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楽しい

この街に、日本語で書かれた本をたくさん売っている古本屋があり古本を買う。

それらは海を超えてきたという理由もあり、古本としては高額となっており、定価の600円ほどを超える本などもある。

しかし、海を超えてきた本、空を飛んだ本。と考えるとむしろ安すぎる値段であるのかもしれない。一冊を買う。小説を買う。
2周ほどする。

面白い。とても面白い。
しかしよぎる。これはそうだ誰かの想像だ。
という気持ち。

小説自体が誰かの体験なしには、きっと書く事はできないのだろうというのは、何となく分かっている。

多分、作者の体験の、作者の人生の一部を物語の中に落とし込んでいる、というのも何となく分かってる。僕はそんなに大量に本を読んできてはないけれど、様々な小説たちに救われてきた事実。
まだまだ読書量は足りず、というか足りる足りないの世界線に立てていない気もするけれど、そう、だからこれかも沢山読んでいきたい。


そうしてこれはかなり危険な状況ではあり、褒められた事ではないのだけれど、自分が書いている瞬間、それが今面白くなってしまっている。


他者を少しばかりしか意識できず、読みやすさ、や分かりやすさ、などを結構度外視してしまっている。

それが今、とても楽しくなってしまっている。
自分で読んで、自分で面白いという状況になってしまっている。

これはそうだ。
何かを作り、それで食っていく人としてはダメになるのだろうけれど、僕はそれで食っていないし、それで食える気はしない。

それなら、それでいいではないか。
と自分を鼓舞する。
自分で自分の人生の楽しい瞬間を作る。
それでしかない。
たまにきつい瞬間もあるけれど。


そうだった、友と話している時、仕事でどんな瞬間が楽しい?と言われ、僕はメールを書いている瞬間が楽しい、と言って友達にどした?
と言われたのを思い出した。
そんなに現場ばっかなの?というような。
でも、逆にそれ以外の時間は苦手で、特に会社員として誰かと会話するのが苦手だった。


元から割と伝えたり、書くのは好きだったみたいだ。
今、楽しくなってきてしまっている。

自分が自分のファンになってきてしまっている。これは多分危うい。

が、マーティン・スコセッシという監督が言ったらしい。

最も個人的なことは最も創造的なこと。

あんまり楽しくやりすぎていると、どうだろう、自分で自分がつまらなくなってしまうのかな、などと思いつつ、でも、誰の為でもない自分の為に、自分で楽しんでいけばいいのではないか、と自分で自分を励ましていきたい。

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