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42暇話10・バス

最近、バスのからんだ事故が多いように思う。旅客自動車運転するプロ中のプロの運転手が、厳しい合格基準試験を合格して得た運転免許と、実際の運転経験を持って対処や事前にリスク予見ができれば、防げていたはずの事故を、度々、見るようになった。利用者としては、そのリスク回避能力の素性を見抜く手段としては、運行会社の業務遂行が、乗客の安全に寄与しているかに信頼をおけるかが、利用する上での選択の理由になりえるのはずであるが、どうしても、その利用価値を求める時には、格安運賃を標榜する会社を選んでしまいがちであろうかと思うが、その選択を少し待つ方が良い。

《路線バス》
京都市街の道路は決して走り易く整備されているものではない。戦災を免れて、昔ながらの街割りで、道路の幅員や形態も一定で続くのではなく、
GO・STOPの場所も多く、そんな街路に多くの自動車や軽車両や歩行者が密集して行き来している。そこに、全長12m弱・全幅2・5m程の平面面積を占有する立方体が鈍重に動くのである。当然、乗客を乗せている。
私の住む地域でさえも、最寄りの山陰線の田舎の駅から路線バスが来る。
殆ど、車内で立ち客が居るのを見た事は無いが、まだ、京都市街よりは、道も広く、他の交通量も少なく乗降停止と発車の行為も少ない。
以前住む地域では、京都駅からJRバスが、市街地を抜けて市街北部の山間部へ入り、くねくねとした途中離合困難な個所も有りながら抜けて、狭い国道を1時間半程をかけてやって来てた。それでも、新しく長いトンネルができてからは、所要時間は短くなった。その長いトンネルができるまでは、村落を見降ろす、つづら折れの厳しい峠道を越えていた。雪の積る日や路面凍結が予測できる時間帯や天候では、タイヤチェーン装着。運転手さんの苦労も大変だ。でも、信頼ができた。頻繁に、回送・訓練中の表示を上げたバスが行き来するのが常時。事故防止に対して真摯な態度を取っていると解釈ができた。しかし、乗客閑散地区ゆえ新鋭機種は導入はされず、永らく、旧式の使い古された高床のバスだった。低床フルサイズではなくて、オンボロの一回り小さな大型バス。

出張からの帰路に、夜行高速バスを京都駅で降りて、我が家方面へ向かうJRバスの始発便を
京都駅から終着まで利用する事が度々あった。
この日は、京都市街から外れると道路状況は雪に覆われていてスリリングであった記憶が有る。
通勤時間帯であっても、途中の山間村落から乗車する乗客は全く無く、
市街停留所の数か所から終着まで利用する乗客が殆どで、市の出先部所へ勤める職員さん達の
宛ら専用チャーター便の様相が有った(笑)。

《高速バス》
世の中から寝台特急を消し去った夜行高速バスは、時間を有効に使えて、利用しやすい運賃設定がなされていて、度々、利用をした。しかし、先にも記述したが、デイスカウントがはなはだしいバスには懲りた経験が有り、4列シートで安いツアーバスには、二度と乗る気にはならない。その懲りた経験は、仙台発京都行きのツアーバス。途中、数か所で乗客を拾い、満席で目的地に向かう。私は、韓国製バス(ヒュンダイ)の乗り心地と騒音に我慢ができず、乗車取扱だけが有る福島県・郡山駅で払い戻し不可を覚悟で下車した。安いにはそれなりの理由が有り、乗客に我慢を強いるようなバスはよろしくない。乗客だけではなく、乗務員さんにもその我慢が有ると思う。その我慢の蓄積はどのような結果を生み出すかを考えたら、恐ろしい。
快適性でいえば、JRバスの東京駅発→大阪駅着のグラン昼特急に勝るものはない。広々の足元とシートと装備品で景色の良い2階建てバス。中央道経由と東名経由の2種が有ったと記憶する。中央道経由は、空と稜線を眺め、東名経由は富士を眺める。私的には少し時間がかかるが、中央道経由が好きであった。東名経由と違って、防音壁で囲まれた中を走る区間が限られていて、都市部と住宅地を突き切るのではなく、季節を感じ、広々とした景色を堪能できるからだ。

甲府を過ぎて、諏訪に至るまでだったと記憶するが?道路下での珍しい光景を見た。
たぶんであるが、寒天の製造の一つの工程ではなかろうか?と思う。

長距離利用は、近鉄バスで、京都→仙台、京都→大村インターチェンジ(この時は、共同運行会社の長崎バス)。関西人には珍しい会社だと思うが、国際興業バス・八戸→新宿。最多利用は、京阪バス・京都→横浜。という便が思い出される。最悪は、先にも述べたが、仙台→京都へのツアーバス。

この思い出を記述しよう。
大阪発→金沢着のJR高速バス。大阪の東部に居たが、当日中に松任に着きたくて大阪駅に向かい特急を利用しようとしたが、豪雪で運休となっていた。当然、そちら方面に向かう列車の殆どが途中折り返しや運休となっていて手段が無くなったように思ったが、バスが有るかも?とバスターミナルへ向かって乗車できた事がある。しかし、遅れに遅れて、金沢駅に着いたら日付が変わった。で、鉄道も無い。凍死するかもしれない駅中の片隅で、一晩を睡魔と闘った記憶が有る(結局、始発から鉄道は動かず、嫌になる距離の雪道を松任駅近所の目的地まで歩いた。)。なにせ、運転手さんの近くの座席であったが、バスがスタッドするのである。その度に、運転手さんの焦りが見えてしまう位置もあまり良いものではないし、滑るバスは全く止まらない怖さを知った。

乗車できて北陸方面へ向かうのは良いが、遅れた時の思慮が足りずに
到着してから悲惨な夜を過ごす事になった。

その状況の中で、道路状態が少しでも好転するまでを待ち続けて、帰宅するまで3日間を費やし、北陸線線路沿いや高架下の少しでも暖の取れる場所に商売で受け取った冬装備をしていない自動車を駐車して、無宿状態で過ごす事になってしまった。日中は、受託した自動車は駐車したまま、商業施設で時間潰しと食料補給だ。久々に金欠の情けなさを感じた(笑)。

今回はここまで。
ではまた。

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