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芥川 直木賞に価値を感じない私はオカシイでしょうか?
先週でしたか、芥川賞 直木賞の受賞式がありました。
はじめに申し上げておきますが、受賞された方の文章力はスゴイです。私など、到底足元にもおよびません。それは確かなことです。
ただですね、ひとつだけ思うのが、いつまでこの伝統を続けるのか、ということです。
正直に申しますと、歴代の受賞者の名前を列記されましても、ほとんど知らないんです。
なぜか。その後、本が売れないからです。
流行作家として生き残れるのは、ごく少数の方なんですね。
逆にいえば、受賞されてない人でも、流行作家になった方は大勢いらっしゃるんです。
なぜ、本が売れないのか。
理由は簡単です。時代が変わったから。
啓蒙主義の時代なら、東大卒のインテリ作家先生がウンチクを述べ、無知蒙昧な国民がありがたがる、なんて図式が成立したんです。
「あの芥川賞作家の〇〇先生の書いたことだから間違いない」
なんて会話が、今の時代通用しないんです。
しかし今やSNSの時代。私も含め、いろんな人が自分なりの考え方・生き方を発信できる時代なんです。
確かに商業雑誌に連載を持つことはスゴイことです。
しかし、今やそれが特権ではなくなったんですね。
ましてや、今はメディアミックスの時代。映像化作品の原作として消耗されるのがオチなんです。
結局は、映像化作品にお株を奪われているわけですよね。
そもそも、芥川 直木賞って文藝春秋の編集長だった菊池寛が、販売戦略の一貫としてはじめたものです。
そういう意味では、今でも注目されて雑誌も売り上げを出しますので、編集者としての菊池寛の有能さを物語ってはいます。
ただ、基本的には文芸雑誌は、ほぼ絶滅状態です。
本屋さんに行ってもほぼ見かけなくなりました。
なぜって、誰も読まないからです。
本好きの私が言うから間違いないです。
フィクションとしての文芸作品が、現代人の心象風景を照らし出してないんです。
ココ重要です。
現代人には、さまざまな悩みがあります。
noteを見ても、みなさんいろんな苦労をなされていて、現代社会に疲弊しきっている姿を眺めることができます。
果たして、彼女ら 彼らの苦悩を、小説をはじめとする現代の文学が汲み上げきれているのか。
問題は、現代の作家さん、あるいは作家志望の方が、砂漠と化した現代社会のオアシスとなりえているのか、ということです。
本の売り上げがどうの、だとか、印税がどうの、だとか、お金の話しばかりつきまとうのです。
もう、うんざり。
古典のすり直しなら、そんなものに価値はないんです。それなら古典を読めばいいんですから。
読者の「心の乾き」を潤し、あるいは読者の人生の指針たりうることこそが、文学の核心だと考えます。
ネット上でも、さまざまな賞レースが存在しますが、果たして文学の意義を捨て去ってはないでしょうか?
これは、飽くまで個人的な意見ですが、文学を金儲けのツールにするのではなく、SNSを通じて、一人でも二人でもいいんです、自分の書いた文章を通じて、「心の乾き」を癒やしてもらう。
それこそが、文学の本来の意義ではないでしょうか?
面白い作品、万人受けする作品、そんなものよりは、ひとりの人生に影響与える作品、そんなものを私は書きたいのです。
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