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開放のドラム

・自分が分からない言語を話す人々が車の中に4人おり、そこに自分もいる。そういう時、幼少期を思い出す。祖父母、親戚の車内。
祖父母、親戚達の話している内容は、分からないでもないが、分かろうともせず、そして分かる必要がないので、分からなかった幼少。
何か大人が、大人な事を話している。

自分が分からない言語で話している彼らに、僕は100%安心して窓の外のタイ文字などを見ていた。僕のアイムハングリーという英語で皆笑う。幼少期と同じ。ありがたい。

・タイ語の1から100までをバカみたいに呟いている。バカである事を再認識し、1から100以降、全く進んでいかない。

・誰か親しい人以外の名前を本人めがけて言う時、その人を呼ぶ時、若干躊躇う瞬間があるという性癖を持つ。辞めていきたい。辞めていこう。

・仕事、午前中ほぼ眠りかけるが定時になるにつれて開放のドラムが鳴る。(テッテッテ テテテテ)もう帰る30分前にはウキウキになり目がバチバチに醒めている。これはあれか、授業中ずっと眠っていたのに昼休みになると全く眠れなくなるあれと同じか。もうきっと、性質というか根本が変わらない、変われないという諦めを抱く。

・ベトナム戦で思ったのは、勝負には、俺らはイケる。俺はイケる。という感覚、そういうものが大切だと再認識した。いきすぎると舐め、みたいなものになってしまうのかもしれないが、ちょっと舐めてるくらいの人の物事の勝率は何だか高いような気がする。
いやイケないすよ。とは冗談でも言わないような。
いつもはとても穏やかな人が、スポーツで見せる獣性にワクワクする事がある。
何かに対して、常に尊敬を持ちすぎてしまう場合、そういう場合は、心に舐めを加えるくらいでシーソーのバランスはちょうど良いのかもしれない。と僕は思った。勝負事。

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