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阪神大震災

今日で28年。
阪神大震災の時は私は高校2年生。

母と妹はちょうど起きていて、母は私達の弁当作りがひと段落ついたのでちょうどガスを止めたとこだった。
後で母とあの時ガスをつけていたらと思うとぞっとすると話していた。
前日の昼、母と買い物に出かけた時に『あの雲変や!』と指をさすので、見ると飛行機雲にしては太いし立にニョキニョキ登っている。
異様な光景だった。

地震の時はまだ私はベッドの中。
夢の中で大きな揺れを感じ、ハッとして起きたら夢じゃなかった…。
母と父の私を呼ぶ声。
あんなに呼ばれたことなんてない。
たまたま父は広島の単身赴任から週末帰って来たとこだった。
父の寝ていた場所に仏壇が倒れていた。
危うく父は命を落とす所だった。
本来なら地震時は外に出てはいけないが、その頃って地震なんて頻繁にあるわけではないのでみんなの意識はそこまでなかった。
慌てて飛び出した近所の人達と安否確認。
無事だという事が分かり皆でやっと落ち着いた。
父が車のカーステレオからラジオ大音量で流すと震源地は淡路島ですと言っている。
目の前の島やんか!と近所の人達と叫んだ。
後から長田鷹取あたりからの火事のススが流れてくるようになった。
自衛隊の車両がたくさん道を行く、なんだこれは…戦争みたいだ…
ビニールのタンクを持って水を学校の校庭まで取りに行った。
六甲の祖父母は高台の頑丈な団地だったので大丈夫だった。
海外に留学中の友人数人から数日後電話があり、泣いていた。
無事でいてくれて本当に良かったと何度も泣きながら。

あの頃は自分がこんなに生かされている事なんて考えていなかった。
今40代半ばになりやっと救われた命を感じ感謝し、毎日を一生懸命にとにかく一生懸命に生きなくてはいけない。
2年前に阪神大震災で傷ついた被災者の心に懸命に取り組まれた精神科医の安克昌氏のドラマ『心を癒すこと』を見て感動し、観ながら涙がとまらなかった。
安先生は震災から数年後に癌で若くして亡くなっています。
安先生が生きておられたら…先生のお話を直接聞いてみたかった…。

今朝も5時前に起床し、あの日を忘れずに亡くなられた方々を思い5時46分に黙祷しました。
毎日を大事に一生懸命に生きます。
どうか守ってください。


この時期に聴く曲。

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