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顎関節症という歯科医療被害 何故奴らは馬鹿なのか0-0 はじめに

 人が現実逃避をするのは耐え難い苦痛から我が身を守るため、あるいは状況を暴かれ他人に知られては自分に不利益が生じてしまうためそのどちらかだろう。

 日本に有り余るほどいる歯科医師達の頭や手数が本当に回らないのか、すっとぼけて患者の目を騙し通すことが出来るとみているのか、何も知らなければ医療人は患者に嘘をつく必要も無い。あえて何も知ろうとしないのであればそこにある人間の意図は明白である。
 「何故奴らは馬鹿なのか」は今から7年ほど前に歯科医療被害を告発するために半年ほど掛けて私が記したものであるが、残念ながら私の訴えはどこにも届かなかった。その後、You Tube動画という形で歯科医療によって生じる病の解説を試みるも動画を垂れ流して理解した気になれるものでもないし、そもそも娯楽として楽しめるものでもなない。機械じかけの理解に文字は適さないと思うが、動画では直感に訴えかける事はできても事象が幾重にも重なる複雑な事象を理解させることは活字媒体でなければ不可能であるということも事実である。そこで遅ればせながら行き着いたのがNOTEである。「知らなかった」では済まされない顎関節症専門家の愚行の数々を他人の目に届くよう私が白日の下に示し、顎関節症という歯科医療被害を改めてNOTEの形で告発するものである。

 今までも先輩方が行ってきた、学校で先生にそう教えられた、偉いお医者様がそう言っていた、昔は良かったけど今はそういう時代だから、 自分では考えずに他人の言葉を何もかも鵜呑みにしてしまえば、人はそれに従って行動するだけで思い迷うこともなく、また、知らないふりを決めて結果として何が起きようとも誰かのせいにしてその場をやり過ごすことが出来る。だが、状況が悪化するにつれてそれはいつまでも続けられなくなる。

 「昔は良かったのに、近頃は…」と、よく耳にする。しかし、私はその「昔」とやらを惜しむ方々に問いたい。人類史上一度でも完成された人間社会があったのだろうかと。昔にまかれた問題の種が芽を出して成長し、それが現在の社会問題につながっているのであれば、それを近頃の若者や時代のせいにするのは都合の良い現実逃避である。灯台下暗しというが昔の栄光にすがる方々はご立派な自分方の踏み台としている足元が見えているのであろうか。経済が縮小する中で昔の栄光そのままに自分達の年金を試算し、老後は何をして遊ぶかと思案するご年配方の一方で、遊びも知らず昇給も無く、月給15万円以下で大人に使いまわされる若者達がいる。現実を直視してしまった彼らが、社会や将来に諦めを感じて思い悟り、年金を滞納したとして何の不思議があるだろうか。

 戦争は庶民にとって目の前の事では無くなり、一見すると平和なようである。しかし、戦争ばかりが暴力の現場ではない。弱者を傷つけ死に至らしめる陰湿な言葉は、今も取り留めなく社会を理不尽に飛び交っている。そして、その声の主は世をあざ笑いながら常識人のなりをして堂々と生きている事だろう。自分の為なら他人を利用し、傷つけることを厭わない人間達である。口実を失って戦争が終ろうとも人間の敵は人間であり、人が彼らから自分の身を守る必要があることに変わりはないのだ。

 「国民は自分の幸福を追求する権利を有する…」と、そのような文言が日本国憲法にあったと思うが、何故か彼らは「個人の権利として認められているのだから、自分の幸せの為なら他人をいくら都合よく利用しようと構わない。損をするのは本人のせいなのだし、何をするのも個人の自由だ。」と、勝手な拡大解釈をして自由勝手に暴れるのである。

「他人に文句を言われなければいい。皆していることだから、バレなければいい。」と、そんな風潮の現代社会であるが、利己的な人間には都合がよく、協調的な性格の持ち主の人間にとっては、とても生きづらい世の中となっているのではなかろうか。そして、社会で生きられない状況に陥ってしまえば、人は社会の中で理性を失い歯車となるか、状況を打開するために自分自身で社会の矛盾に立ち向かうしかなくなるのである。

 人間は自分の安全を手に入れてしまうと、今度はその安定した状況に甘んじて社会的役割を怠けたがるものだ。過剰なストレスにさらされ続ければ健康を害し、人が危機感から逃れたくなるのは当然の心理である。そして、社会の中で利害の一致する者同士が自分の為に、その状態を維持するように働き始め、やがては集団となって根を張りだす。結果、集団の活動に何か問題が生じた際、誰も何も言い出せないほどにそのしがらみは頑なになっているものだ。

 贅と娯楽を求めて楽しいもの同士が集まる一方で、辛い境遇に泣き寝入りしている人々がいる。やりたい放題の人間を前にすれば我慢強さもあだとなり、危機的な状況に陥った頃には社会に助けを求める気力さえ失っているかもしれない。そうなってしまえば綺麗なモノだけ見て生きようとする、利己的な人間達からは臭いものに蓋をされるかの如く、目を背けられたまま彼らは社会の中で孤立を深めていく。

 悪気や私欲など無くても身を守り生きる為に人は自ら損をしないよう各々活動し、それに応じて社会がバランスを保っている…はずの資本主義社会であるが、現実にはどうか。

社会構造に軋轢が生じて社会問題として表出していても、人々個人には他人事の様で実感に乏しく、何となく拭い切れない不安を紛らわせる為に、一人前の大人達は「景気」という言葉を口々にする。そして、何かおかしいと感じながらも、妙に甘い出来過ぎた話にまんまと騙されては誰かのせいにして、そこで初めて問題が他人事ではないと知るものだ。

 それは他の人の役目だから、自分には関係ない。黙っていてもそのうち誰かが何とかしてくれる。なるようにしかならないのだからどうせ考えても仕方ない。私自身、この状況からとても逃げたい気持ちがある一方で、事を知ってしまった以上、どうしてもやらなければならないという責任を感じては、何度も机に向かい直している。これから気の遠くなる作業になることは承知の上であるが、この問題を社会へと提示する事が出来るのは、長らく続いて来た歯科医療の腐敗を目の当たりにして、私以外にいないであろうことも事実だからだ。

 歯科医療は工業技術発展の恩恵を受けたことで材料や設備ばかり立派になったものの、それを扱う人間自身の技術や見識の水準は、それに見合って発展したものだろうか。歯科医療はこの数十年、医学という一科学分野として何も進歩していないのではあるまいか。元歯科技工士である私自身を患者として義歯を自作する中で、それまで感じていた疑問を一つずつ確かめるうちに、今日までの歯科医療の常識が大嘘だらけであると知り、医師達により「顎関節症」と称されている病に私は根本的な疑念を持つに至った。

 それから私は自称専門家である彼らの矛盾だらけな医学書を解き明かすことに取り掛かった。予想通り「歯と骨格筋の機械的な構造」と、「骨や関節組織が成長・修復する順序」を考えれば、その書で扱われていたどの症例も理解不能な難病などではなかった。そして、誰かを使って偉そうにMRIを撮影させても、彼ら口腔外科医師達には画像診断の能力は無いという衝撃的な事実を、誤診の数々から私は確信したのだ。顎関節の解剖学的構造を3次元的に自分の頭の中で理解していなければ、そもそも画像診断など出来る訳がない。

 専門レベルな物事の原理は答え合わせをひたすら繰り返して一夜漬けなど出来るものではないし、状況を見極める観察眼は経験から反省して培われるものである。だが、成績優秀な学生としてのエリート意識が社会人になっても抜けきらない医師達は、苦しみを訴える患者の前に自らの処置を反省することもなければ、頭を下げて自分から誰かに学ぶこともしない。人前で恥をかかないように一人でコソコソと専門書を読みあさり、知ったふりをしてもまんまと先人達の大嘘に騙され続けているのは、彼らに自分で物事を考える力が無いからだ。進学校のテストの様に教科書にある公式や数字、単語を丸暗記しているままでは知ったかぶりに過ぎないし、科学者の前で嘘や誤魔化しは通らない。歯科に限らず「医師」と名の付く人間の性質は、どうにも偏っているとしか私には思えてならない。

 現在の学校入試における評価基準が変わらない限り、歯科医師として適性の無い人間ばかりが歯科医学生となり、この先も増え続けて大事な患者の歯を削り続ける事だろう。既存の歯科医師の水準を引き上げることは「勉強する意欲のない子供を教える」よりも、きっと骨が折れるに違いない。彼らは実力に見合わずプライドが高くて他人を見下してかかり、自分が優位でなければ人の邪魔をするワガママで、「可愛げのある子供」でもない。「欲の味を占めた大人」を叩き直すのと、適性ある素直な別の人間を確保して新しく育てるのでは、どちらに教える甲斐があるだろうか。

 必要も無く増え過ぎた歯科医師の過当競争のあおりを受けて、自らの生き残りもかかっている歯科技工士達は彼らの「ダンピング(技工料金の不当な値下げ)」に応じて、値段と質を落として限りある仕事を横取りしあうか、技術を身に着けて多少なりとも割に合う仕事を選ぶしかない。薄利多売を認めず、実力主義へ舵をきる歯科技工士の中には、技術向上の為に学校で教わる「歯科技工」の枠を越えて他の歯科医療分野を自ら学ぶ者も多くいる。何よりも治療に必要とされる条件を知ることが、技工物を作る上で重要だからである。

 だが、歯科医師として本腰を入れて自ら物を作り、歯科技工士の領分を学ぶほど気概のある人間は皆無である。何故なら自分が技工をしてもおカネにならない損な仕事であるという事を、彼ら自身が日頃行っている歯科技工士への処遇からも見え透いて知っているからだ。担う労力・役割の大きさとは裏腹に、世間で「歯科技工士」という文字を見ることも無く、その存在や歯科医療における重要な役目が社会的に知られていないのは何故か。それは余りにも不当な待遇で働いている彼ら歯科技工士が表に出られては、患者達の歯科医療不信を招いてしまい、「誰か」の不利益に繋がるからである。

 しかし、学校で実習した程度の碌に補綴物製作経験も知識も無い人間が「技工指示書」を書いて物を作らせ、歯科技工士に任せきりでは、補綴治療後の管理が出来ている訳も無い。歯科医師法違反となるため、本来であれば歯科技工士は患者に指一本触れる事も許されないが、どれだけ手を尽くして補綴物を製作したとしても、実際に患者を前にしなければ分かりえない調整の不備もある。

 練習しても喋れないままの入れ歯があり、吐き気を訴え続ける患者が沢山いる。やがては気持ち悪さから入れ歯もしなくなって、舌の運動を支えることが出来ずに、物を飲み込めなくなり「嚥下障害」と診断されてしまう。「歯科」の原因を知るはずの無い他の医師が誤嚥を防ぐ為に気管を切開し、声帯を塞がれて声を失う老人達がいる。患者が「誤嚥」しているものだと、医師が「誤診」して決めつけてしまうのである。「お医者様がいう事は絶対だ。」という固定観念が医療の現場を支配し続け、他からの意見を許さず各医療スタッフは連携網を失い、独善的な医者達の横暴がまかり通っている。

 患者の苦しみを目の前にしておきながら、歯科医療の専門家として治療を指揮・監督する立場の歯科医師である彼らが、自身で技術を磨く意欲とはその程度のものだ。見栄を張ってお高い年会費や参加費を支払い、名ばかりの学会に顔を出すか、セミナー受講の証を額に飾って満足しているか。お金を稼いで建前を立派に整える事など向上心とは言わない。それは見栄であり、我欲というものである。

 私は元歯科技工士である。患者に触れる事が法律上許されない歯科技工士が患者の情報を得るのは、患者の口腔内歯列を型取りした印象から起こした石膏模型と、患者の歯を噛んだ位置関係をワックスやシリコンに記録させたバイト(チェックバイト)、審美の必要性から送られる顔貌写真だけである。当然、患者に触れることも無ければ、患者の顎関節状態を知る機会もない。あえて、顎関節の不調を総じて「顎関節症」というのであれば、その病に対する診療を専門領域とする歯科医療従事者は誰だろうか?歯科技工士ではないはずである。目の前で患者の顎の動作を確認できるのも、咬合と骨格のずれを把握出来るのも、患者の主訴を聞く事ができる立場にいるのも、歯科医師免許を有する人間だけである。それなのに医師達が患者の訴えを無視して、他の誰が患者主訴を汲み取る事が出来るだろうか。

 SNSで顎関節症のコミュニティーを見てみると、苦痛を訴えても取り合ってもらえなかった患者や、無意味デタラメな治療で誤魔化され続けるうちに症状が悪化して、医療不信に陥った患者達が救いを求めて苦しみを訴えてくのである。

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