危険と煙草を呑みながら part2

起きたのは朝の十一時だった。ホテルの朝食サービスは終了しており、空港で買っておいたパンを食べると、リュックを背負って外に出た。昨夜、ふっと湧き出てきた、友達を作りたいという欲望を叶えるためには、まずは人がいる場所に出なければならなかった。そのため、タクシーに乗って、ホテルから最も近い、路線バスの停留所に行った。中心街に近づいていくごとに、ビルが増えていった。しかし、そんな近代化した街の様子とは逆に、道を歩く人々の服装はあまり整えられていなかった。バスの停留所は下町にあった。多くの観光客はタクシーで移動しており、路線バスを使うことなど、ほとんどないため、付近に観光客らしい人は見当たらなかった。そのため、私のような観光客の姿が珍しかったのか、停留所付近に着くと、私が乗っているタクシーに向かって二人の男たちが大声を上げながら、やってきた。インドネシア語で喋っているため、何を言っているのかは分からなかったが、お金を集ろうとしてきているのは、彼らの雰囲気から察することができた。最初は、運転手も私も無視していたのだが、彼らはなかなか引き下がらなかった。しまいには、車の窓を軽く叩きながら、熱心に話しかけてきていた。しつこいなと感じた私は、会計を済ませた後に、路線バスを伝える旨を彼らに伝えようとしたが、それよりも前に運転手である初老の男性が彼らのことを追い払ってくれた。
 天気は快晴。外はとても暑かった。横目で先ほどの男たちが去っていくのを確認すると、停留所に入ろうとした。ジャカルタのバスの乗り方は日本のそれとは少し異なっていて、まず改札のようなところで専用のICカードを使って料金を払わなければ停留所の中に入ることができなかった。料金は一律で3500ルピア。日本円にして約35円という破格の安さである。一度乗車すれば、どの区間で降りても、値段は変わらないし、車内は冷暖房も完備されているとのことであった。もともと、この路線バスは交通量が多いことによる、事故や大気汚染の問題を解決するために、国が作り上げたシステムである。しかし、そんな政府の努力をあざ笑うかのように、利用している人はとても少なかった。乗車するためのICカードは停留所付近の券売機から買うことができるということがネットに書かれていたため、券売機を操作してみたのだが、観光客向けに作られていないため、すべてインドネシア語で操作しなければいけなかった。何を書いているのかはわからなかったものの、どの部分をタップすればいいのかということは表示されている画面から、理解することはできた。しかし、何度操作しても、カードを購入することはできなかった。どうしようもなくなった私は、路線バス乗り場にいた、女の職員にカードを購入したいことを伝えると、分かったとだけ言われ、日差しが照り付ける中で十分ほど待たされた。ただバスに乗るための手続きにここまでまたされなきゃいけないのかと私は思い始め、改札にあった鉄格子を飛び越え、女が歩いていった場所に向かおうとした。そのとき、奥から女の職員がゆったりと歩きながら戻ってきた。すると。この券売機では、ICカードを買うことはできないと彼女が言った。
 「じゃあ、どうすればいいんだ」と、若干、苛立ちを露わにする私。
 「ついてきて」と、呑気に会釈しながら、対応する職員。
彼女は、私を停留所の裏側へと案内した。停留所の裏には、掘っ立て小屋のようなものがたくさん建っており、危険な臭いがした。まるで、外貨の闇取引でもやっていそうな雰囲気がそこにはあった。私たちは、果物を売っている、周りよりもちょっとだけ綺麗な小屋に入った。すると、職員の女がそこにいた、店の主らしき男にICカードを売ってくれないかということを伝えた。彼女たちがインドネシア語で喋っていたため、私は不安になった。
カードをこの男から買うことができなかったらどうしよう。もしかすると、またぼったくられるかもしれない。いや、それ以上に、この二人が協力して私から金品を盗み取るかもしれない。
頭の中で、様々な考えが浮かび、みるみるうちに不安が募っていった。何かあったら走って逃げればいいやと思い、身構えていると、男が手をパーにして私の方に向けてきた。金額を提示しているのかなと思い、彼に英語で尋ねた。
「50000ルピアで売ってくれるのか?」
「…」
彼は英語を理解していなかったため、私の言うことが伝わらなかった。さっきまで、英語で話していた路線バスの職員に通訳をしてもらおうと頼んだが、何度繰り返しても、「translation」の単語が伝わらなかった。どうしようもなくなったため、財布から50000ルピア札を取り出し、男に見せようとしたが、寸でのところで思いとどまった。
待てよ。ここで五万ルピア札を出してしまえば、本来は5000ルピアであるはずなのにカモられるかもしれない。それなら、あえて5000ルピアを出して、もし断られたら、「お金を持っていない」と嘘をついてみよう。そして、できるだけ安く、バスに乗ろう。
急に心が躍ってきた。ここは日本ではない。お金をだまし取られることが当たり前である。だったら、こっちだって最初から正規料金を払わないという心構えでいこうじゃないか。だまして、だまされて、ときには値切りが成功したり、失敗したり。そうした、駆け引きみたいなものがこの国の経済の一端を担っているのではないか?
と私は思った。財布から5000ルピアを取り出し、男にみせた。すると、彼はTerima kasih(ありがとう)と言って、バスに乗るためのICカードをポケットから取り出した。安く買うことができたのかは分からなかったが、およそ50円という価格でバスに乗ることが確約されたため、安堵した。男から、カードを受け取ると、停留所に入り、バスに乗った。

 車内は、私と三人のインドネシア人以外、誰も乗っていなかった。国立銀行博物館や政府の官公庁がある中心部に到着すると、ようやく人が乗ってきた。連結バスの中がしだいにぎゅうぎゅうになってきた。車窓を眺めながら、ジャカルタの街並みを観ていると、大きな塔のようなものが目に入ってきた。それが気になり、次に留まる停留所で降りると、スマホを開いて、塔がある方向の地図をみた。地図によると、私がみているものはモナスと呼ばれる、独立記念塔だった。スカルノ元大統領の提案によって、作られたものであり、地下はインドネシアが独立するまでの歴史を解説する博物館になっていて、屋上はジャカルタの街並みを一望するための展望台になっていた。私は、博物館でインドネシアの歴史を大雑把にみると、屋上に上るためのチケットを買って、エレベーターに乗った。はじめは、スカイツリーや東京タワーのように、きれいな街並みを見ることができるのかなと期待していたが、実際はそうではなかった。登ってみると、思いのほか、高くはなく、自殺防止のために設置されている金網が視界を遮っており、満足に景色を見ることができなかった。一人で来ている旅行者は全くおらず、友達を作ることもできなかった。がっかりしたまま、エレベーターに乗るための列に並び、下の階に行こうとしていると、目の前にいる金髪の、眼鏡をかけた日本人っぽい顔をした男がいることに気づいた。彼は、横にいた、東南アジア系の、褐色の肌をした男と話していた。彼は私の存在に気づくと、日本語で話しかけてきた。
「もしかして、日本人の人ですか?」
私はびっくりした。まさか、こんなタイミングで日本人と巡り合えるなんて思ってもいなかった。砂漠で喉が渇き、今にも水を飲まないと死にそうだというところにオアシスを見つけたかのような気分になった。
「はい。そうですけど。」
「一人で旅行しているんですか?」
「そうですね。」
「まじっすか?俺も、一人で旅行しているんですよ。」
男は嬉しそうな反応をしていた。
「一人で旅行しているんですか?じゃあ、横にいる人は誰なんですか?」
私は、横にいる男性と喋っていながら、一人で旅行をしているという彼の言葉が引っ掛かり、訝し気な顔をしながら尋ねた。
「ああ、この人はさっき出会った人で、俺たちと同じように一人で旅をしている人ですよ。」
「そうなんですね。」
エレベーターが一階に到着するまでの間、三人でこれからどこに行くかや今までどんなところを観光してきたのかということを話し合った。会話をしているうちに、一階に到着した。我々は人ごみに流されないように、固まって外に出た。暑い日差しが照り付ける中で、お互いに自己紹介をした。日本人の男はケイというらしく、私より一つだけ年上であった。彼の横にいた、男はフアンといい、インドネシア語と英語ができるらしく、英語が通じないジャカルタでケイの通訳をしているらしかった。
こんなチャンスはない。正直、ジャカルタではあまり英語が通じず、この先もうまく旅行ができるか不安だった。彼らと旅をすると、面白いところに行けるかもしれない。
そう思った私は、彼らの旅にお邪魔させてもらった。
「俺も一緒に旅行していいですか?」
ケイよりも、フアンの方がはやく答えた。
「もちろんさ!いいに決まっているじゃないか!」
「いいです、せっかく出会ったんですから」
ケイもそれに続いて答えた。
昼なのか夕方なのか分からない時間に、独立記念塔を後にすると、次の旅先を探しながら、我々はジャカルタ市内を練り歩いた。

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