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ひらさんのIT旅行—一歩目からの記録

こんにちは、ひらさんです。私がITの世界に足を踏み入れたのは、あるSES系の会社に入社してからです。新人研修を終えた頃、何気ない一言が私のキャリアの方向を決定づけました。「メーカーSEの仕事やってみない? 君には向いていると思うよ」と上司が言ったのです。
(今、思えば私でなくてもって気がします。)

当時の私は、正直なところ、自分に何ができるのか、どの道を進むべきか全く見えていませんでした。しかし、その一言が私に新たなチャレンジへの扉を開かせ、未知の領域への好奇心をくすぐりました。そこから私のIT旅行が始まります。このブログを通じて、その時々の挑戦や発見、そして成長の瞬間を皆さんと共有していきたいと思います。では、一緒に私のIT旅行の第一歩を辿りましょう。

メーカーSEと聞くと、何やら専門的で重要な役割を想像するかもしれませんが、具体的には、H社の汎用機を扱う、今でいうインフラエンジニアの業務にあたります。当時のIT業界といえば、サーバーやストレージ、ネットワークといった現代における基本的なインフラ技術の概念がまだ存在しない時代でした。すべては「汎用機」と呼ばれる大型コンピュータに集約されており、これが企業のデータ処理の中心でした。私が担当していたのは、その汎用機を使って様々な業務アプリケーションを動かし、企業の運営を支えるという役割です。

最初に担当したのは、ある銀行のシステムセンターでの仕事でした。この場所での私の主な役割は、汎用機の設定と管理に関わる一連の業務です。具体的には、汎用機の物理的な接続、オペレーティングシステムの設定、必要なミドルウェアのインストールと調整を行いました。さらに、ソフトウェア開発工場との間でのコミュニケーションも重要な仕事の一部で、開発されるアプリケーションがスムーズに汎用機上で動作するよう調整を行っていました。


当時、この銀行では通常業務の他に「CPU切り替え」と呼ばれる、今でいうサーバーアップグレードのような大規模な作業が進行中でした。現代とは異なり、この切り替えには多くの人手と長い年月がかかりました。通常、3〜5年の期間をかけて計画的に実施され、工数も「何人月」ではなく「年人」という単位で動いていました。このプロジェクトの最中で、私は新しいハードウェアへの切り替え作業にも携わることになり、より深い技術知識と実践的なスキルを身につける機会を得ました。この作業は非常に複雑で、多くの人々が関与するチームプレーが求められるものでした。

簡単に「CPU切り替え」と言いますが、実際にはCPUを切り替えると、ハードウェアの変更だけでなく、OSやミドルウェア、ソフトウェアなどのすべてを新しい環境に適応させる必要があります。これにより、システム全体の再構築が求められるため、非常に手間と時間がかかる作業でした。しかも、CPU切り替えの作業を進めながら、通常の運用も管理し続ける必要がありました。

また、当時のシステムは簡単にエラーが発生するものでした(笑)。エラーが発生すると、現代のように画面にエラーメッセージが表示されるのではなく、「ダンプリスト」と呼ばれる16進数の羅列が印刷された紙の束が出力されました。このリストを解析してエラーの原因を特定する作業は非常に大変でした。もちろん、下っ端の私はその紙の束をマシン室まで取りに行くのも仕事の一部でした。

私の具体的な担当業務は、勘定系システムの外部接続システムでした。これは、銀行の口座と外部のシステムをつなぐ部分を担当するもので、例えば他銀行への振り込みやカード決済を行う部分を含みます。この重要な役割により、私は金融システムの根幹に関わる責任を持つこととなり、多くの技術的な挑戦を経験しました。

この経験を通じて、ITインフラの基礎から応用まで広範な知識と技術を習得することができました。また、システムの安定稼働を支えるための責任感も強く求められる環境だったため、プロフェッショナルとしての自覚も深まりました。

次回に続く。

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