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22.存在価値

「幾星霜の人々と共に・白駒池居宅介護支援事業所物語」

第1話「彼方の記憶」

【今回の登場人物】
  立山麻里 白駒池居宅の管理者
  徳沢明香 白駒池居宅の新人ケアマネジャー
  薬師太郎 サービス拒否の当事者
  薬師淳子 太郎の娘

存在感があると前を向けるのです
  22.存在価値

 立山麻里と徳沢明香を迎えた薬師淳子は、前回のようにとげとげしい感じではなかった。
 通子は、「今日は私がお父さんを見てるから。」と淳子に言われ、長い間行くことが叶わなかった美容院へ行っていた。
 太郎は淳子の後を追うかのように玄関まで出てきていた。
 麻里と明香は笑顔で挨拶をかわした。
 「あんたは… なんか見たことあるな… 」
 太郎が明香を見て声を掛けた。
 「はい、薬師さんに厳しく指導いただいている徳沢です。お世話になっています。」
 と、明香は目一杯自分の緊張をごまかしながら明るく答えた。
 「そうか… 」とだけ太郎は答えた。 
 もし薬師が徳沢明香の悪印象を思い出した場合も含めて、「指導してもらってる」と答えようと麻里と話しあっていた。実際そうかもしれなかった。
 この日は家族に説明するものもないので、二人とも太郎に集中した。
 居間に通され、来訪したいきさつを太郎に説明した。
 「薬師さん、今何かお困りごとはありませんか? 」
 まずは本人の今の思いを探ってみた。
 「いや~ 別に困ってることはないけどな~ 」
 薬師は半ば天井を見ながら答えた。
 「通子も淳子もいてくれるしな~ 」
 ありがちな返答だと麻里は思った。
次 に麻里は認知症の人だからという構えた挨拶ではなく、ごく普通に来訪したいきさつを説明した。
 薬師太郎の長年の会社経営のノウハウを活かして、高齢者サービスセンターの接遇や経営について、センターを利用しながら客観的専門的視点から意見を述べる役割を行ってほしいと、ゆっくりと繰り返し伝えた。
 「なんか難しいな。」
 今の太郎には難解な言葉だったが、逆にその今の太郎にとっては難解な言葉が、彼の存在価値意識を刺激した。
 麻里としては、太郎をひとりの人として見て、難しいかもしれないが、伝えるべきことを伝えたという思いだった。
 「説明したら難しいですが、つまり、気づいたことをアドバイスしてほしいのです。よりよい会社にするために薬師さんの意見が欲しいのです。」
 麻里がやさしく、それでいて力強く太郎に問いかけた。
 太郎はよくは理解できなかったが、頼られているという思いにはなった。
 「要するにアドバイスする仕事だな。」
 と、シャキッと答えた。
 「そうです。薬師さんのアドバイスが必要な会社なのです! 」
 麻里は元気よく答えた。
 この時の薬師太郎はいつもの不安そうな表情ではなく、会社の重役のように堂々としていた。
 淳子はバリバリと働いていた頃の父の姿を垣間見た。
 「早速ですが、明日から白駒高齢者センターに来ていただき、センターへのアドバイスをいただければ幸いと思っています。」
 麻里はあえてデイサービスという言葉を使わずに、分かりやすく高齢者センターにした。
 太郎は自尊心をくすぐられたのか、足を組んで答えた。
 「まぁこんな私でもアドバイスくらいならできる。」
 太郎はニコッと笑った。これまでの会社経営者としての自信の表れが垣間見れた。
 太郎の存在価値感を刺激したことが、太郎の心の中の誇りをくすぐったのだ。
 そばで聞いていた淳子が加勢した。
 「お父さんよかったじゃないですか。お父さんのこれまでの実績が活用できる場所が見つかって! 」
 「そうかなぁ~ 」
 太郎は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。
 「お父さん、最近すぐ忘れてしまうから、今日のお話のこと、ちゃんと書いておくね。」
 淳子はノートに、明日から白駒高齢者センターにアドバイスに行くと書き綴った。
 「ああ、最近忘れっぽいからな。通子にも言っといてくれ。」
 まずは最初の段階は順調だった。
 ただ今日のことは忘れてしまうだろうから、明日のデイサービスへの送り出しがはたして順調にいくのかどうかという課題と、担当である徳沢明香が太郎に好印象を残すことができるかどうかだった。
 麻里は太郎に挨拶をして立ち上がり、淳子と共に別室に向かった。
 明香を太郎と二人きりにした。

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