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自分の「丁度いい」がわかる
旅先の居酒屋で、夫が口に含んだビールを向こう3mまで吹き出しそうになった。
「大学教授になれないかなあ?」と私が言ったから。
私は、なかなかの妄想族だ。癖(へき)というほど困ったものではなく、ただ妄想してはご機嫌になっているのだから、極めて低コストの、いい趣味だ。
そのころ、履修がとても順調に進んでいた。テキスト学習の要領も得てきたし、参考資料も地元の図書館でほぼ揃うことがわかり、自由に学び進めている実感が快かった。当然、リポートも満足できる仕上がりで、評価もよい。返送されるリポートに賞賛のコメントをくださる先生もいて、こうなればますます調子づいてくる。
ああ楽しい。
こんなことをずっと続けられたらどんなに幸せだろう。研究に没頭するのだ。そしていつか論文を発表し、、、 と、いつもの妄想族出現である。
旅行先のお酒の高揚感に押されて先ほどの発言が口に出たのだった。
いつも優しい夫は「できないことはないと思うけど」と前置きしたうえで、目の前の瓶ビールの残量で上手な説明をしてくれた。
さっきまで入っていた量がその分野の学士だったら、今残っている一杯分くらいのこの量が修士で、底に見えるか見えないかくらいに沈殿している物体が博士だという。
「絶対無理ということはないけどね」と、ホントに優しい夫である。
わかったわかった。ありがとう。
本当のところ、そこまでやりたいとは思っていない。
今が楽しくて丁度いい。
自分の生活の中に丁度よくはまり込みバランスがとれているから。
勉強を進めたくて、ちょっと無理してやってみたこともあった。しかし、夜になってからの効率の悪さよ。目も見えずらくなり、頭もまわらない。時間とともに体力が瞬く間に奪われていく。そして、翌日、大きく体調を崩し本業さえままならなかった。本末転倒だ。
自分の適量というものを知る。
それは、あきらめではなく、自分が楽しめる丁度良い量。
今振り返ると、そんな「自分の丁度いい」を見極めながら進めたことで大学生活を全うできたのだと思う。
この感覚、生きていくうえですごく大事だ。これからも忘れずにいたい。
ということで、大学教授にはどう頑張ってもなれません。これからも、先人賢者の叡智をゆっくり少しずつ学ばせていただくこととします。
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