 
「蒼空くんが楽しんでいたというのは、学校の先生から聞いていますよね」
お母さんが申し訳なさそうにレポートから顔を離して言う。
「あの日、蒼空は帰って来てから部屋にこもりっぱなしで。てっきりまた嫌なことが起きたんだと思って。担任の先生からお電話いただいて、喜んで生ごみの処理までしていたというので。その……。ゴミは誰かに押し付けられたんだと思って」
「逆じゃないですか。それすらとても楽しかった。もしかして、友達がいなくても。蒼空くんは料理に興味があるのかもしれません。でもお父さんの事務所のこともあるから言いにくかった、とか」
 
そこまで聞いたお父さんが、不機嫌な顔で話しだす。
「蒼空が調理師とか料理人になりたいということですか」
「うーん……」
「そういえば喧嘩になった土曜日、蒼空は勉強するから西村のハンバーガーを買いたいって言ってたんですが」
お父さんは少し考えこんでいる。お母さんが目を見開いて言った。
「もしかして、料理の味の勉強がしたいって意味だったのかしら」
すると、お父さんが半笑いでそれに答えた。
「どう考えても勉強するための腹ごしらえだって思うだろ。あの子の言葉は足りな過ぎて意味が分からない。いつもだ。アウトプットが下手すぎるんだ。中学生にもなって」
 
喧嘩になったのは、子供のせい。理解しなかった自分が悪いわけではないと言いたいのだろうか。ぐっと堪えて笑顔を作り、私は続けた。
 
「能動的に学びたいって思ったなら、すごい前進じゃないですか。ちょっとおっとりで、ゆっくりで、会話のアウトプットが苦手なのだと思います。でも、言葉を文章にしたら、こんなに立派に理論立ててアウトプットができるんです」
 
お父さんはレポートをポンと机にほおり出して言った。
「料理ね。だったらそういった学校を探してもいい。何の資格が必要だか調べよう。大学時代の友人がフレンチの店を――」
「あ、あの、お父さん」
私は慌ててお父さんの妄想を止める。どうして急にトップスピードで走らせようとするのだろう。
「そんなに焦って将来を決めなくても。料理に対してどこまで本気なのかもわかりませんし」

「なんですか、先生」
お父さんは思い切り息を吸って言った。

「そんな無責任に言ったんですか。悠長なことは言ってられません。受験生ですよ。普通高校でいいかとか、どんな特色がある高校なのかとか、部活動も。蒼空に合っているところを探さなきゃならないでしょう。夢や目標を定めて目指せと、学校の先生方もいつもそう言うじゃないですか」
「ああ。はい、あの」
 
ウメ子が「フゴフゴゴッ」と大きく鼻を鳴らす。私に「言いたいことは全部言え」とエールを送るように。
 
「でも、あの。蒼空くんはずっと追い立てられているような気分だったのかもしれません。それでいっぱいいっぱいになってしまったのかも。期待されてダメだったらどうしようとか。そもそも、今すぐ目標を定めないと遅いとか、蒼空くんを焦らせたくないです」
 
お父さんは怪訝そうな顔を向けるが気にせず続ける。
「本人が、何かをしたいと思うようになったら、そのために必要な行動や勉強を自分で進んでするようになります。その時でいいじゃないですか。これからの長い道のりで、次から次へと夢は変わっていきます。まだ狭い世界しか知らないのですから。今、料理人のレールを敷いて準備しなくても。いつから進み始めたって遅いってことはないんです。だから、今から、何にでもなれるように、そのために」
 
私は、お父さんだけではく、お母さんの目もしっかり見つめてから話す。
「ご両親が今の彼をしっかり支えてあげられたら、彼は今後、何に対しても勇気を出して進むことができると思うんです」
 
「私たちだって支えたいと思っています。そのための道を示してあげたい」
お母さんが小さな声で抵抗する。
「転ばない道を示すのではなくて、どの道に、いつ進んでも大丈夫だって思えるように、支えて欲しいんです。過去をなくしてお膳立てしてもらった蒼空くんじゃなくて。かけはしにも来れなくなっている今の蒼空くん自身を認めて、そっと、全力で、ゆっくりと支えて……支え、られると……いいな、と」
 
一気に言いたいことを言って、急に自信がなくなってしまった。私の言葉、通じているだろうか。
 
「ここにも来られない蒼空を認めて……。そっと、全力で、ゆっくり、ですか」
お母さんは、分かったような分かってないような顔をした。
 
「あの子は建築士になりたいって言っていた。私はそれが自慢だった」
お父さんが、急に弱弱しい声を出した。
 
でもそれは、お父さんの夢だ。
その気持ちが、素直な彼をずっと追い詰めていたかもしれない。
「料理人だって、もちろん構わない。だが、できるなら一流の道に進んで欲しいと思うのは俺の我儘なのか」
お父さんは力なく言った。
 
お父さんだって、当然、蒼空くんを大事に思っている。
そして今、蒼空くんのことを尊重しようと葛藤している。
だから、まだ。羽根木家は大丈夫だ。
 
違う道もあると。たくさんの道があると。
自分で見つけられるかもしれないと気付いた蒼空くんの、きっかけとなった日を、消すことなんてできない。
 
「蒼空くんは、自分が進める道の中から、必死で未来を探しています。探す力をつけるまでに成長したんです。辛かった日を、なかったことにする必要なんて、ないと思います」
 

 
納得してくれたのかどうか分からないけれど、蒼空くんの書いたレポート三枚を大事そうに抱えてご両親は『かけはし』を後にした。
 
「お前、瓜生さんに揶揄われたんじゃないのか」とお父さんが呟く声が聞こえた。
そういえば、瓜生諒太くんの話はなんだったんだろう。
 
ご両親の乗る車を見送り、大きなため息をついて職員室に戻ると、いつもは帰っている時間の遠山がまだ座って待っていた。
「終わりましたね」
「聞こえた?」
「門馬先生、いつもより声が大きかったんで」
だよね。
「『ニシムラぱん』はハンバーガーが絶品ですよ」
「へぇ。遠山先生はよく買うんですか? 私も今度買ってみようかな」
「毎週金曜、そこに来ますよ」
 
遠山はそう言って、職員室の窓から橋の方を指さした。
小さな銀色のミニバン。「ニシムラぱん」の旗が揺れている。
 
試しに買って帰ろうかなと思ってよく目を凝らして見ると、太った男の子が欄干に手をかけてこちらを見渡している。
「あっ」
 
私は藤原先生のデスクにあったはずのA4用紙の写真を探した。
「あの子、もしかして。どこだ。あった。これ、見てください」
遠山と二人で写真を覗き込む。
 
写真の端っこに写る蒼空くん。遠慮するように少し離れているけれど、隣の子が自分のほうに引き寄せようと袖をつかんでいる。
「この子、西村くんじゃないかしら」
「ですね」
「毎週金曜、親と一緒に来てたのかな」
「ですねぇ」
「蒼空くんがいるって知ってますよね」
「うーん。ですかね」
「そっか。西村君も、ずっと蒼空くんのことを気にかけてくれていたのかもしれない」
「いや、それは分かりませんけど」
 
そこは「ですね」って言っておけよ、遠山。
せっかく胸アツな事実を発見したと思ったのに、急に冷めてしまった。
 
「じゃ、僕も帰ります。お先に」
遠山先生は最初から胸アツではなかったらしく、荷物を持ってさっさと職員室を後にした。
お疲れ様でしたと言う間もなく。
 
窓の外で、鳥の羽ばたく音がした。
「オイシイヨォ。ハンバーァァァァグッ」
ヨウちゃんだ。
「ソラッ、ソラッ、マァタキィテネー」
誰かの声色で、クスノキから橋の向こうへ、オレンジ色に染まった雲間へ吸い込まれるように飛んでゆくのが見えた。
 
「そらっ」が掛け声だったのか、蒼空くんのことだか分からないけれど。
ヨウちゃん、今日はお疲れ様でした。

共感して、寄り添うふりをするだけでは何にもならないと分かっていながら、でも、自分の吐き出す言葉に責任をとれない気がして。怖かった。
ヨウちゃんが勇気をくれたおかげで言いたいことを少し言えた気がする。
 
「ばいばい。ありがと」
空に消えたヨウチャンに小さく返事をして、私は職員室の窓を閉めた。
 

 
しばらくして蒼空くんは『かけはし』に来るようになった。
でもまだ学校には戻れそうにない。
かなり勉強が遅れているので、学校に行って授業を受けるにはかなりの勇気がいるのだろう。
 
五教科以外の授業だけ受けに行ってもいいんだよ、とも言ってある。
別に、学校に戻らなきゃいけないわけでもないからね、とも。
 
社会に出たいと思えるほどの気持ちで心が満たされてきたら、自分で絶対に歩き出す。その時まで私たちが、彼と社会との繋がりをもてる架け橋になれたら、と思う。
 
 
 
その日の夕方、東小学校から電話があった。
六年生の子がここに通うかもしれない。一度お母さんと見学に来ると。遠山が名前と時間を聞いて電話を切った。
 
東小学校 6年2組 瓜生翔太
 
「あれ?」
藤原先生と私が顔を見合わせる。
「藤原先生、瓜生くんって」
「諒太君の弟かな。一度、ここに来たことあるわよね」
「弟くんが?」
「ほら、三月に諒太君のお母さんが、第一高校に合格しましたって。嬉しそうに報告に来たわよね。そのとき二人を連れてたわよ。随分御礼を言われたじゃないの」
「ああ、あの時」
「なんかちょっと、嫌な予感がしたのよね」
藤原先生が小声で言う。
「お兄ちゃんが優秀でしょう。ベタベタに褒めて、弟くんはちょっと複雑そうだったかなって。お母さんが結構厳しい感じの人よね。弟くんはお兄ちゃんとあからさまに比べられてたし。心配してたのよね」
 
そう言えば、弟くんは全然笑っていなかった。濁った瞳をしていた気がする。そして、お母さんが菓子折りを持って、私にこっそり言ったのだった。
「万が一のときは、またお願いします」と。
 
弟の翔太君は、あの時すでに学校を休んでいたんだろうか。
でも「万が一」という言い方なら、そういう意味ではない気がする。
 
「うーん」と言いながら、こめかみをグリグリおさえた。
「門馬先生、どうしたんですか?」
「頭痛が痛い」
「なんですか、それ」
遠山が笑う。
 
いつも通りの朝だ。
と、思っていた。
 
 
そう。高草木たかくさき美羽みうさんが、変な事を言い出すまでは。


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