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父ボケる

先月、母から「お父さんがおかしい。元々おかしいんやけど、それ以上におかしい。」と連絡があった。
母が仕事から帰宅すると、下半身真っ裸でソファーに座っている。
理由を聞くと、「アレがソレや…アレや」阪神タイガース優勝前だったので、そのネタを被せてるのかと思ったら、待てど暮らせど「アレが…アレが…」しか言わない。
動きが緩慢で反応が鈍い。
便も尿も失禁しているのに着替えようともしないどころか気付かない。

母は父について説明する前には必ず、「元々おかしいんやけど」と付け加える。

父はちょっと変わっていた。
牛乳は食べ物だから噛め!と熱弁を語っていた。
理由を聞くも「食べ物やからや!」と答え、何故食べ物かと聞くと「とにかく噛め!」としか言わない。
そのクセに話し終えた後、牛乳をなみなみ入れたカップを右手に持ち意気揚々とグビグビ飲み干した。
「思いっ切り飲んでるやん!」と言うと、「よぅ?」と顔を真っ赤にしてヘチマみたいな形にしてヘラヘラ笑う。

ちなみに、父の口癖は「よぅ」である。
びっくりした時は「よぅ!?」、嬉しい時は「よぅ♪」、聞き直る時も「よぅ?」、その時々の感情表現が全て「よぅ」で集約されている。

ある時は「◯◯さんとこの法事に行って来る」と出掛けた父は予想以上に早く帰宅した。
どうしたん?と母に聞かれて、恥じらいの「よぅ…」の後に「…去年やった」と真っ赤なヘチマ型顔面でヘラヘラ笑った。
去年の手帳を見て今日だと思ったらしい。
去年も行ったはずなのに。

お宅に伺ったら、海外に嫁いでおられた娘さん家族が帰っておられ貴重な家族団欒の途中だったらしい。
ご焼香させて頂き、お茶と外国の珍しいお菓子までご馳走になったとか。
とんでもなく迷惑な話だ。
そもそも家に上がる自体どうかしている。
でも父は素直に上がれてしまうのだ。

電話してたことを忘れて受話器を置いたままテレビを観ていた事もある。

初めて夫の実家に伺った際には、亡くなったお義父さんの遺影を見て開口一番「ハゲてはりますなー」と…。
ええ天気ですなーと同じノリで言った。

父は自分がフサフサの髪の毛である事が心底誇りだ。
同窓会から帰ってきても、「◯◯はハゲてた」「委員長してた◯◯は賢いけど髪が薄かった」と毛量の話ばかり嬉しそうにしていた。

誇れる事は浅ましいまでに誇示しまくる小さき小さき人間なのだ。

そんな父がボケた。

元々トボケてる人はボケないと聞いていたので、「なるほどボケが濃くなっただけか」と母も私もするりと受け入れる事が出来た。

ボケた理由は抗がん剤だ。
強い抗がん剤治療を繰り返す事で体に大きな打撃を受け、何度もせん妄を起こしたり寝たきりになったのが原因ではないかと思う。

父は生への渇望が強い人で、是が非でも生きたいと願っていた。
ボケても尚、抗がん剤治療を希望し受けている。
母も私も父の思いを尊重し、出来得る限りサポートしている。

そんな父は立派だと思う。
自分の思うことをまっすぐに突き進む。

昔からそうだ。
周囲の声や他人の目は気にしない。
「自分はどうしたいのか」
この問いかけの答えで動いている。

父はどんなに自分がトボけた事をしても、家族からトボケてる事をイジられても決して自虐的な事を言わなかった。

チビで平べったい三等身体型で、スケベで学歴もない。
でも父はいつも自分を大事にし自分を誇りに思っていた。

子どもの頃に汚職で捕まった政治家が悪びれもせず堂々としているのをテレビで見て「悪い事したのに、すごい偉そうやなぁ」と言う私に、父は「自分が悪い事したと思ってへんねやったら、堂々としてたらええんや」と言っていたのが印象的だった。

だから父はオムツの中がウンコとオシッコでダボダボでもキリッと堂々としている。

自分自身を大切にし、自分軸で生きる父から学ぶ事は多い。





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