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16.話を聴いてくれる人(アタッチメント)

「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」

第1話「彼方の記憶」

【今回の登場人物】
  立山麻里 白駒池居宅の管理者
  正木正雄 居酒屋とまりぎのマスター

 迷った時、困った時、その迷ったや困ったや辛いを
 聴いてくれる存在の人がいれば

16.話を聴いてくれる人(アタッチメント)

 独身生活を送る立山麻里は、ストレスが生じることがあったり、自炊がめんどくさいと思ったときは、つい「とまりぎ」に寄ってしまう。
 麻里にも浮いた話はあるにはあったが、それは実らず、今はこうして仕事に没頭しているつもりだが、満たされない何かを「とまりぎ」に求めているのかもしれなかった。
 いつも滝谷七海や甲斐修代と約束しているわけではなく、一人で来ては正木マスターと話をしながら食べて帰ることも時々あった。
 今日はその時々の日だった。
 麻里は一人で来るときはいつもと同じカウンター席に座る。
 「たっちゃん、今日は浮かない顔してんな~」
 正木はそれぞれの名前の頭文字を取って呼ぶ。立山麻里はたっちゃん、滝谷七海はたきちゃん。甲斐修代はそのままかいちゃんだった。
 「うん、ちょっとね。なんか自分が頼んなくて。管理者なのにね。」
 「そうかぁ。管理者とか、頼りになる存在になるのは確かに大変やな~」
 正木は料理を作りながら、麻里の話を受け止めていた。
 「はい、今日の御馳走。」
 麻里が一人の時は、彼女が何も言わなくても、正木は「今日の御馳走一品」を出してくれた。それだけで麻里は笑顔になった。
 麻里の中には解決できていない課題がいくつかあった。
 サービス利用に繋がらない利用者への役割については、横尾ケアマネジャーが答えてくれた。
 しかし、徳沢明香の「相手の立場に立って考えるなんてできない。まして認知症の人の思いなんてわからない」という言葉への返事は思いつかなかった。
 確かにケアマネジャーはその職務上、相手の気持ちを理解し、思いを聴くということをやらなければならない。しかし麻里にはそれをどう具体的に伝えられるのか、そしてそれがなぜ必要なのかをどのように伝えるか、それがわからなかった。
 何よりも自分自身が相手を理解しようとしているのか自信がなかった。
 深刻に考えこんでいる麻里に正木が声を掛けた。
「おや~ 今日のお悩み事は重たそうやな~ 折角の御馳走が醒めちまうよ。」
 大阪弁と標準語が入り混じった正木の声に、麻里は我に返った。
 「マスターごめん! いやあのね、ケアマネジャーは相手の視点に立って考えないといけないんだけど、今日若い子にそんなことできない! って否定されちゃって。そう言われれば自分も出来ているのかどうかと思うと、自信がなくなっちゃったの。」
 麻里は正木の前では何の抵抗もなく悩みを打ち明けられた。そんな魔力が正木にはあった。
 「そうか~ それは確かに悩むな~。でもその悩みなら、やりさんの方が得意かもしれへんなぁ~」
 「やりさんですか? 誰ですか? 」
 麻里はきょとんとした顔をした。
 「え? 想井さんのことやないか。想井遣造。この前、一緒に話してたやないか。おもいさんではいいにくいから、俺はやりさんって呼んでるんやけどね。」
 次の料理を作りながら正木が答えた。
 「想井さんのことだったんですか? そういえば下のお名前まで聞いてなかった。「オモイヤリゾウ」ですか? 面白い名前ですね。」
 麻里は何となくこの男のことが気にはなっていたのだ。
 「そうやろ~ 本人はその名前がいやみたいであまり名乗れへんからな~ 」
 「でも… 」
 麻里は少し考えこんで正木に返事した。
 「想井さんなら、その名前、あってるかもしれませんね。」
 「ま、あってるかどうかは、本人と話してみたらわかるやろ。案外、おもいやらんぞ~ みたいなんかもしれへんけどな~ 」
 正木がにたッと笑ってそう答えた時、ガラガラと店の入り口が開いた。
 「まいど~ 」
 噂をすれば何とかだった。
 まるで惹きつけられるかのように、想井遣造が店に入ってきたのだった。

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