ディストピア2-3

昼休みが終わった。人間ジェンガで疲れている者は多かった。下にいる玉木だけに負荷がかかっているように思えるが、実は彼の上に乗っている人間もバランスを保とうとしたり、自分の上に複数人、乗っていることによってエネルギーを消費する。何より、人間ジェンガを傍観していたものも、爆笑していたため、それなりに着かれていたようだ。
チャイムがなると、それぞれが担当する掃除場所にいった。ある者はトイレにいき、ある者は階段掃除へと向かった。私は教室担当であったため、教室に残って机を後ろの方にさげていた。教室の掃除担当は五名ほどで、私を含めた玉木、富岡、本間、宮代で構成されていた。一見、まともに掃除をしなさそうな面子ではあったが、意外にも、我々は真面目に掃除をしていた。というのも、掃除時間になると、監督として担任が教室に戻ってくるからである。しかし、この日は掃除が始まって十分ほど経っても、担任はやってこなかった。
 玉木はトイレの水道からバケツに水をいれて、それを教室に持ってきていた。私と富岡は教室の端っこから雑巾を取り出すと、床を拭いた。それなりに力を込めて拭いていたため、床はきれいになり、蛍光灯の光を反射させていた。
私は一息つき、教室の窓側で呆然としていた。すると、ある一つの疑問が胸の裡から湧いてきた。
遠心力って存在するんかなぁ。
思ったことをすぐに口をだしてしまう性質があったため、すぐに声に出した。
「遠心力が存在するかどうかバケツでやってみないか?」
横にいた富岡がすぐに反応した。
「遠心力はマジであるよ、あのバケツを一回、振り回してみようか?」
「本当に!?」
気が付くと、玉木も我々の会話に参加していた。
「え、水の入ったあのバケツを本当に振り回すの?」
私は自分で言い出しておきながら、富岡がバケツを振り回そうとするのを阻止しようとしていた。
「いや、マジで大丈夫やけん」
彼はそういうと。バケツのもとにすたすたと歩いていき、持ち上げた。すると、まるで円でも描くように勢いよく、バケツを縦方向に回し始めた。
水は全く下に落ちていない。
「すげええええええええええええ」
教室中に私と玉木の感激する声が響き渡った。そして、本間と宮代も声こそは出していなかったが遠心力に感動していた。
「おれもやってみますわ」
私は富岡からバケツを受け取ると、彼と同じように振り回した。
不思議だ。明らかにバケツが逆さまになっている瞬間はあるのだが、水は一滴も落ちてこない。他人がやっているのをみたときより、数倍、感動した。何事であっても、自分でやってみるのが一番楽しいと感じた。
「玉木、お前もやってみろよ」
気づくと、我々は掃除などそっちのけで遠心力に集中していた。雑巾がけも掃き掃除も本来なら、二回やらないといけないのだが、今回は一回だけで終わることにした。机はまだ、下げたままだったのであとは机をもとの位置に戻すだけで掃除は終わるという状況だった。
玉木はずっと、バケツを回していた。我々はそれを笑いながら見ていた。夏が近づいていたため、日差しが暑く、次第に汗をかき始めていた。
富岡がこんな提案をした。
「玉木、次からはゆっくり回してみよう」
「え、それ大丈夫なん?」
「大丈夫!俺、小学校のときにかなりゆっくり回したけど水は零れんかった」
「え、それ本当?」
「本当ちゃ」
「え、信じるよ」
二人の会話は熱気を帯びていた。
「玉木、やれ、責任は俺がとる」
私は嘘をついた。
「じゃあ、やるぞ」
玉木は意を決したのか。振り回していた腕を止め。体勢を安定させた。
バケツの取っ手をしっかりと持ち、周りを確認すると、彼はゆっくりと、バケツ回した。その瞬間、水は教室にまき散らされ、玉木の白いシャツと灰色のズボンは濡れた。案の定、大丈夫ではなかったのである。
「もおおおおおおおおお」
玉木はドッキリにかけられたお笑い芸人のようなリアクションをしていた。しかし、我々からすると、玉木のことよりも、床にぶちまけられた水をどうするかというのが問題であった。授業開始まであとに十分ほどしか時間がなく、どう考えても渇くとは思えなかった。それに五限目の授業はよりにもよって、担任の福田が担当する英語であった。
宮代が教室の後ろからありったけの乾いた雑巾をもってきた。私は雑巾を手に取り急いで拭いた。しかし、バケツ一杯に入っていた水は数枚の雑巾程度では隠蔽できなかった。
「これ、どうする?」
富岡は笑いながらつぶやいていた。焦っているとも楽しんでいるともいえるような表情をしていた。
「とりあえず、水を広げて渇くようにしよう。夏だから渇きは早いはず。」
「そうだな」
我々は、一点に集中していた水を教室のすみずみにまで広げた。掃除時間の終了を告げるチャイムがなってところで、ようやく、バケツの水をこぼしたことがわからないくらいまでにはごまかすことができていた。
掃除時間が終わっても、床を拭いている私をみて神本が話しかけてきた。
「何かあったの?」
横には原島や里岡もいた。
「遠心力をバケツでやっていたら、玉木が零した。」
「バカすぎるやろ」
神本は笑っていた。
五限目が始まる直前の13時36分ころに、教室掃除をしていた者たちは雑巾をもとに戻し、英語の授業準備を始めた。全員、「なるようになれ」と心の中で思っていた。

チャイムがなって、一分ほど経つと服田が教材とスピーカーをもって教室に入ってきた。私は黙想をするふりをして、半目で彼の様子を窺っていた。彼は前日に出された宿題の答えが書かれた生徒たちの板書を眺めていた。
「じゃあ、号令」
合図とともに、授業は始まった。冒頭の十分で今日の授業の展望を話すと、板書に書かれていた宿題の解説に移った。服田は朱色の英語の教材を片手に持ち、もう片方の手で赤色のチョークを手に持っていた。
「はい、ということでbの答えは…、え?」
何かに気づいたようだ。
「なんか床、めっちゃ濡れてない?」
教室がざわつきはじめるのを感じた。掃除時間にふざけたことがバれるのも時間の問題だなと思った。
「あ、それ、めちゃくちゃ雑巾がけをがんばったからです」
富岡がすかさず、ごまかした。
「え、本当に?」
「はい。特に玉木君が一生懸命床を拭いていて休み時間になっても掃除をしていました。」
「え、玉木、本当に?」
玉木は教師から尋問された。
「はい。本当です」
教室のあちらこちらからは笑いをこらえる声が聞こえており、また玉木のことをニヤニヤしながら見つめている者もいた。
その様子をみて、何かを感じたのか、服田は質問の仕方を変えた。
「玉木、本当のことを言え。」
玉木は黙っており、嘘をつくべきか、本当のことを言うべきか迷っている様子だった。
「バケツを使って遠心力を感じていたら、水をこぼしました。」
玉木はうつむいたまま答えた。
「あははははははは」
服田は笑った。それをみて笑ってもいいと感じたクラスの全員がドッと笑い始めた。私は当事者であったということもあり、他の人の数倍笑っていた。教室の中が笑いで飽和していた。さっきまで感じていた夏の蒸し暑さはいつしか、夏の“温かさ”に変わっていた。

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