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ちがう世界

わたしには、わからないことがある。
特に自分のことがわからない。
自分が人からどう思われているのか、何を求められているのかを考えるのが苦手だ。

人のことを考えるのは好きだ。
どういう好みなのか、どうしたら楽しい気持ちになるのか、感じて知っていくことが好きだ。

わたしはわたしをもとにして動いているのに
自分のことをあまりにも知らない。
関心がない。

それは、そこは真空地帯のようなものだからだ。
そこには何もない。
何かがそこに置かれるまでは。

何かは外の世界からやってくる。
わたしはある種の装置に過ぎない。
何かがやってきて、私の中に置かれるのを
わたしは待っている。

主体性は何処にあるのだろう、わたしの。
確かにそう思う。
主体性は、その真空地帯を守るためなら命をかけるということくらいなのだ。

その場所には存在価値がある。
それだけは知っている。
その場所はわたしの中にあって
でも、それはわたし自身ではないのだ。 

わたし自身は間借りした住人のように
狭い隅っこに住みついているだけだ。

様々な「ちがう世界」が
真空地帯に広がる。
わたしは映し出される映像の
色や光に触れてみる。

それらを愛し、時には憎み
関係し、関係を閉ざし
でもいつかその映像は消え
また別の映像に切り替わってゆく。

嗚呼、と思う。
嗚呼、にんげんよ。
わたしもあなたのように生きてみたい、と。

わたしは人間であるのに
全くおかしな話である。

「ちがう世界」はみな欠点だらけで
いびつで、泥だらけで… 

眩しくて目が潰れるようだった。

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