見出し画像

キャッチボールのおじさん(禍話リライト)

これは私が知人のAさんから聞いた話である。
平成も1ケタの時代、当時20代だったAさんは高校教員として働き始めた。
これはその初めての赴任先で起こった出来事だという。

その高校の校舎は、戦後の子供が多い時代に作られたものだったらしい。
昇降口が2か所ある大きな校舎で、Aさんが赴任した頃にはもうほとんど使われなくなった区画があったという。

人が来ない場所といっても、やはり放課後の見回りはしなくてはならない。
若手だったAさんは校舎の見回りも進んで買って出ていた。窓や戸が施錠されていることを確認しながら、残っている生徒がいないか見て回る。
ある日の夕方、そのほとんど人が入らない区画を見回っていた時、外から壁にボールをぶつけるような音が聞こえてきたという。

外に回って音が聞こえた場所に行ってみると、そこには4,5人の男子生徒が集まっていた。
そこにいたのはAさんも知っている顔ぶれだった。決して目立つ生徒たちではなく、言ってしまえば地味な男子グループだった。全員帰宅部だったと記憶している。
そんな彼らが、校舎の壁に向かってボールを投げていたのだという。

「何してるの」
Aさんが声を掛けると、1人の生徒が
「キャッチボールの練習」
と答えた。

「あ、そうなんだ」
そのままボールを投げ続ける生徒たちを見て、特別に思うところはなかったという。
別にとがめるほど危ないことをしているわけじゃない。文化系の大人しい生徒たちとはいえ、体を動かしたくなることはあるだろう。
ボールもおそらく、近くに置いてある共用のロッカーから持ち出してきたものだろうと思われた。ちょっとした用具が入っていて、誰が使ってもいいことになっていたのである。

何となく眺めていたAさんはふと、生徒たちの誰もグローブを着けていないことに気が付いた。
彼らは素手でボールを握り、壁に向かって投げていたのだ。
あれ、変だな。ロッカーの中にグローブくらい入っていたと思うけど。

なぜグローブをしていないのか聞いてみると、
「最初はこうやって始めたほうがいいんだって」
生徒たちは答える。
「やってみないかって言われて、やってみたら意外と面白かった」
「1週間ぐらい続けてる」
ということは、誰かに勧められたのだろうか。
「誰に言われたの?」と尋ねると、
「おじさん」
生徒たちはただそう答えた。

彼らにキャッチボールの練習を勧めたのは、教員でも用務員でもない、ただの「おじさん」だという。
どういう人なのか聞いてみたが、彼らはそもそもあまり話すのが得意ではない子たちだった。話を聞いてもよくわからないというのが正直なところだった。
まあ、この辺りは人通りもあるし、きっと通りがかりの人が子供たちに話しかけてちょっと手ほどきをしたんだろう。
さして気にも留めず、Aさんは「下校時刻過ぎてるから帰りなさい」とだけ言った。生徒たちは素直に従ったという。


1か月ほど経ったが、生徒たちはまだ「キャッチボールの練習」を続けているようだった。
ある放課後、何となく気になって彼らの様子を見に行ってみると、1か月経ったというのにまだグローブを使っていない。
「君たちさ、グローブ使わないの?安いのも売ってるでしょ」
声を掛けると、ある生徒が答える。
「おじさんがまだだって言うから」

「え、おじさんって何、もしかして定期的に来るの?」
1回きりの通行人との交流だと思っていたAさんは、少し面食らった。
「うん。ちょくちょく見てもらってる」
生徒たちは臆面もなく言う。
Aさんは改めて彼らに「おじさん」の人物像を聞いてみたが、やはり要領を得ない。どこにでもいそうな、これといった特徴のない人物のようだ。

そこまで聞いてから何気なく壁を見やると、前には気付かなかったものがあった。
校舎の壁に、チョークのような白い線で何か描かれているのだ。

それは人型のように見えた。
ちょうど大人の身長ぐらいの高さで描かれている。

「なにこれ?」
「おじさんが描いてくれた」
また生徒の1人が言う。
キャッチボールは相手が必要だから、この人型で練習しなさいって。

たしかに理屈は通る。キャッチボールには相手が必要だ。
この人型を相手だと思ってボールを投げろということか。
(じゃあどうして生徒同士でキャッチボールをしないんだろう?)
そう思いもしたが、あくまでこれはその段階に入る前の「キャッチボールの練習」ということなのだろう。

生徒たちがやっていることはよくわからない気もしたが、これも取り立ててとがめるほどのことではないように思えた。何せ、誰も来ない場所なのだ。スプレーの落書きともわけが違う。

ただ念のため他の教員の意見も聞いておこうと思ったAさんは、職員室で「キャッチボールの練習」をしている生徒たちのことを話した。
Aさん以外の教員も、何人かその様子を見たことがあるらしい。
周囲には窓のような壊れやすいものがあるわけでもないし、男子生徒たちは騒ぐでもなく、ただ黙々とボールを投げている。周りの教員もAさんと同じように、注意するほどではないと思っていたようだ。

ただし、生徒から直接話を聞いた教員はAさんだけのようだった。
「おじさん…に教えてもらってるんですか?」
ある教員がやや心配そうに聞いた。
「その話だと、部外者が構内に立ち入ってるってことになりません?聞いた感じ、生徒の保護者でもなさそうですし」

あっ、たしかに。
まだ新米教員だったAさんは、そこまで考えが至っていなかった。とくに問題はないと思っていたが、部外者の構内立ち入りとなると話は別だ。
さすがにまずいかもしれない。Aさんは翌日、いつもより早い時間に生徒たちの様子を見に行くことにしたという。


手早く仕事を片付け、Aさんは普段よりも数十分早く校舎の見回りを始めた。
他の場所は後回しにして、まず向かったのは生徒たちがボール投げをしている場所だ。
男子生徒たちはいつものように集まっている。見たところ、今ちょうどボール投げを始めたところらしい。

Aさんは彼らに声を掛け、再三「おじさん」のことを尋ねてみた。
「その人、君たちのご家族やご親戚でもないんだろ?知らない人が先生たちの許可なく構内に入ってるっていうのは、ちょっとまずいんだよ」
叱るわけでもなく、丁寧に生徒たちに説明する。
生徒たちも素直に「あ~、わかりました」と頷いた。どうやらわかってくれたようだ。
しかし、その中の1人が妙なことを言った。

「先生、今おじさんとすれ違わなかった?」

え?
不審に思って尋ね返す。

さっきまでおじさんはここにいたのだが、「じゃあ」と言ってちょうど帰っていった。そう生徒は答えた。
おじさんが校舎の角を曲がったすぐあとに、同じ角からAさんが姿を現した、と。

おかしいな。
たしかにAさんは生徒が指した角を曲がってここに来たが、それらしき人物とはすれ違っていない。
「いや、誰ともすれ違ってないけど…」
生徒たちが嘘をついているとも思えない。でも自分はそんな人物を見かけていない。
さすがに不可解に感じたが、自分が気付かなかったか、生徒の勘違いなのだろうと思い直した。
ひとまず生徒たちには、次におじさんが来たら今言ったことを伝えるか、あるいは先生を呼んで紹介するように、と話しておいた。


それ以来Aさんは放課後の見回り中、ボール投げの音が聞こえてこないか気に掛けていたという。
しかし数日経っても、いつものボール投げの音が聞こえてくることはなかった。
ひょっとしたら教員に注意されたと聞いて、おじさんは来なくなったのかもしれない。一過性のブームだっただけで、あいつらも元の帰宅部に戻ったんじゃないか。
そんな話を職員室で他の教員たちとしていたときだった。
「私、さっきあの子たちが共用ロッカー開けてるの見ましたけど」
ある教員が言ったのだという。

少し気に掛かったAさんは、様子を見に行くことにした。
何もないとは思うが、あれから彼らがどうしているのかは気になる。
少し離れたところから、いつものボール投げの場所を覗き込んだ。

そこにはやはり4,5人の男子生徒が集まっていた。
しかしボール投げはしていないようだ。
何をしているんだろう。
目を凝らしたAさんは声を上げそうになった。


Aさんの言葉を借りるならば、
「壁に向かって密集していた」
のだという。


「虫…とかが、集まるじゃないですか。蜜が出てる幹とかに」
ああいう感じで、密集してたんですよね。子供たちが。
一つの場所に、ギュッって。


「お前ら何してんだよ!!」
声をかけても生徒たちは動かない。
異変を感じ取ったAさんは、慌てて職員室へ戻っていった。一番屈強そうな体育教師に助けを求め、彼を連れて一緒に元の場所に戻った。

まるで無理矢理おしくらまんじゅうをしているような生徒たちの体勢は変わっていなかった。

生徒たちを壁から引き剥がそうと近付いて、そこでAさんはようやくあることに気が付いた。
彼らはただ壁に集まっていたのではなかった。


壁に描かれたあの人型に、じっと耳を押し当てていたのだという。
まるで何かを聞こうとしているかのように。


Aさんは体育教師と2人がかりで、無理矢理に生徒たちを壁から引き剥がした。
魂が抜けたような生徒たちを前に、Aさんは思わず声を荒げた。


「これはおじさんが描いた人型だろ!!おじさんじゃないだろ!!」


言ってから、自分の言葉に愕然とした。
何を言っているんだ俺は——
自分が口走ったことを反芻して、ぶわっと鳥肌が立つ。

Aさんと体育教師はとにかく、呆然とした生徒たちを近くの手洗い場に連れて行った。
「水でも掛けりゃ我に返るだろ!」
体育教師はそう言って、ホースの水を生徒たちに掛け始めた。
「もうあの壁の絵も消しましょう!」
Aさんの言葉に体育教師も頷き、水圧を強くして壁に向ける。

チョークで描かれたと思われた人型はなかなか消えなかった。
Aさんはタワシを取りに行き、無我夢中でゴシゴシこすった。それでようやく人型は壁から姿を消した。

やがて生徒たちは我に返ったようで、集まって何かを話し始めた。
互いに「あーそうか、そういうことか」というようなことを言い合っていたという。
彼らは教師2人のほうを見ると、「すみません。ありがとうございました」と頭を下げ、そのまま帰っていった。

生徒たちを見送りながら、どっと疲れたAさんは「いや、大変でしたね……」と体育教師に話しかけた。
彼も「おぉ、そうだな」と返す。それから
「そういやあいつら、何か納得したように話してたな。あれ何だったんだろうな」
「あ、僕よく聞こえませんでした。タワシで壁こするのに必死で……」
「そうかそうか。まあ、俺もよくわからなかったんだが」

体育教師は不思議そうに首を傾げながら、
「何だったか、「そうか、おじさんなんか最初からいなかったんだ」みたいなこと言ってたぞ」


それ以来、生徒たちはキャッチボールの練習をしなくなったという。



数年経って、Aさんは結婚した。
妻になった女性がその手の話が好きで、Aさんは昔話のつもりで「キャッチボールのおじさん」の話をしたのだという。

彼女は笑いながら、
「よかったね。あんた、もう少しで存在しないはずのおじさんと顔を合わせるところだったんでしょ」

その言葉を聞いたAさんの背中を冷たいものが伝った。




この記事は、禍話インフィニティ 第五夜(2023/07/29配信)より「キャッチボールのおじさん」(28:25頃~)を再構成・加筆したものです。

記事タイトルはwiki(https://wikiwiki.jp/magabanasi/)からお借りしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?