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美しくも悲しすぎる不貞な愛
雨がふる、緑いろに、銀いろに、さうして薔薇いろに、薄黄に、絹糸のやうな雨がふる、
うつくしい晩ではないか、濡れに濡れた薄あかりの中に、雨がふる、鉄橋に、町の燈火に、水面に、河岸の柳に。
今回は、明治から昭和初期にかけて活躍した詩人・北原白秋のお話しです。
北原白秋といえば、「邪宗門」や童謡で名の知れた人なのですが、その人生はスキャンダラスなものでした。
明治43年に東京は原宿に住まいを構えた白秋は、時を経ずして隣家の人妻と恋に落ちます。
彼女は、旦那から暴力を受けていて、それを見かねた白秋が慰めたのがはじまりだったといいます。
白秋自身は、早々に転居したらしいのですが、離縁を宣告された彼女が、郷里に戻る前に一目会いたいと転居先を訪れ、その日のうちに2人は結ばれるのです。
この部分だけを見れば、美しい恋物語なんですが、この物語には続きがあります。
彼女の元旦那が、まだ正式には離婚してないと主張して2人を姦通罪で告訴してしまうんです。
これが明治45年のことです。
ここで姦通罪について説明しますと、不倫した奥さんを旦那さんが告訴できるという法律です。逆に奥さん側から告訴することは許されませんでした。
2人は東京・市ヶ谷にある未決監に拘置されることになりました。のちに和解が成立し、2週間後に出所するのですが、すでに売れっ子文学者として知名度のあった白秋は、このスキャダルによりその名声が失墜したといいます。
冒頭に引用した一編の詩は、彼女のことを想って編まれた作品だと言われています。
雨がふる、誰も知らぬ二人の美くしい秘密に
隙間もなく悲しい雨がふりしきる。
全文を引用することはできませんが、特にこの部分が大好きなんです。
白秋の描く心象風景の美しさと言ったら。
読んでいて恍惚となります。
ふとこの一編の詩が頭によぎり、この記事を書いてみました。当時も今も既婚者の恋愛はタブーとされていますね。不倫はあくまでフィクションの世界でしか成立しないものです。
ちなみに正式に離婚が成立した彼女は、白秋と婚姻関係を結ぶのですが、義両親との折り合いが悪く、1年余りで破綻したそうです。略奪愛も難しいものですね。
それではまた。
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