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196冊目:バカと無知

感想

バカは学べない、無知は悪いことではなく学ぼうという姿勢を持つことが大切、ということだろう。

誰でも自分は平均以上だなと思うことは一つはあるかもしれない。そのため、バカは人をバカだとディスる人も、バカである可能性は高いわけである。そもそも全知全能な人間はこの世にはおらず、Wikipediaもそんな人が作ったため誤った情報は含んでいる。つまり、無知であることを自覚したなら学ぶこと、それも多角的に学べば確実性を高められるかもしれないだろう。

社会人になるとスキルを採点するのが難しくなるが、仮にそれが出来てスキルを数値化して優秀な人材を集める仕組みが出来たとしよう。それでも採点やテストには必ず対策が付きまとうため、結果的に優秀な面をした人が混じることは十分あり得る。そして排除しようとすると自尊心による防衛反応によって、抵抗する恐れがある。

現代では大企業ですら簡単に社内リークで破壊することが出来る世の中である。多様性という言葉が叫ばれるのは、もしかしたらバカが自分を守るために使っている言葉という側面もあるのでは?とこの本から感じた。多様性が叫ばれる以上、コロナのように共存していく必要はある。

そもそも他人を理解することは難しく、大体の人は自分の中の正しさや思い込みを持っている。他人に対して無知であることを自覚し、相手に歩み寄る=学ぼうという姿勢をとることが、バカにならず、無駄な闘争にも巻き込まれない方法なのではと考える。

メモ

■能力が低い人は自分の能力を過大評価し、能力が高い人は他者の評価を過大評価する。特に前者は顕著な評価をしてしまう場合があり、そういう人は自分の能力が低いことに気づかないこと、これを「バカの問題は、自分がバカであることに気づかないこと。なぜなら、バカだから」と筆者は簡潔に述べている。

■評価の基準は時代や環境によって異なるが、能力のある人が高い地位を獲得するという原則は今と同じ。そのため、能力のある人は命の危険というリスクを回避するため自分を過小評価し、能力のない人は自分の能力のなさを悟られないように過大評価をした。つまり、共同体の中で極端に目立つことを避けようとしてきたのである。

■アドバイスする場合、人は自分なら出来るというバイアスが働いておりそれがマウントとなって相手の自尊心を傷つけてしまう恐れがある。それっぽいアドバイスをしてくる人は、平均以上だと思い込んでいる無知なバカである可能性が高いので注意が必要、また自分がよほど自信がある&得意でない限り、アドバイスは避けるべき、するなら求められた時だけで十分。

■賢い人同士で話し合っている場合は問題なく議論が進み、よりよい正解に近づいていく一方で、賢い人とバカが話し合った場合、バカの論が尊重されやすく、間違いに進む傾向になる。つまり見栄で自信満々のバカに賢い人は騙されて信じてしまうという罠にハマってしまうわけである。

■人は徹底的に社会的な動物のため、他者からの評価で自尊心や自己肯定感に結びつくよう設計されている。バカは自尊心が傷つかないよう、自身を過剰評価してしまう。つまり自尊心を傷つけない方法がバカを排除する方法であり、例えば匿名投票などが例として挙げられる。

■正しさよりも自信のある発言の方が正しいと誤って認識することがあり、SNSでは正しい知識ほど広まらず、間違った知識の方が広まりやすいという良くない状況を生み出す。疑うにはそれが正しくないという証拠を集めるという面倒な手間が発生するため、信じてしまった方が楽と考え、信じた意見は自分の中で消化され、自分自身の考えとして強固になっていく。

◾️自身の考えを否定されると、個人攻撃をされて自尊心が傷ついたとアラームが鳴り、自尊心を守るため執拗に誹謗中傷を繰り返してしまう。

◾️美人やイケメンというのは客観的な評価であり、自分自身を魅力的に感じているか、美人やイケメンに価値を感じているか、で幸福感は変わる。そして、美人やイケメンの人は昔からずっと言われてきたため当たり前なことであり、当たり前なことに幸福感を感じることは難しい。


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