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7月17日 100日で完成する本 15日目

・利他を別の角度から掘り下げてみる

先程の利他の本以外の本から利他を見ていきましょう。私が本を書くきっかけとなった、近内悠太さんの『利他・ケア・傷の倫理学』から利他を考えていきます。

誰かのために大切な何かを手放すことで私が変わる。そうあるべきと命じられたものを破り、自らが言語ゲームを選び直すこと。利他とはそのように構造化されている。
それはけっして自己犠牲ではありません。なぜなら、それまでであれば単なる犠牲として捉えていた「私」自身が変容してしまうのだから。もはやそれを自己犠牲と規定できる私はいない。自己犠牲とは、私が変わらないままで何かを手放すことです。

『利他・ケア・傷の倫理学』

上記の引用が利他とは何かを物語っているのではないかと考えています。利他とは、誰かの大切なもののために、自分の大切なものを手放すこと。これだけだと、利他とは自己犠牲の上に成り立っているのではないかと思います。

しかし、自己が他者のために変化して、新たな自己になっていく。そうすることで、自己を犠牲にすると言うことが規定できなくなる。何となく理解できるでしょうか。

筆者は、漫画の「暗殺教室」のAIでできた生徒の自己変革の例で、利他というものの本質をとてもわかりやすく説明しています。興味がある方は是非とも読んでみてください。

正直私もこのような経験があります。主に、職場ですかね。学校で子どもと関わっていると、常に自己変革を求められます。相手のことを考えて、大切にしつつ、必要があれば私も変わっていく。

自己変革が非常に自然な形で発動するため、本書にもあるように自己を犠牲にしている感じは全くありません。というか、新たな自分になることで、多くを学びパワーアップしているのではないかと感じています。

職場の同僚もそうです。子どもと同じで、他者の大切にしているものを大切にしつつ、自分の大切にしているものを躊躇いなく手放していく。言葉にすると簡単ですが、悩む時もあります。

本当にこの価値観を手放してもいいのかと。でもいざ手放してみるとそんなに大切では無かったことに気づくことが多いですね。『思いがけず利他』とは視点が違いますが、私のこのような態度がこの先にだれかにとっての利他となれば、2冊のが繋がってくるのではないかと思います。

劇にうまく乗れない人のための劇。生産性、有用性に回収されない劇。それをこの社会の様々な場所に、いろいろな形で作っていくことが、現代を生きる僕らに必要なケアなのです。

『利他・ケア・傷の倫理学』

本書ではケアを「相手の大切なものを大切にしていく営為」というシンプルな定義にまとめています。劇というのはコミュニティーのメタファーのようなものでしょうか。

現代の資本主義的な流れ、コスパ・タイパ的な流れが主流のなか、その流れに乗れない人も多いのではないでしょうか。私もその一人ではありますが、やはり生きていく上では資本主義的な劇で演じる必要はあるでしょう。

ただ、それ以外の劇、いわゆるコミュニティーが多様であればあるほど、さまざまな人が生きやすい世界になるのではないかと思います。まずは、自分がさまざまな劇で演じていきます!

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