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【エッセイ】雨の曲 #雨を聴く #シロクマ文芸部

雨を聴く。朝になって雨が降っているとなんとなくわかる。
眠っている意識の端のほうにさあっと細かい音がして、妙にけだるい感じというか頭が重くて「あ、今日雨なんだ」と思う。

食洗器とか洗濯機の音を聞きながら眠るのも好きなんだけど、水の音というのは妙に落ち着く。

好きな雨の曲がたくさんある。真っ先に思い浮かんだのはショパンの「雨だれ」で、色々な強さの雨が混ざり合っている感じが好き。
だんだん雨が強くなっていくのがわかる。


最近雨の日はヨルシカの「雨とカプチーノ」ばかり何度も聴いている。
最初のたららら、たららら、たららら、らーらら~の所でいつも「断続的な」という言葉が思い浮かぶ。断続的な雨。


子どもの頃ピアノを習っていて、先生がカーペンターズの「雨の日と月曜日は」という曲を教えてくれた。英語が分からないからいつも雨の日と月曜日は何なんだろう? と思いながら弾いていた。
ゆううつ、かなあ、とか。歌詞を見ると、まあだいたい合っている気がする。

母は昔My little loverが好きだったのだけど「雨の音」という曲があって、歌詞もあいまって雨の日の重たく湿って意識が内側に向きやすい感じがよく表れている気がする。

小さな頃うちに猫のアニメのビデオがあって、その中で流れていた原由子さんの「あじさいのうた」という曲が好きだった。
恋の歌だと思うんだけど「あの日の二人は 言葉で言えずに 街角で立ち止まり雨の音を聴いてた」という一節があって、恋をしていると雨の音まで違うふうにきこえるのかな、と考えたりしていた。

小さな頃といえば昔「硝子の少年」という曲をラジオで聞いたことがあって「雨が踊るバスストップ」という一節ではじまる曲なんだけど、踊るという1つの言葉だけで強い雨の中のバス停がみえるのはすごいなあと思った記憶がある。
雨の日になるとよく流れていた気がするのだけど悲しい曲なのもあって朝聞くと憂鬱で、今でもこの曲を聴くと「小学校に行きたくない……」という気持ちになる。

私は雨の形を見るのも好きだった。
目を凝らして見るとちゃんとこういう形。

雨粒が落ちる時の形


王冠みたいな形できれいだなと思っていた。今考えると子どもは目が良いんだな、と思うけどそれは少し違っていて、一つ一つのものをきちんと感じ取る力があったのかも知れない。
今はどう頑張っても雨は雨でしかない。残念だ。

雨の日には変な記憶がある。
小さな頃兄弟と庭の大きな石に腰掛けて母が買い物から帰るのを待っていた。
かなり強い雨なのになぜか2人とも傘を差していなくて、私の兄弟は金属のペン立てみたいなものに雨水を貯めているのだった。
「すぐいっぱいになっちゃっておもしろい」とか言いながら。

その時に腰掛けていた石は昔うちの庭を造った石屋さん? が「撤去するの大変なんで置いていってもいいですか?」と言ったのを祖父が「いいよお、そのへんに転がしといて~」と言ったものらしい。
それをたまたまうちに来たなんかの土地の会社の人? が「いい形だからもらってもいいですか?」と持って行ったので今は削られて立派に磨かれて、とある公園で小さな石碑になっているという変なエピソードがある。

前に公園に行ってみたら当たり前のように知らない人がその石に腰掛けていたので「私だけの石だったのに……」と寂しい気持ちになってしまった。
まるで元カレがアイドルになってしまったような気持ちだ。

そばにいる時は何とも思わなかったのに、みんなのものになってしまったら途端によじ登って遊んだことや、腰掛けて考え事をしたことや、楽しい思い出ばかりが蘇る。

でも今は公園の石なので、みんなに愛されて立派に頑張ってほしい。私が独り占めするより石にとっては幸せなのかも知れないから、いちファンとして陰ながら応援している。

……これ、何の話だっけ?


シロクマ文芸部さんの企画に参加させていただきました。
ありがとうございました。

最後は石の話になってしまった……

#シロクマ文芸部
#雨を聴く




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