【小説】アコーディオンの音色に酔いしれて♪
「A子ちゃんってさ、不倫とか興味あるの?」
とあるBARでの出来事です 。
以前から仲良くさせてもらっている、取り引き先の社長さんにお声がけしてもらって、週末の夜を楽しんでいます。
ここのBARは、喫煙OKなお店なので、タバコの煙が店内に広がっています。スポットライトに照らし出された紫煙の美しいことといったら。
ウォッカをベースに、グレープフルーツの果汁で割ったものをロックグラスで飲むのが、私のお気に入りなんです。フチについた食塩をちびちび舐めながら頂戴します。
いわゆる“ソルティ・ドッグ”って呼ばれているカクテルです。
カウンターで社長さんの右隣にちょこんと座る私。
彼の右手には、ジントニックが握られています。
最近、気分がすぐれなくて、SNSでネガティブな発言ばかり繰り返してたんです。
せっかく仲良くなったフォロワーさんの意見でも、相手の意見を汲み入れず、徹底的に批判しちゃうんですよね。
自分のイヤな部分が表面化しちゃうんです。
あ〜あ、つくづく、自分がイヤになっちゃうな。
そんな暗い気持ちを払拭せんとばかりに、お酒を楽しみに来ました。
社長さんのお顔をまじまじと見つめながら、本心を探るのです。
BARで落ち合ってから、小一時間が過ぎたでしょうか。二人ともアルコールがそこそこ入り込んできています。
私より3つ年上の社長さんは、どれだけの女性経験があるのでしょうか。
「もぉ〜。Tさんったら、ご冗談がお上手ですね。Tさんなら、もっと若い子の方がお似合いですよ。私みたいなオバサンじゃ、物足りないでしょ」
「そんなことないよ。A子ちゃんは魅力的だと思うよ。じゃないと、二人で飲みに行ったりするわけないじゃない。それに、実年齢より若く見えるし。女性としては、申し分ないよ。うん」
うれしい〜〜
もっと褒めて欲しいな。
心の奥底から湧き出てくる感情を抑えきれません。
でも、男性って、ウソばっかりつくから。口説き文句を真に受けるほど、世間知らずじゃありません。
「ねぇ~、Tさん。そんなことばっかり言っててもいいんですか?奥さんにバレても知らないですよ」
「う〜ん。まぁね。バレたらマズイかもしらんね。でも、うちのとは、もう何年もカンケイがないから。実に冷めきったもんだよ。たぶん気にもしてないと思うよ」
隣の席には、紺のジャケットと肩掛けのバッグが置いてある。
淡いパープルのストライプのブラウス。胸元のフリルがフェミニンでかわいい。
「そうはいってもですよ、私も家庭がある身ですから。うちの主人、とってもヤキモチ焼きなんで。バレたらどうなるかわからないんですよね」
ミント味のシーシャをふかしながら、バーテンダーのお兄さんを観察する。
絶対うちらの会話聞いてるクセに、素知らぬ顔でグラスの片付けをしている。内心どう思ってるんだろう。
それにしてもお兄さん、イケメンだな。おうちに帰ったら、彼女とイチャラブしてるのかな。
「へぇ~、ダンナさんに愛されてるんだ。だったら、余計に奪い取りたくなるな。オトコって生き物はね、人のものを見ると、ものすごく手に入れたくなるんだ。今夜は、オオカミになってみようかな」
SNSでは、予約投稿していた記事がUPされているはずだ。コメント何件つくかな。楽しみ。
いやいや、問題はそこじゃない。
Tさんったら、すっかりオスの本性を表している。
さぁ、どうしようかな。
「え〜、Tさんって、そんな人だったんですか?もっと紳士的な人かと思ってたんですけど」
「普段はね。でも、A子ちゃんの前では、ひとりの男として振る舞いたいんだ。結局、俺たちは男と女なんだから。行き着く先は一つしかないと思うんだけどな」
ふふっ。カワイイな。欲情してるオトコの人って、どうしてこんなにもカワイイのだろうか。もっとからかいたくなるんだよね。
「一般論ですよ、それは。飽くまで、会社同士のお付き合いですから。ホントは、二人きりで飲みに行くなんてこともないんですよ。」
ラ・クンパルシータの軽快なリズムが店内のBGMに流れている。
ロドリゲスが作曲したアルゼンチン・タンゴの代表作だ。
このお店を指定したのは、このBGMのためだ。
このお店は、アルゼンチン・タンゴをはじめ、古い南米の楽曲をBGMとして流している。
アコーディオンの音色が心に染みる。
場合によっては、バンドネオンというアコーディオンに似た蛇腹楽器で演奏されることもある。
どちらも味があっていい。
そういえば、SNSは、どうなったかな。
今日の記事は、大した内容じゃないから、あんまりスキ♥はつかないかもね。
もしかしたら、ネガティブな発言ばっかり繰り返してるから、お叱りの言葉を受けるかも。イヤになって縁を切るフォロワーさんもいるのかな。それはそれでしょうがないけどね。
以前炎上して、アカウントを閉鎖した苦い経験がある私は、今回こそは足を踏み外さないように、慎重に歩みを進めているんです。
「A子ちゃん。そんな冷たいこと言わないでよ。取り引き先うんぬんのカンケイじゃないと思うんだけど、俺たちって。俺のこと、嫌いなの?」
「あははっ。そんな必死にならないでよ、Tさん。キライなら一緒に飲みに来るわけないでしょう」
そっとTさんの右腕にもたれかかる。
香水のニオイがそっと鼻をかすめる。
Tさんって、相当女性に馴れてるな。
女性の直感が脳裏をよぎる。
ああ〜、もうダメ。
アルゼンチン・タンゴって、どうしてこうも、情熱をかきたてるのかしら。メスの部分がうずくじゃない。
アルコールもかなり回って来たみたいだし。
もう、彼の誘惑を断りきれない……
「ねぇ~、ホントにこんなオバサンでもいいの?もっと若い子の方がいいんじゃないの?」
「クドいな。何度も言わせないでくれ。キミはカワイイよ。いい加減、俺の女になれよ」
impulsion passionnée(情熱的な衝動)が体内を駆け巡る。
「俺の女」か。いい響き♪
ああっ、アルゼンチン・タンゴの小刻みなリズムが、私のカラダをすみずみまで切り込んで、メスの部分をむき出しにするのです。
私はいま、夢の中。
そう、これは、夢なんです。
夏の夜って、夢を見るのにちょうどいいんです。
今晩の出来事は、夢の中で起きたこと。
決して現実じゃないんです。
人妻は、素知らぬ顔をして、家族の待つ暖かい家庭に足を向かわせるのです。 (了)
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