ときどき日記(601)あの外国人女性ダンサーについて行ったらどうなっていたんだろう
時刻表復刻版の旅(5)
「宇高航路」(宇高連絡船)。まだ四国まで1本も橋が架かっておらず、宇野~高松間は連絡船で結ばれていた。甲板で食べたうどんが美味しかった。
このときが初めての四国旅行だったが、国鉄はまだ全く電化されておらず、車内のトイレも垂れ流し式で外の砂利がよく見えた。
「高徳本線」に乗ったとき、一人旅だったから二人がけの席は通路側が空く。高松で乗車して出発を待っていたら若い外国人女性が英語で「ここ空いてる?」と聞いてきたので、「どうぞ」と言って座らせてあげたというか、喜んで座ってもらった。オヤジよりいいでしょ? 美人でスタイル抜群だった。大学を卒業してさほど経っていないこともあり片言の英語で、ちなみに彼女もどこの国の人だか忘れたが母国語が英語ではなかったから、かえって意思疎通がスムースにでき、徳島まで楽しいひとときが過ごせた。たしかダンサーだとか。私も若かった。来るっ?とでも聞かれでもしたのか、ついて行ってしまおうかとも思った。ついて行ったらどうなっていたんだろう。怖い兄さんが出てきてボッコボコが関の山だったと思う。
「土讃本線」には「普通」の夜行があった。高松を深夜に出発して高知を経由して中村まで走る夜行列車だ。どうも車両は特急や急行に使っているものを、そのまま夜行普通列車に転用していたようで、グリーン車を連結していたが、グリーン車としての設定がなかったので、グリーン車に無料で乗れた。普通列車とはいえ、グリーン車に乗れたので快適な夜行列車になった。
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