改訂さいとうたかをさん。ありがとう。
広島市の駅そば、商売屋が私の実家だった。
幼児である私は、店には邪魔で居場所が無かった。
私は、近所の古い映画館で、知らない大人の後に続けば映画がタダで見られることを発見する。
毎日の事だし、違う大人の後に続く同じ顔の幼児。
気付かれない筈はない。
今思えば、切符切りのお姉さんのご厚意だった。
毎日、館内放送までしてくれた。
「愛宕町の、つだゆうじさま、お母様が入り口でお待ちです」
広島版『ニュー・シネマ・パラダイス』の如き話だ。
そして、その他の居場所としては、町内のおばちゃんがやっている小さな貸本屋だった。
その貸本屋で見つけたさいとうたかを作品『台風五郎』に魅せられる。
日活映画の様な、ガンアクションのある探偵ものだった。
人気があったから古くなっても需要があり長く置かれていたのだろう。
超人気作家だったから、さいとうたかを作品は沢山あった。
時代劇など、他を寄せ付けぬ画力や、会話のセンスに夢中になる。
間違いなく私が絵を描くきっかけは、さいとうさんだった。
模写とかよくしていた。
そんなだから、中学高校と、流石に絵も上手くなる。
私は親に頼み込んで武蔵野美大に入り、国分寺近辺のアパートに住む。
誰だったか、古い劇画家の自叙伝で、作中の台風五郎の舞台「K市」は「国分寺市」、さいとう氏の仕事場所だと知る。
だとしたら、台風五郎の恋人リコの勤める喫茶店「田園」が在るかもと国分寺駅の周辺の裏通りを探した。
ホントに在った。
という事は恋人リコのモデルになった人も、いたのかも知れない。
あとあと知るのだが、やはり田園にはさいとうさんが見そめたウェイトレスがいたらしい。
名前も“リコ“だったのだろうか。
でもその娘は、当時アシスタントをしていた永島慎二(ダンさん)の彼女になる。
漫画家残酷物語。
更に時代は過ぎる。
私はCM監督になる。
30歳くらいだったか『ゴルゴ13』シューティングゲームのCMを作った。
身体つきがゴルゴに似ている、というより映画でゴルゴを演じた高倉健に似ている役者をオーディションする。
夜間撮影で、スコープ付きアーマライトM16でキャデラックを狙撃するシーンを撮る。
許可を取り、海辺でキャデラックを大炎上させ、紅炎の前に立つゴルゴのシルエットを映画的に撮る。
本当に楽しかった。
燃えたキャデラックの後始末は大変だったが。
すると代理店からゲームイベント用に、さいとう氏のインタビューも撮影してくれという追加依頼。
新宿アルタの街頭テレビで流すイベント用の映像。
そして広告代理店の担当から、ゴルゴに詳しいインタビュアーとして、誰が最適かを相談される。
考え「たぶん、私でしょう」と言うと、驚く担当者。
「私は、昔に趣味で漫画描いてて、さいとうさんは私にとって黒澤明みたいな方です」と打ち明ける。更に驚く代理店。
撮影の日。スタジオに、さいとうさんが来る。
背景を黒バックにして、ライトも片側からを強くし、彼が浮かび上がる様な照明効果にする。
さいとうさんと初対面の私は、ゴルゴ話の前に、貸本時代からのファンだったと告げる。
貸本時代のさいとうプロのスタッフ、石川フミヤス、武本サブロー氏などを次々と挙げる。
彼が20歳の頃の代表作『台風五郎』24巻のタイトル名『鉄と鉛と』『悲しき探偵屋』『嵐にストレート』『吠えろ8』など列挙し、どれだけ夢中だったかを語る。
『無用ノ介』より、ずっと以前の時代劇『なけなけ嵐丸』まで話が及ぶと、さいとうさん目を丸くして「監督。その時、お幾つでした?」と驚かれる。
インタビューが始まる。
私は「眠狂四郎とゴルゴのニヒリズムの共通性は?」と口火を切る。
ミスをした。
今思うと、設問を間違えた。
さいとうさんは、すぐに狂四郎との共通性を強く否定され、訥々とその違いを語り始める。
ゴルゴへの思いを語られる。
そればかりか、何故か、涙を流される。
何かがスィッチを押したのか、さいとうさん、20代に厭世自殺を考えた事などを語り始める。
照明効果で涙が光る。
当然、カメラマンは眼の涙にズームする。
私はモニターを見ながら『いやいや。イベントに、この話は使えないだろ』と懸命に軌道修正する。
『早くゴルゴの話に戻さないと…』と思いながら感じたこと。
『私の前振り「台風五郎」の想い出がスイッチだった』と。
おそらく20歳の青春時代を懐古されたのだと思う。
国分寺の喫茶店「田園」が実在した事。
そしておそらく、実在された女性「台風五郎の恋人リコ」の事。
涙の理由は判らない
分かったのは、さいとうさんは、ゴルゴほどクールじゃない事。
さいとうさん、本当にありがとう。
あなたの訃報で、思い出した数々の青春。
何故かこの頃、私は青春の懐古ばかりしている。
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