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魔性の女って言うけれど…

よく、特定の女性を指す時に、魔性の女とか女狐などの単語を用いることがあります。

お付き合いするお相手を、コロコロと変える女性に対して使用しますよね。それもわりかし侮蔑的に。

そのように呼ばれる女性って、確かに、そこはかとない魅力があって、男性を引き寄せる力を持ち合わせてます。

果たして彼女らは幸せなんでしょうか?
果たして彼女らの心は満たされているのでしょうか?

これは、個人的な考えなんですけど、彼女らは、心の奥底に果てしない闇を抱えているんじゃないでしょうか。そう、孤独なんです。

ひとりの男性との関係で満たされないから、別の男性に目移りするんじゃないかなって。

もちろん、多くの男性を惑わすだけの色気と美貌は必要としますけどね。

このような本を読みました。

良寛さん、といえばある程度の年頃の人にはなじみのあるお方だと思います。

江戸時代の中期に活躍した禅僧です。
昔は童話でも語られたのですが、手毬てまりを愛好し、子供たちの純粋無垢な心こそ仏の境地だと考え、子供たちにまぎれて鬼ごっこや隠れんぼ、おはじきなどに興じたと言います。

良寛さんは、書の達人でもあり、数多くの漢詩や和歌、俳諧などを残しています。その名声は、当時から近隣に響き渡り、多くの人から尊崇の念で接せられたといいます。

そんな名高い高僧であったのですが、晩年に人生の転機が訪れます。

文政10年(1027年)、高齢となった良寛さんは、住み慣れたいおりを離れ、豪農の木村利蔵(11代元右衛門)宅の離れに宿を借りるのですが、この木村家にひとりの女性が訪れます。貞心尼と呼ばれる尼さんです。

この時、良寛70歳、貞心30歳だったと言います。
以後二人は、親密な関係になり、臨終のきわには貞心尼が付きっ切りで看病したと言います。

二人が共にした時間は、わずか4年間ですが、充実した日々であったみたいです。

その様子は、彼女の著書「はちすの露」に詳細に描かれています。

ただ、周囲からの評判はかんばしくなく、“高僧を惑わす女狐”と、相当なやっかみを受けたそうです。

それでもなお、私が彼女を取り上げるのは、「はちすの露」に掲載されている数々の和歌の美しさからです。もちろん、彼女自身、絶世の美女であったらしいですが、高僧・良寛禅師の心を奪い取るくらいの和歌を詠んでいたのも事実です。

二人を繰り広げる純愛の様を、「はちすの露」から読み取ることができます。

恐らくですけど、貞心さんは、孤独だったんだと思います。その美貌ゆえに若い頃からチヤホヤされ、一度は町医者のもとに嫁ぐも破綻し、出家する以外に彼女の居場所がなかったものと推測されます。ですが、出家後の彼女もまた世間から孤立します。

確かに、若くてキレイな尼さんが托鉢にくれば、村の男子はデレデレします。その様をみて、奥さんたちが毛嫌いするのも容易に想像できますよね。

そんな彼女の心を埋めてくれるのは、良寛さんくらいの大きな器を持つ男性しかいなかったのではないでしょうか。

山のはの月はさやかに照らせども 
まだ晴れやらぬ峰のうすぐも

貞心尼

晴れやらぬ峰のうすぐも立ち去りて 
後の光とおもはずやきみ

良寛禅師

およそ尼さんとお坊さんの恋愛などと言いますと、生臭いなどという言葉が飛んで来そうですが、実はそうでもありません。

仏教には、顕教と密教の二種類あり、顕教は、禁欲的なイメージを持ちますが、密教においては、男女の愛を高らかにうたい上げます。

日本仏教に二大宗派があり、天台宗、真言宗とそれぞれ呼ばれますが、日本天台宗の開祖・最澄は、その過ちを認め、真言宗の開祖・空海に弟子入りを懇願しています。後々、比叡山においても密教が主流となり、つまりは、日本仏教は、密教を最高峰として掲げることになります。ですが、長らく密教の教えは秘教とされ、門外不出とされました。

そのゆえ、一般の人から見れば、お坊さんといえば、顕教的な、禁欲的な修行するものとイメージされるのに対して、お寺の内部は密教化するという二重構造が出来上がったわけです。

密教においては、男女の愛こそ真理であり、性行為セックス時のエクスタシーこそが仏の境地であると述べられます。(筆者註:密教は、男女関係を土台として、さらにその奥に深い世界が広がります。性行為だけを強調するわけではありません)

高僧と呼ばれる人ほど生臭く見えるのは、この二重構造のためなのです。

良寛禅師が、密教の教えを知っていたかどうかはわかりませんが、良寛禅師にも当然母親がいるわけです。

母親の胎内から誕生した生命体が、温かい女性の体内に包まれて死を迎えたとしても、何らおかしなことはありませんよね。

だからこそ、良寛禅師と貞心尼の恋は、聖愛なのです。

密教の秘仏に歓喜天(御聖天様)というものがあります。
これは、男女の神が抱き合った姿をした仏像です。
種類によっては、性器が結合した仏像もあります。

まるで良寛禅師と貞心尼の様を描いたもののようですね。

和歌を通じて、純愛を貫き通した二人の姿こそ、私にとっては、尊く、崇敬の念を抱かざるを得ないのです。


昨日は、残念ながら寝落ちしてしまい、連続投稿が途絶えてしました。
もともとは、心の闇を照らすためにnoteをはじめたのですが、昨日は、とってもいいことがありました💕だから、1日くらい投稿が途絶えても問題ないですよね。

今月は、私の誕生月。
私の人生はいま、大きな転換期を迎えています✨️

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