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地球が燃えている

地球のため、全人類、夜は戒厳令(199)
 
「地球が燃えている」
 
標題の本のなかで大事と思った部分をメモしていた。その雑記帳がいっぱいになって捨てようと思ったけど、この部分だけは残そうと思って、ここに保存しようと思う。
 
地球が燃えている
-気候崩壊から人類を救うグリーン・ニューディールの提言
ナオミ・クライン 大月書店
 
( )内は、たぶんページだと思う。
 
(10)「あなた方は、私たちの未来を売り飛ばした。利益しか頭にないんだ!」
 
(11)「もっとしっかりやって下さい。子どもは投票すら許されないのに、あなた方の怠慢が引き起こす結果を将来も耐え忍んでいかなければならないのです」
海洋の温暖化は、わずか5年前の国連予想より40%も速く進んでいる。
 
(15)スウェーデンのように裕福な国が温暖化ガス排出量を年間15%削減すれば、~安全な未来の可能性は飛躍的に増大するだろう。
消費パターンや物理的インフラが根本的に変化しているべきなのだ。
 
(18)「万事が順調だというふりはもうやめにしよう。さもないと従来通りを続けてしまい、大惨事に突入する」
 
(19)「あなた方は未熟すぎて、ありのままを語れません。そうすることの重荷さえ私たち子どもに背負わせています」
 
(20)「火事だ!」「もはや時間がない」
 
(21)「あなた方にはパニックになってほしい。私たちの家が燃えています」
 
(22)もし気候システムの崩壊に真剣に対抗するのであれば経済をほぼ全面的に変える必要があるのに、有力な利権集団の多くは従来通りを望むことにある
 
(25)私たちが行動を怠った理由として挙げられているのは政治家が短期的な選挙サイクルにとらわれていたこと、気候変動があまりにも遠い世界のことに映ったこと、阻止するにはコストが高すぎたこと、クリーン・テクノロジーがまだ利用段階になかったこと
捻出不能とされる巨額の費用についていえば、これまで何兆ドルもの税金が終わりなき戦争、銀行の救済措置、化石燃料業界への補助金のために拠出されてきたのに
 
(27)これらの国々ではいまだに国民の大きな部分が、人間の活動が地球を危険なほどに温暖化させているという基本的な事実の否定を選択している
 
(33)大気中の二酸化炭素の量はすでに安全なレベルを大きく超えているため、これを大幅に引き下げることも必要になるだろう。その手段は効果は実証されていないのに高コストの炭素回収技術でもよいだろうし、昔ながらの方法、すなわち何十億本もの植樹や他の炭素隔離植物を育てることでもよい
 
(33)ハイスピードで汚染を段階的に終了させることは炭素税のようなテクノクラート的アプローチを単独に実施するだけでは達成できない。
私たちの社会がエネルギーを生み出す方法や食物を育てる方法、あちこち移動する方法、建築の方法などを意図的かつ迅速に変えることだ
いま必要なのは「社会のあらゆる側面における迅速で広範囲に及ぶ前例のない変化である」
 
(36)グリーン・ニューディールによる変革のために浮上したさまざまな計画が描き出す未来像には行き過ぎた消費習慣を断念するなど困難な移行作業も含まれている
 
(47)米軍ひとつだけで「世界最大の石油消費組織」である。戦争は、人類、自然、民主主義への破壊的なコストをともなうため、社会変化のモデルにはなりえない
 
(47)気候変動に便乗する「ショック・ドクトリン」は現実に存在する危険であり
 
(48)かつて世界的な温室効果ガス排出量が大幅に減少したことがあったのは、世界恐慌やソビエト連邦の崩壊の後のような、深刻な経済危機の時期だけなのである
 
(49)裕福な国の政府はいずれも、大量消費者の消費を抑制させる必要や、化石燃料企業に彼らが生み出した汚染の後始末にかかる費用を負担させる必要について、率直に議論したがらない
 
(49)過去40年間の経済の歴史は、公共圏の力を体系的に弱体化させ、規制機関を破壊し、富裕層への課税を引き下げ、生活に不可欠なサービスを民間に売り飛ばすことの連続だった。その間ずっと労働組合の力は劇的に弱体化し、国民は無力感に慣らされてきた。どれほど問題が大きくても、その解決は市場や大金持ちの慈善資本に委ねるのが最善だと私たちは教えられてきた。
ゆめゆめ、根本から問題をただそうとするんじゃない。と。
 
(51)グレタ・トゥーンベリが言うように
「緊急事態を解決するためには、それを緊急事態として扱わなければならない」
 
(58)世界の温室効果ガス排出量のほぼ50%は、世界の人口の中でもっとも豊かな10%によって生み出されている。
もっとも裕福な20%が、70%を生み出している
 
(67)グレタ・トゥーンベリは言う。「あなた方が宿題を終えたら、新しい政治が必要だとわかるはずです。新しい経済学も必要です。それは急速に減少する非常に限られた炭素予算に基づいた経済学です。でも、それだけではまだ不十分です。私たちは、まったく新しいものの考え方が必要です。
私たちは互いに競争するのをやめなければなりません。
みんなが協力して、この惑星の残った資源を公正なかたちで共有することを始めなければなりません」
 
(86)「アメリカ中産階級の資本主義への攻撃」
「この運動は、どの程度まで〝グリーンのトロイの木馬〟なのでしょう? その胴体には、真っ赤なマルクス主義の社会経済教義がいっぱい詰め込まれている」
 
(98)長年にわたりリサイクル、カーボンオフセット、エコ電球への交換などの努力を続けてきた結果、いまや明らかなのは、個人の行動をどれほど重ねても、気候変動への対応には不十分だということだ。
気候変動は集団的な問題であり、解決のためには集団的な行動が要求される。この集団的行動が求められる重要分野のひとつに、排出量を大規模に削減するための計画的な巨額の投資がある。
具体的には、地下鉄や路面電車、LRT(軽量軌道交通)システムをあまねく敷設するだけでなく、誰もが利用できる価格(あるいは無料でもよい)で提供することや、それらの公共交通路線に沿ってエネルギー効率のよい安価な住宅を建設すること、再生可能エネルギーを運ぶスマートな配電網、可能な限り最良な方法が使用されることを確実にする大規模な研究促進、などである。
こうしたサービスのほとんどは、民間セクターが提供するには適していない。大規模な先行投資が必要なためだ。
しかも、もし純粋にすべての人が利用できるものにするならば、利益が出ないこともあるだろう。
だが、それは明らかに公共の利益にかなっているのであり、ゆえに公共部門が担うべきものと考えられる
 
(105)天然資源の過剰消費にルーツを持つ生態系への対処は、経済の効率を改善するだけでなく、地球上でもっとも裕福な20%の人々が消費する物質の量を減らすことも要求するのだ
 
(105)「システムを全廃するか、地球を破壊するか」
 
(105)消費の増加は、世界の中でいまだ貧困からの脱却に奮闘している人々のために割り当てられるべきだ。一方、先進工業国では、年次利益の増加を至上命題とする力に支配されないセクター(公共部門の協同組合、地域産業、非営利事業など)が、経済活動全体の中でシェアを拡大する。
 
(108)気候変動に対処するためには、自由市場のハンドブックのあらゆるルールを破る必要があり、しかも緊急にやらなければならない。必要となるのは公共圏の再構築、民営化の反転、経済の大きな部分を地方に戻すこと、過剰な消費の縮小、長期的プランニングの復活、民間企業に対する大幅な規制と課税、また場合によっては一部の国有化、軍事支出の
削減、そしてグローバルサウスに対する気候債務の承認である
 
(132)グローバルな資本主義によって、資源を枯渇させるのがあまりにも迅速で、便利で、障壁のないものになってしまったため、その結果として「地球と人間のシステム」が危険なまでに不安定化した。あるジャーナリストから「われわれはもうダメなのか」という問いへの明確な回答を迫られると、ワーナーは専門用語を脇に置いて、「まあ、おおむねのところ」と答えた
 
(132)「資本主義の文化の枠組みからはみ出た、一定のダイナミズムを取り入れた個人グループ」による運動である。彼の発表要旨によれば、そこに含まれるのは「環境をめぐる直接行動、たとえば先住民や労働者やアナキスト、その他アクティビスト集団による抗議行動や封鎖、妨害行為のような、支配的な文化の外側から起きる抵抗」である
 
(138)言い換えれば、新自由主義経済学を信奉する界隈から、分別があるとみなされるようにするために、科学者たちは自分の研究の結果が意味するものを思い切り抑圧して伝えてきたということだ
 
(144)〝消費者であることしか知らない私たち〟
気候変動に対処するためには消費を減らす必要がある。
しかし、私たちは消費者であることしか知らない。
気候変動問題は、消費行動を変えるだけでは解決できない。SUVをハイブリッド車に買い替え、飛行機に乗ったら別の場所でその排出量に見合う量を削減して相殺する(カーボン・オフセット)だけではダメなのだ。比較的裕福な人々の過剰消費がこの危機の中心にある。つまり、世界でもっとも熱狂的な消費者たちが消費を減らす必要があるのだ。そうすることで、他の人々が生活するのに十分な資源を確保することができるようになる。
「人間の本性」がそうさせるのだ、とはよく言われるが、問題は人間の本性ではない。私たちは、こんなにたくさんの買い物をするように生まれついてはいない。
人類の歴史の中でも、つい最近までは、現在よりかなり少ない消費でも十分に幸福(多くの場合、現在よりもっと幸福)だったのだ。しかし、ある時期に、消費が果たす役割が誇張されたことが問題だった。
後期資本主義の社会では、消費者としての選択を通して自己を形成することを教えられる。つまり、何をどのように買うかということが、みずからのアイデンティティを形成し、自分のコミュニティを見つけ、自己を表現する方法であると。だから、地球を支えるシステムの負荷が過剰になっているから、これ以上好き放題に買い物はできないと伝えることは、ある意味、自分自身になることへの攻撃と捉えられてしまう。これが、環境保護運動が提案した当初の三つのR-Reduce(削減)、Reuse(再利用)、Recycle(リサイクル)-のうち、リサイクルだけが人々にやる気を起こさせた理由だろう。なぜなら「リサイクル」と書かれた箱に要らなくなった物を入れれば、また買い物を続けられるからだ。他の二つのRは、消費の削減を求められるため、提案とほぼ同時に消滅した
 
(224)私たちの文化は際限のない略奪の文化です。限界はなく、その結果も気にならないと言わんばかりの、つかみ取って去る、そういう文化なのです。そして、ついにこの「つかみ取って去る文化」が合理的な結論を導きだしました。地球上でもっともパワフルな国が「最高略奪責任者」を選出したのです

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