「思い出も被災する」という言葉


1995年1月17日・・・阪神大震災・・・私の育った西宮市、母の故郷で何度も遊びに行った神戸市が震度7の地震で大きな被害にあいました。
  その直後から地震学者の方が「日本は今後、地震が活発に起きる時期に入った」と言ってた記憶があります。 2011年3月11日の東日本大震災、2016年4月14~16日の熊本地震、2024年1月1日能登半島地震・・・

 29年前・・・ 西宮市の小学校の隣にあった、13年間住んでいたかつての家は全壊となり、数ヶ月後その場所を訪れたときには、更地になってその後はマンションが建って、周辺の風景が一変していました。私が小・中・高校と過ごした我が家でした。近所の人と、家と家の間の小さな空き地でよく遊んでました。ご近所さん同士で夏の花火大会をしたこともありました。近くの店、友達の家、よく行ったパン屋さん、毎日買い物に行ってた市場・・・懐かしい思い出の場所が失われてしまってました。
 そのことを当時、パソコン通信をしていた私は、「太陽にほえろ!」ファンの仲間が集まっていたフォーラムで、いろいろ書いて・・・・それを読んだ仲間の一人、その方も西宮に住んでられたのですが、その方が「思い出も被災する」という言葉を私に送ってくれました。
  すでに川西市に実家が移っていても、結婚して関西を離れて金沢に住んでいても、西宮のあそこに行けば「あるはず」だった風景が、1〜2分の揺れで崩壊してしまった。 自分自身や家族に実害は全くなかったとしても、思い出が失われてしまう。それも一瞬で・・・

「思い出も被災する」という言葉はとても心に残っています。 そして、その「太陽にほえろ!」ファンの人に勧められて始めたこの「つぶやき日記」というブログ、いろんな意味で大震災から2年後だったっけ、とにかく年は忘れてしまうとしても、日付は忘れたくないという意味で、1月17日から始めたわけです。

 いろんな意味でとてもお世話になって、「オフ会でお会いしましょう」と言葉をかけあっていた、その「太陽にほえろ!」ファンの人は、突然の事故でこの世を去ってしまいました。もう25年以上も月日が流れてしまいました。この方の命日も、本名も忘れてしまいました。でも、ハンドル名と、彼のかけてくれた言葉「思い出も被災する」という言葉は私が毎年、こうやって、1月17日のブログに書くことで、毎年年に一度は向き合っています。

 でも、その「思い出も被災する」という言葉は、過去であり続けて欲しかった・・・

 今年、また、それを実感することになってしまうとは・・・ 奥能登珠洲を旅した時の思い出、輪島の朝市通りの思い出・・・「今度、来た時にまた見つけたら、今度こそは即金で買おう」と心に決めていた「輪島塗の曲げわっぱのお弁当箱」、見附島、そして、奥能登芸術祭で楽しみにしていた作品・・・ そういった思い出が被災してしまった・・・

 こうやって書くことで、書き留めることで、毎年、毎年、思い出して忘れないように、心に刻み続けていたいです。

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