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スイッチング

母が癌であること
3大治療(抗がん剤、放射線、手術)は
しないこと
入院せず、在宅で緩和ケアのみすること。

そんな話をした時
ふっと人が離れていくのを感じる。

理解出来ないこと
苦しむとわかっていて
わざわざ茨の中に頭を突っ込む愚者と
人には映るのだろう。

そんな時心から思うことがある。
日常のわたしを好きだとか
仲良くなりたいと言ってくれる人は
わたしがどんなに考え抜いて
茨に頭を突っ込んだのか
そこには関心を持たないのだろうか。

素朴な疑問だ。

わたしの大切な友だちが
皆の前でコロナは茶番だと叫んだり
医者を信じるなと叫んだり
そうしている時

普段彼らの優しさや面白さ
博識や社会貢献
そういったものに救われ続けてきた人たちは
まるで眠っているカピバラのように
無関心で無表情だった。

彼らが真剣な話をやめ
道化に戻ると、また笑いはじめるのだ。

スイッチがある。
切り替わるスイッチが。

癌治療も、コロナも一緒だ。
そして、経済と政治と医療は
同じ穴のムジナだ。

スイッチングしている人間には
永遠に見えない映像がある。
昔の映画の技術と同じだ。
アニメーションと同じだ。

同じ画を
少しずつ動かして撮っている。
そのことに気づくことが出来るのは
スイッチングせず
目を見開いて
凝視し続けている人間だけだ。

すべてを認めてほしいわけではない。

疑問をもつこと。
疑問を持つ要素があること。

疑問を持った人間を
本来政府は説得出来なければならないこと。
それはこの先も未来永劫
出来そうにないこと。

ただそれだけのことだ。

西洋医学は全能の神ではない。
全能の神など地上には存在しない。

いるとしたら、天使だけだ。
その天使はあなたの前にいて
人に笑われても
本当の話をするだろう。

全能、ということがあるのならば
それはその人の
していることを指す。

スイッチングなど意味を持たない。
生き物は
カピバラのように象のようにキリンのように
一貫していなければならない。

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