非合理な特殊解24(完)

エマや西田が居なくなって2ヶ月が経とうとしていたある週末。夏子は朝から張り切って祭りの身支度を整えた。そして目白のシェアハウスを出ると、日本橋へ向かった。
先週末、夏子は神輿を組み立てたり神輿が練り歩く路地に、藁の結界を張ったりと、街の人たちと神田祭りの準備をした。塚越の言う通り、引っ越してもみんな前と変わらずに接してくれた。

祭り支度をして一人地下鉄に乗った。あの時、塚越と電車の中で会えなったら、きっと今日、神田祭へは行けていなかっただろうなと夏子は思った。

曇り空の下、何十機もの神輿が街をねり歩いた。神田明神への宮入りを待つ神輿で長い渋滞ができた。いつもの神輿のみんなと塚越と町の方々と、みんなの幸福を願って神輿を担いだ。

掛け声、拍子木、鐘の音、そこら中で響き渡る喧騒の中、3機ほど前の神輿の近くに、見覚えのあるスキンヘッドの男が一瞬見えた気がした。夏子はその瞬間全速力で走り出した。人違いかもしれないが、構わず、見失わないように、人をかき分けて走った。

夏子は大男に混じって神輿を担ぐその男の顔を確認した。木田だった。木田は暫くは夏子の視線に気づかなかったが、隣の大男が夏子を指差しながら木田に何かを耳打ちした。すると、木田はずっと神輿から出て代わりの人に場所を譲った。
「あんた、誰?」
「木田さんですか?私は近藤です。渋谷で、橋本さんの下で働いてます。」
「あ、あれか。」

その時神輿の進行が止まり、通りに並ぶ何十機の神輿の掛け声が一斉に止んだ。そこら中の神輿の台を持って歩く係の人が、神輿の下にその台を素早く滑り込ませ、神輿が順々に下ろされて行った。

「で、何?」
「私、仕事を退職させていただきたくて。」
「ふーん。」
木田は夏子を見下ろした。
「西田のところ行くの?」
「はい?」
「あんたさ、匿ってる?」
「まさか。」
夏子はやれやれと思った。西田とそう言う仲良しだと思われてたのかと思うと、誤解にも程があるよ!と叫びたくなった。

その時、大男が何人かが木田と夏子に近づいてきた。晒しと半纏の隙間や、半纏の袖先、半股引の下から綺麗な模様が見えた。木田はその大男たちと何かを話し始めた。私は綺麗な菊などの花やや鯉を眺めているうちに、ハッとして携帯を取り出した。

夏子は急いであの写真を探した。宮本に見せるために用意して、見せられなかったあの写真たちだった。

木田と男らは夏子の携帯を覗き込んだ。拡大した牡丹をの絵を出した。
「これ何と思いますか?」
「牡丹だろ?」
「はい。どこに書かれているでしょうか。」
夏子は、そう言ってニッコリ笑って周りを見回すと、頭から牡丹の描かれた背中や腰、太腿までの写真を出した。
「私でした!色々描いたんです。ほら、この蜘蛛も、この観覧車も深海も。」
大男たちは、もっと見せてと言った。
「これエマが描いたんです。木田さんご存知でしょう?」
「あんたら。」
木田はしばらく黙った後、ニヤリとした。
「エマはもう日本にはいませんよ。今私はこの子と暮らしています。」
今朝撮った、自分のベッドで熟睡するローラの寝顔の写真を見せた。

ローラの写真を見せ終えると、夏子は自分の体に描かれた絵の写真を消しはじめた。
「おいねーちゃん、消すなよ!くれよ俺に。」
「ごめんなさい。この絵の価値を一番分かってもらえそうな人に見てもらえて、この絵も写真も成仏したの。だから消しました。見て下ってありがとう。」
夏子がそう言うと、一人の男が木田に言った。
「何だこの子?変な奴だな。」
夏子は嬉しくなった。
「それから、西田のことはよく分かりません。知ってることは、きっといつか北海道へ引っ越すって言っていたような、なかったような。」

木田は夏子をじっと見て言った。
「今日の夜、出勤?」
「はい。26時から。」
「出勤したら、自分の席に行かないで入り口の事務所にいて。」
「はい。宜しくお願いします。」

遠くでユキが叫ぶ声が微かに聞こえた。
「なつこー!どこー!なつこー!」
よく耳を澄ますと、源さんの声も聞こえてきた。

「戻らないと。失礼します。」
夏子は木田と男たちに一礼して、仲間の元へ戻った。

夏子が戻ると源さんが夏子の頭を小突きながら言った。
「夏子、お前、何迷子になってんだよ!」
「ごめんね。迷っちゃった。」
夏子はちょこんと頭を下げた。そしてユキへテオを合わせてごめんなさいをした。

シェアハウスへ戻ると、夜10時を回っていた。これから仕事だと言うのに全部の体力を使ってしまったような気がしていた。怠そうに階段を登り、302の自分の部屋の鍵を開け始めた。すると、背後に気配がした。
「ローラ、ただいま。」
夏子は振り返らないで言った。
「夏子、これ何?どうなってんの?朝眠くてよくわかんなかったけど、不思議な格好。」
夏子がドアを開けると、ローラもごくごく自然に部屋に入ってきた。そして夏子の着ている半纏をめくり、半股引の紐を掴んだ。
「これ何?なんて書いてあるの?漢字が読めないよ。何この形のズボン。どんな風になってるの?紐解いていい?」
「紐解いたら脱げちゃうんだよ。ちょっと待って。着替えるから。ていうか、シャワー浴びてくるから。」
「うん分かった。いいよ。待ってる。」
ローラは夏子のベットに潜り込んだ。
「あの。」
「夏子、あったかくしとくね。」
夏子の半ば困り顔にもローラは御構い無しで、ベッドを直し始めた。
「あのさ。」
「なーにー?」
ローラはベッドにうつ伏せに潜り込み、ひょっこりと頭だけを出して言った。夏子は、口にピアスをしたひょっこりした表情の亀さんに吹き出しそうになった。
「何でもない。もうしょうがないな。じゃあ、行ってくる。」
「いってらっしゃい。」
ローラの鼻歌が廊下にも聞こえてきた。階段を降りながら、サンドロの言葉を思い出した。
「もうあなたはローラに捕まっちゃったってこと。」

いつの間にか始まったこのペースの生活が、夏子には面白過ぎて抵抗できなくなっていた。

何とかローラの側で1時間ほど仮眠をして、職場へ向かうと、事務所の中にはすでに木田がいた。木田は夏子に席に座るよう促した。夏子は面接の時と同じ、木田の向かいに座った。
「辞めていいよ。」
木田はポケットから煙草を取り出して吸い始めた。そして、すでにタバコの吸い殻が2、3本入った灰皿を自分の前に置いた。
「ありがとうございます。」
「でもさ、誰か連れてきてよ。代わりの人員。」
さも当然のように木田は言った。
「居ないんです。この仕事をできる感じの人が。」
夏子は今日は淡々と言おうと決めていた。
「いるだろう?」
木田はそう言うと、夏子の右肩のあたりの方に煙の混じった息を吐いた。夏子は煙など見えていないような様子で首を横に振って言った。
「何年後か分かりませんけど、人工知能とかロボットとかがこの仕事を出来るようになりますよね。人もいらなくなる。そして、この職場の広い空間もいらなくなる。だから私が誰かに無理やり紹介する必要なんて、そもそもあるんでしょうか。」
誰も連れてくる気なんかないよと夏子に言われたようで、木田は腹が立ってきた。
「何言ってんだ?」
「人工知能のことはご存知ですか?私も詳しくはありませんけど。」
夏子は何も気が付いていないような感じで、さも人工知能が楽しそうと思っている感じを出して話した。
「何か、上が言ってた気がするな。でもずっと先の話だろ。」
木田は、人工知能なんて俺と関係ないよ、と思った。
「分かりませんよ。だから、いつまであるか分からないこの仕事を、誰かに紹介するなんて出来ないんです。ごめんなさい。」
木田は夏子をやはり変な奴だと思った。これまでのほぼ全員が、何も言わずに急にいなくなる人しかいなかったからだ。木田は夏子をどうしたら働かすことができるかを考えるのをやめた。時給上げてやると言っても、今日辞めそうだなと思った。
「いいよ。分かったよ。ただ、この場所は誰にも言うなよ。」
「はい。お世話になりました。」
「今日働く?それとも、帰る?」
「皆様にご挨拶もしたいので、最後に働いて帰ります。」
「分かった。じゃ、行け。」
夏子は一礼して自分の席についた。

鈴木恵一のメッセージを確認した。返信は無かった。2週間前に一度、
「元気だよ。抜け出して。」
と言う暗号のメッセージがあったきりだ。

夏子は、暗号のメッセージを送った。
「今日最後。抜け出せた。」

これでもう、鈴木恵一はこのサイトにメッセージ送らないで済む。
西田も。

最後の出勤を終えた朝は、雨模様だった。雨模様でも夏子は空を見上げて微笑んだ。人生って何で面白いんだ!と叫びたくなった。
すれ違う人たちが夏子の顔を訝しげに覗き込んだ。夏子は濡れても構わなかった。

夏子は鼻歌を歌いながら、渋谷駅への帰り道を歩いて行った。


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