あとがきに変えて①ガムをペッってするように

創作大賞2024にミステリー小説部門で応募した「残夢」という小説のあとがきのようなものです。

拙作を読んでいただいた方も、まだ読まれていない方も、読むつもりない方も、こちらの記事を開いていただいてありがとうございます。小説を読んでいなくても問題ありません。

コッシーさんの感想記事 にも書いてくださってますが、「残夢」は「小牧幸助文学賞」の「20文字小説」から始まりました。
そのあたりの説明から「あとがき」を書くつもりでしたが、感想記事に書いてくださっているので、あまり「あとがき」の必要性を感じなくなり、というか面倒になり 笑 
省略することにしました。私が書くより100倍素晴らしい解説を書いてくださった方もいるので、「残夢」本編を読んだ方は、ぜひ吉穂みらいさんの記事をお読みください。

さて。
昨晩、もしかしたら思わせぶりなつぶやきをしました。

note仲間さんの意図は、全然違うものかもしれません。
けれど、もともと「あとがき」に書こうと思っていたことがあります。それを書き留めておきたい、というか、吐き出しておきたくなりました。

ペッ。

「最終回の藤岡華乃の発言」を書いた私の根底には、ある過去の出来事が影響していると思います。

はそやmさんが書いてくださった感想に「この物語にはいくつもの真実が詰まっているように私は感じました。」とありました。

これから書くことは、真実などという格好いいものではなく、単なる事実です。もったいつける程の、たいした話ではありません。念のため。


18歳だったと思います。
高校は卒業していました。当時、お付き合いしている彼氏がいました。
(この時点で豆島を男だと思っている人がいらしたらすみません。私は女です)
公園でデートしていました。私は自転車でした。
トイレに行きたくなりました。自転車を彼氏に預けて公園のトイレに行きました。
非常に大きな公園です。代々木公園よりは小さいです。曜日は記憶にありません。あまり人は多くなかった気がします。
いわゆる普通の大型公園の男女別トイレです。さほど清潔ではないけれど紙はある、くらいの。
個室の扉を閉め、生理中だったため鞄の中の生理用品をガサゴソ探していました。
その際中、私の入っていた個室のドアが ガタン! と激しく音を立て、走り去る足音がしました。
なんだろう? と思いながらも、その後、用を足しました。
個室を出ると、彼氏がいません。私の自転車が無残にも倒されています。
どういうことや! と腹が立ったか、哀しくなったか、心配したか、だと思います。携帯電話などない時代です。
随分待ったように思います。やっと彼氏が戻ってきたので事情を聞くと、あまり話したがりません。でも問い詰めると教えてくれました。
「トイレの個室を覗いていたものがいたので追いかけた」
詳細は覚えていません。捕まえて何か言ってやった的な感じだったと思います。
彼は、私を不安にさせないために、私には何があったか教えたくなかったようです。彼がドアから引きはがしたのか、たまたま目が合って逃げたのかとか、その時の会話はよく覚えていません。
ただ、彼が優しかったことだけ覚えています。

(私のミステリーだったら、ここで実は彼氏が……! という展開になりそうですが、別にそんな話ではありません。彼氏はいい人でしたが、翌年あたりに普通に別れました)

若い頃、「痴漢に遭った」という話です。
でも「未遂」です。
生理中だったのが幸いしました。頭頂部しか見られてません。たぶん。

痴漢に遭ったことのある女性は多いと思います。触られた、覗かれた、盗撮されたなど内容の違いや、被害の程度の違いはあれど。


それ以降の話。
現在の私の話です。

公衆トイレは利用します。
公園では(子供とよく行ったころは別として)あまり利用しませんが、店舗内などは利用します。
おそらく「人生での公衆トイレの利用回数」で言ったら「平均」だと思います。年を取ったら増えています 笑

ただし、ずっと上の空間を見張っています。
「ドアの上」と「両隣の上」の空間です。

個室が並んでいると、必ず、隣の個室の状況を確認します。掃除用具入れでも、誰か隠れていないか必ず確認します。誰かが使用していてドアが閉まっているときは、本当に利用している人か耳をすませます。逆に気持ち悪くてすみません。こっちだって聞きたくありません。ガサゴソ音だけで充分です。静かすぎる場合は、疑いながら、覚悟して自分の個室に入り、上を見張ります。

明らかに誰もいなくても、ずっと上の空間を見張っています。
ずっと気が張っています。

そのため、私はトイレの個室利用時間は超短いです。回数は平均でも時間はたぶん半分以下です。笑

現代で言えば、覗かれることよりも、盗撮カメラの方が遭遇する確率が高いかもしれません。そこを必死に探すほどのトラウマはありません。

ただただ、上を見張らずには用が足せないのです。
いまだに、です。
未遂だったにもかかわらず、です。
数十年、何度公衆トイレを利用したか分かりません。

ごくまれに天井までギッチリ隙間ないトイレがあります。珍しいです。ありがたいです。
今は、洋式トイレが普通なので助かります。和式だと体勢的に辛いです。

その自分の行為に、特に感情はありません。大きなくくりで言えば「恐怖」なのでしょうが、その自覚はあまりありません。

公衆トイレに一歩足を踏み入れたときから、
ただただ「緊張している」というだけです。

これはきっと、死ぬまで続きます。

ここで、男女うんぬん言うと語弊があるでしょう。
別に女だけがどうこうと言うつもりはありません。
ただ、同じように、どこかの場所で緊張している時間を過ごしている女性は多い気がしてなりません。
夜道とか、一人暮らしの部屋に帰った時とか、そのドアを開ける瞬間の背後とか、エレベーターとか、電車でも、階段でも、店でも、町でも。
そのどこかで。

「だから何だ」という結論はありません。
議論はしたくありません。
ただ、大したことないような大昔の出来事が、まだ私を緊張させる。
そういう事実がある。
それが、小説のラストの発言に繋がったかもしれません、という説明です。

今回の話は、もともと あとがきで書きたいと思っていた内容です。

ガムを包み紙にペッて吐き出すくらいの軽い気持ちで書きたいけれど、なかなかうまくいきませんね。

ペッ

※ たまたま見つけた記事ですが貼っておきます。2022年の記事です。


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