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夢の中でも会いましょう

昭和の雰囲気の残るアパートの2階。色褪せたドアの前に立っている。
ドアに吸い込まれるように入っていくと狭い玄関には置けないほどの履き潰したブランドのスニーカーが数十足、無造作に積まれている。玄関を通り抜けると6畳ほどのワンルームがあり、中心に座卓が置かれている。座卓とセットのように座布団が1枚置かれており、座卓の周りには割りばし、テッシュ箱、脱ぎ捨てられた服、燃えるゴミをまとめたと思われるビニール袋など人が生活するうえで必要なものたちが床に転がっている。座卓の奥の壁は暗くて見えない。暗がりに目を凝らしているとぼんやり黒い何かが動いた。

そこでいつも目が覚める。A子がここ数か月、定期的に観ている夢だ。
毎回同じ部屋に入っていくので、部屋のどこに何が置いてあるのか覚えてしまった。不思議と怖い印象はない。ただ何度も同じ夢を見ることはA子にとって初めてだった。
A子は少し霊感があった。その日の体調によって幽霊が人の形と同じように見えたり、煙のように見えたり、ある時はまったく見えなない。A子自身もコントロールできない力であった。A子は大学3年生で実家からバスで1時間程度かかる美術大学に通っている。美大生といえばおしゃれで聞こえが良いが、実際は常に課題作品の締め切りに追われる生活を送り毎日キャンバスに向かっている。画材も費用が掛かるためお金がない。A子も身の丈ほどのキャンバスに作品を2枚描き上げなくてはいけなかった。

作品制作の合間に、短期でアルバイトができるように派遣会社に登録をしていた。今日はアルバイトの日だ。A子はだるい体をベッドから起こし、身支度をした。お金のためにアルバイトをしているがA子には1つ楽しみがあった。派遣先にて派遣社員たちの管理者を任されているB男に会えるからだ。A子はB男に恋をしていた。
B男はA子の2歳年上で目鼻立ちがはっきりした清潔感のある青年だった。B男も派遣社員だったが、派遣先の管理者を任されるほど仕事は出来た。派遣会社の正社員登用の話が来ているとB男本人がめんどくさそうにA子に話してくれていたので、働くのはあまり好きではないようだった。

A子はバスと地下鉄を乗り継ぎ今日の派遣先である野球場へ着いた。先に来ていたB男と軽く世間話をした後、制服に着替えた。控室にて就業時間まで時間をつぶしているとC子がやってきた。C子は派遣先で仲良くなった3つ年上の女の子だ。最近結婚をしたようだったが暇つぶしのため、派遣社員でお小遣いを稼ぎに来ていた。A子とは同じ派遣先で働くことが多かったため、自然と顔を合わせることが多くなり仲良くなった。

「ねぇねぇ、A子ちゃん!今日の夜にさ、B男の家で鍋パーティーしない?」とC子が声をかけてきた。C子の提案にA子は驚いたが、初めて好きな人の家に行けることに胸が高鳴った。「B男の家なんだけどさ、幽霊が出るんだってー!夜に寝ているとドアをノックされたり、部屋の中を歩き回る人の足音がしたりするんだって!ウケるよね!」とコロコロと笑いながらC子は話す。C子は人懐っこい笑顔で人と仲良くなるのが得意だった。派遣先でもA子とB男とC子の3人で会話することが多かった。B男は心霊話は苦手だったが、C子は廃墟や心霊スポットを巡るのが趣味で、自分の夫と夜な夜な心霊スポットに行った時の話を自慢げに話していた。いつもC子は唐突に「ご飯いこ!」「カラオケ行こ!」とA子を誘った。しぶしぶかもしれないがB男が鍋パーティーを承諾したので、お言葉に甘えてA子も参加することにした。
派遣先のアルバイトが終わり、B男の管理者業務を手伝ってからA子、B男、C子の3人でB男の家に向かった。C子が一人でどんどん会話を広げてくれるのでA子はうなずき、B男は適度に会話にツッコミを入れたり賑やかな時間だった。スーパーで鍋の食材を買いB男の住む家についた。


B男の住む家は昭和の雰囲気の残るアパートだった。アパートの2階へ向かうと色褪せたドアの前にB男は立ち止った。B男が「どうぞ」とA子とC子に声をかける。
ドアに吸い込まれるように入っていくと狭い玄関にはおけないほどの履き潰したブランドのスニーカーが数十足、無造作に積まれていた。玄関を跨いで入ると6畳ほどのワンルームがあり、中心に座卓が置かれている。座卓とセットのように座布団が1枚置かれており、座卓の周りには割りばし、テッシュ箱、脱ぎ捨てられた服、燃えるゴミをまとめたと思われるビニール袋など人が生活するうえで必要なものたちが床に転がっている。座卓の奥の壁側にはに洗濯物を取り込んだ洋服が重なって置かれていたが、その下に布団と思われるものが敷かれていた、夢で見たあの部屋と同じ部屋だった。B男の家に出る幽霊は私の生霊だった。


そのあと、作品制作と就職活動が忙しくなりA子はアルバイトには行かなくなった。C子も体調を崩し寝込むことが多くなったとメールで話していた。B男も給与の良い治験の仕事を始めたそうで派遣会社に顔を出さなくなったそうだ。
あの日の鍋パーティーで食べた鍋の味は覚えていない。
夢で見たあの部屋の雑多な暗さをA子は今でも覚えている。

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