語彙力と言語化力。それとセンス。
こんにちはこんばんは、もるです🦥
最近とんでもないスピードで後輩がnoteを書き上げるので、負けじと頑張って言語化する毎日です。お互い頑張ろうな!
今日も私の思考が少しでも伝えられたら嬉しいです。よろしくお願いします!
すごいしか出てこない
先日ゴッホのひまわりを見に行きました🌻芸術作品をみて私はありきたりな事しか思えません。綺麗とか、すごいとか、ちょっと頑張っても幻想的くらいが限界です。でも一緒に来ている友人にも悪い気がして、とりあえず分かったふりなんかして『ほぇ〜なるほどねぇ…そうなるか…』とか言ってみたりしています
大した感想ではないので自分で自分にムカムカします。多分この作品を表すのにはもっと適切な言葉があって、適切な言葉選びが出来るからこそ人に伝えることも出来るんだろうと思います。
なにが私に足りないのか分析してみると今日のテーマにたどり着きます。語彙力と言語化力です。
語彙力
語彙が足りていないとどの作品に対しても『すごい』という底辺の感想になってしまいます。出会ったことのない感情の名前を知ったり、名前を付けたりすることで感想に幅が出ます。機微を表現できるのであれば、作品を多角的に見ることができるようになり、今よりもっと美術館巡りが楽しくなるはずです。知らないことを発することは出来ないでしょうから語彙力は大事だと理解できます。
ネットで語彙力の鍛え方を調べると本を読め、と書いてあります。やはりこれ以上に語彙が身につくものはないんでしょうか?
言語化力
同様の質問を友人にしたら、独り言を言うといい、と教えてくれました。独り言を言うことで思考が整理されてだんだんと洗練されるそうです。でもたぶんこれは語彙力をつける訓練ではなく、言語化力の話です。
自分の思ったこと感じたことを相手に伝わるように齟齬のないように伝えることが出来る。これに語彙力は必要ですが、齟齬なく伝えるという点で言語化力にフォーカスされた訓練だと思います。
言語化に置いて語彙力は必要とされますが、一致しているものではありません。難しい用語を誰でも分かるように簡単に説明する人がいるように、語彙力がなくても言語化力に優れていれば考えを伝えることが出来ます。
センス
結局どちらか一方を鍛えていれば解決できる話に聞こえますが、最近になって私は少し考えが変わりました。
友人が単身で海外で不幸に見舞われている、そんなときでした。現状を言語化してしまうのはあまりにもあっけなく、私の知っているどんな語彙も陳腐でした。人に寄り添うとか応援するとか、それにはなによりセンスが必要でした。正確な言葉選びよりも心が大切になりました。語彙と言語化の敗北です。
センスを磨くにはどうしたらいいか、私の答えはたくさんの人と関わることです。たくさんの人と関わってたくさんの話を聞き、その時どう思ったとか、どうなってほしかったとか、なにを後悔してるのかとか、いろいろな話を聞くとだんだんと磨かれてくる気がします。
でもここで気をつけるべき事があり、それは『実際に私自身が感じたことではない』という点です。さも自分の経験のように誰かの経験を乗っ取ることは、虎の威を借る狐と似たようなところがあるに違いありません。
センスはたしかに磨かれます。分かった気にはなれるけど実際に相手にどう伝わるかなんて最後は運でしょうね🙄
最後に
結局最後は運という私も予想していなかった結論になりましたが、私の伝えたかったことは述べた通りです。語彙力も言語化力も必要で、両方持てるなら持っておいたほうがいい。でもセンスも同じくらい大事。
3方向どれも怠らずに精進していく所存です😌
今回はこの辺で終わりにします。
今日も長々とありがとうございました!!
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