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病気の時、いつも父に怒鳴り散らされた話

私たち兄妹は体が弱かった。
子供の時の思い出せる記憶は大きい病院の待合室と、
診察室の白衣の先生だ。
だいたいの病気には罹ったと思う。

兄はそれこそ入退院を繰り返していた時期もあったので、
母も大変だったと思う。
子供が病気になると、泣いたり吐いてしまったり、
幼稚な父は自分のことが二の次になってしまうが、
煩わしかったのでしょう。
私たちが熱を出し泣いていると
「いつまで泣いているんだ、うるせーんだよ」
母には「いい加減泣き止ませろ!」と怒鳴り散らしていた。
「泣き止め、いいから泣き止め」と目の前まで来て怒鳴っていた。
私は泣き止んだ。高熱が出て真っ赤な顔をして、感情を押し殺すのだ。
叩かれるからだ。
思い出しても自分が可哀想だ。

母の体調が悪くて横になっていた日に父が帰ってきた時、
「おれの飯はどうするんだ、腹が減ってるんだ、
早く作れ!」と母の頭を叩いていた。
『大丈夫?』の一言も掛けられない父は私の中での
人間界の人格最低ランキング常に上位だ。

そんな幼児期だったので、私は今でも体調が悪くても言わないし、
ケガをして痛くても言わなくなった。
むしろ悟られないように隠してしまう。

父は弱っているわが子に攻撃するのだ。
弱さを見せると攻撃されることを学んでしまった私は、
今でも弱さを人に見せるのが苦手だ。
苦手な事をカミングアウトしたり、手を貸して欲しいと
頼んだりも出来ない。
弱さを見せて人の力を借りたり、
懐に飛び込める人を見ると、
愛されてきたんだなーーと羨ましくなり、
劣等感で胸が真っ黒になる。

心を許してる人に体調が悪いと伝えた時に、
冷たい態度を取られると物凄い傷付いてしまう。
「この人も父と同じか」と落胆してしまう。
でもめちゃくちゃ心配されたり、優しくされたら逆になにか裏が
あるのではないかと身構えてしまう。
だから弱さは出来るだけ見せたくないのだ。

人前でポロポロ涙をこぼし、泣きながら自分の気持ちを
話せる人や、なにかを訴えられる人も羨ましくて仕方がない。
あれが出来る人はきっと生きやすい人だ。
私はうれし泣きはできるけど、傷付いた時に人前では泣けない。

私の娘は学校で納得いかなかったことがあった時、
大粒の涙をこぼしながら、担任の先生に話をしに行ったそうで、
先生が動いてくれて事態がいい方向に進んだことがあって、
クラスにいたら、間違いなく羨ましいタイプだったなと思いました。
拗ねたり、閉じたりしないから周りがちゃんと応えてくれるんですよね。
絶対に曲げない!っていう頑なさとも違って、
自分の気持ちをちゃんと大事に出来て、
それが受け入れられるという自信みたいなのが根底にあって強いです。
私の子なのに、ちゃんと育ってくれて良かった。

熱が出たら辛いねっておでこを触ってあげる。何なら食べられそうか
聞いてあげる。辛い時は抱きしめてあげる。
母はしてくれてましたよ。
そういう当たり前のことを父にしてもらって大人になっていたら、
もっと生きやすかったに違いない。
熱を出しただけで、怒鳴られるようなことはしていない。
やっぱり、生まれてくる家は間違えたなと思いました。

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。








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