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【短編小説】ブルーベールに集う(1)

 
 (あらすじ)かつて暮らした雑多な街に佇むその店で「マスター」と「まるさん」と出会い、上京したばかりの亜耶の居場所となった。
 ブルーベールって、お酒の名前なんですよ。グラスからひっくり返したような光の粒がきらめく真っ青な海にある異国の酒。それを口にした後に見たのは、憧憬か或いは孤独なのだろうかー。

(一言)香月 聡と申します。ご覧いただきありがとうございます。
東京の雑多な街に暮らしていた日々の経験から着想を得た小説になります
お気軽に読んでいただけたら嬉しいです♪



(本文)ブルーベールに集う 1話


 「店、なくなっちまうな。」

 黒いネクタイを緩ませながら、まるさんは深くタバコの煙を吐き出し、追いかけるように寒空を見上げた。そうだね、と呟く声が冷たい夜の外気へと吸い込まれていく。
 
 数日前、十一時過ぎに携帯の着信音で目を覚ますと、マスターが亡くなった、と低い声で告げられた。
 
 「通夜、どうにかして来れないか?」
 
 亜耶はしばらく返事をすることができなくなった。
嘘だ、嘘に決まってると言い聞かせた。

 「山梨からは遠いよな。でも、どうにかして来てくれないか?きっと、マスターも喜ぶから。もし、来れそうなら金曜日六時に北口のスーパー前の喫煙所に来てくれ。そこにいるからさ。」
じゃあな、と言って電話が切れると、ゆっくりと涙が流れていった。
 
 午後給を取り、甲府駅へと歩いていく。化粧室で喪服に着替え、その上には黒いウールのコートを羽織っている。先日天気予報で、今年は暖冬で温度差に波があると伝えていたのを思い出し、鮮やかな青空を睨みつけ、コートを脱いだ。
 
 中央線に乗り込み、四時過ぎには阿佐ヶ谷駅に到着した。駅前の喫茶店に入り、西日が差し込む窓側の席でコーヒーとサンドイッチを食べて、時間を待った。
 喫煙所に行くと、まるさんがスーツ姿でタバコを吸っていた。ジャケットのポケットに手を突っ込みながら、ひょろりとした細い体を少し曲げてゆっくりと煙を吐く。煙を纏う鼻筋の通った横顔は、「ブルーベール」にはじめて足を踏み入れた日のことを思い出させた。亜耶に気が付くと軽く手をあげ、久しぶりだな、行こうか、と言って、葬儀場まで歩き出した。

 参列しながら香典を取り出し、後ろを向くと、何人か見覚えのある顔があった。随分前に店で話したことがあったのだろう。ブルーベールを思い出そうとすると、暗がりに間接照明の当たるカウンターが浮かび、棚にボトルが規律正しく並べられ、誰もいない空間で息を潜めている。
 
 ああ、どうも。まるさんは振り返り、会釈をした。亜耶も体の向きを変えて、頭を下げたが、互いに曖昧な印象がはっきりとすることはなかった。そんな彼らを見つめながら、自分たちを繋いでいたものが一体何であったのかわからなくなる。
 
 独身だったマスターの祭壇横には弟とその家族が座っている。焼香をし、手を合わせ、垂れた目尻を細め、歯を見せて笑うマスターを見つめた。小さなセレモニーホールを出て、再び阿佐ヶ谷駅に戻り、飲み屋が連なる通りに出た。
 
 油のにおいがそこら中に染みついた雑多な通りには、華金を満喫する人々で溢れている。立ち飲み屋で顔を赤くしながら大声ではしゃぐサラリーマン、千鳥足で歩く若者に、気持ち良さそうに歌う中年男性。そんな陽気な熱の一体感が、この街の点と点のように無関係な人々を線で結んでいる。

「今日、帰るのか?」
「特に決めてないよ。」
「なら、せっかくだから飲もう。阿佐ヶ谷に来るのは久しぶりだろ。」
「そうだね。そうしようかな。」
 
 そう言って、まるさんは焼き鳥屋へと入っていった。喪服姿で居酒屋に行くのもためらいを感じ、着替えたかったが、彼は気にせず店内の奥へと入っていった。

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