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読書の時間「壁守〜『明日の神話』1967-2023岡本太郎」by平野暁臣


昼間に近くの温泉へ行って、その後、石川県立図書館へ。
お天気が悪かったので徒歩で向かった。

今日の読書。
「壁守  〜 『明日の神話』1967-2023岡本太郎」
これは、岡本太郎氏が残した壁画「明日の神話」にまつわる制作秘話・岡本太郎氏の言葉、岡本敏子さんの言葉、行方不明後に発見、日本への帰還、修復(吉村絵美留氏の言葉)、そして展示、渋谷駅での展示、そして再びの修復についてまとめられた本。

「明日の神話」の壁画修復に対して、クラウドファンディングが行われ、私も参加したので、その返礼として受け取った本です。

「明日の神話」の最初の公開時、2006年7月からの汐留の日本テレビ「ゼロスタ広場」での展示を私も見に行きました。かなりの至近距離での鑑賞ができたし、しかも裏側も見ることができた・・・あんな至近距離から見上げるように観賞したっていう経験も、あの時ならでは!だったと思います。今でも記憶が鮮やかだったのが、裏側のたくさんの亀裂・・・細かい破片ひとつひとつをつなぎ合わせての修復だったのだということが実感できるものでした。
 渋谷駅のコンコースに移った後は、実はあまりあそこを通る機会がなかったのもあって、さらに割と上の方に展示されていて、人からの距離が結構開いてしまってるなぁっていう印象がありました。

あの「太陽の塔」とほぼ同時期に、遠く離れたメキシコでの制作が始められていた「明日の神話」・・・岡本太郎氏は最初の木炭で描いたドローイング下絵からほとんど一気に現在の姿を構築していたといいます。そして、スケールアップしていく中で、当時は今使われているようなプロジェクタで投影してってことができないので、段階的にサイズアップしていき、色もついた「下絵」が何種類か存在しています。
美術館サイズから、はるかに大きなサイズまで・・・中央部の燃え上がる骸骨の部分は、盛り上がるような素材のレリーフになっていたことも、ああ、そうだったなぁと思い出します。

絵画修復氏の吉村絵美留氏の「修復の際に使った絵の具は、実際に岡本太郎氏が使った絵の具とは全く違う素材で、溶けあわないようにしてあります。後年、もっと技術が進んだ時、オリジナルは残して、私の修復した部分は落とせるようにしてあります」とあって、それがとても印象に残りました。
オリジナルはあくまでもオリジナル・・・修復するときは、まず「どの時間まで戻せばいいのか」を考える・・・それは最初に描かれた絵が、何年間か時を経過してこの色になった・・・という納得感があるものでないと、全く新品にしてしまうことが修復ではない・・・という考え方、なるほどなぁと。
ただ、「明日の神話」は、1969年ごろに一旦完成してはいるんですが、それをお披露目することができずじまいになっていて、誰も完成作品を見ていない・・・それを思うと、岡本太郎氏が観客に見せたかった状態にまで戻して欲しい・・・そういう意見が岡本敏子さんや関係者全員の総意だったと。
その岡本敏子さんも結局、修復なった「明日の神話」を見ることもなく亡くなられている・・・・だから、この「明日の神話」を今の状態で残し続けることは、とても大きな意味を持つ・・・というのはうなづけます。私たちが守らなければ、誰も後ろ盾がいないんですから・・・

そういうことから、私はクラウドファンディングに参加させていただいて、こうやってこの本を手にして、記憶と記録として「明日の神話」を見守る一人に加えさせてもらったこと、とても誇りに思ってます。

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