ディストピア2-6

人を指導するというのは難しくも達成感のある仕事であると私は感じている。学校の教師の場合、生徒が教師をある程度尊敬しているか、恐れたりしていない限り、「指導」が成り立つことはない。生徒が自分の言うことを完全に聞くことができないなと思ったとき、あきらめる教師もいれば、そうでない教師もいる。私がこれまでの生涯において出会った教師は「あきらめの悪い」教師の方が多かったように記憶している。

我々は掃除が終わると、体育の授業があるため、廊下を歩いていた。購買がある旧食堂抜けて芝生に覆われている中庭を通ると、階段を上り、総合体育館に入った。授業が始まるギリギリであったため、体育館の中には担当教師の徳川がバインダーをもって生徒の到着を待っていた。総合体育館は広く、一度の授業で二つのクラスが同時に使用するため、真ん中に緑色のネットによる仕切りがあった。我々はそれをスライディングでくぐったり、ジャンプして飛び越えたりして通り、徳川の許に行った。
授業が始まる数十秒前になってようやく、クラスの全員が集まり、黙想がはじまった。全員が目を閉じてから20秒たったくらいで里田が号令をした。
「気を付け、礼」
「ちょっとまてお前ら」
間髪入れずに徳川が口を挟んだ。クラスメートのほとんどが一瞬戸惑った。
「お前ら、なんで遅れたんだ」
授業自体には遅れなかったが、学校の規則である「授業前の一分間黙想」には遅れていたため、教師は理由を生徒から聞き出した。全員が黙っていると富岡が口を開けた。
「掃除の終わる時間が遅かったからです」
「それは理由になるのか?」
全員が黙った。
「ならないだろ。お前らもう一回やり直せ」
やり直せとは、どういうことだ。黙想をやり直せということなのか?だとしたら、面倒ではあるが、やるしかないな
私はそう思っていた。すると、生徒の大半が総合体育館の入口へと走り出した。
ああ。そういうことか。やり直すというのは列に並ぶという最初の段階からやり直すのか
と私は思い、彼らについていった。しかし、実際は予想していたことの上をいくものだった。総合体育館の入り口にある下駄箱についたとき、私以外の人間は何の疑いもなく、階段をおり、教室のある方向へと走っていた。私は意味が分からなかったので横にいる富岡に尋ねた。
「え、原島とか里田はどこに行ってるの?」
「教室だよ」
「え、なんで?」
「だって、やり直すって最初からだろ?じゃあ、掃除時間直後の“教室で喋っていたところから”やりなさないとな」
ああいえば、こう言う。彼らの態度はこのことわざに最も適しているといった感じの、完全に徳川という一人の大人を馬鹿にした行動をしていた。そして、私自身もその一人であった。
「そうか!そういうことか!」
私は友人と共に教室に戻った。階段を下り、通ってきた道を戻ると、教室に着いた。
教室ではお茶らけている人間が何人もいた。
「ブーストっ!」
「キュイ――――ンッ!ドン!」
茶番をしている者やそれをみて笑っている者、様々な人間がそこにいた。
「バン!バン!バン!」
私は手を銃の形にして、申し訳程度に茶番に参加すると、すぐさま戻った。
体育館に着くと、最初と同じように徳川が我々を待っていた。列を作り、里田が再度、号令をかけようとしたとき、またしても口を開いた。
「まて、おまえら、なんでこんな集まるのがおそいんだ」
「教室まで帰ってやり直していたからです」
一人が答えた。
「お前ら、なめてるだろ。もう一回やり直せ、今度は下駄箱まででいい」
我々は下駄箱に向かって走った。途中、あまりものバカバカしさに笑っている人間が何人もいた。もはやここまできたら徳川の出す「やり直し」を楽しもうではないかといった空気が生まれ始めていた。
体育館の下駄箱から、もう一度整列しなおし、黙想しているとき、私は思わず声をだして笑ってしまった。笑ってはいけないと思っていたため、普段はつまらないと感じているようなことを思い出して笑ってしまったのだ。静かな空間に「ハッハー」という私の声が響いた。
「はい、笑った。やり直せ」
予想通り、やり直しを命じられた。
「おーい、竹下だるいぞ!」
友人たちの本気ではない叱責が気持ちよかった。みんなでふざけている。連帯感を持って大人に細やかな反抗をしている。そんな事実が思春期の私には心地よくって仕方がなかった。
三度目の正直。
我々は今度こそは何事もなく、黙想にありつけることができた。ようやく授業がはじまろうとしていた。
「気をつけ、礼!」
「ごきげんよう」
「おいちょっとまって、さっき黙想のとき目を開けている奴がいた、やり直せ」
まさかの展開であった。もはや、下駄箱から徳川のもとに走るという行為そのものが一種の体育なのではないかと錯覚し始めていた。そのためなのか、走っているときに両手を背中の方まで持ち上げて走ったり、手を大きく振って走っているものなど、走り方に工夫をする者すら出てきていた。
四回目の整列。クラスメートの大半が真面目に黙想をしていた。今度こそは授業を始められる。誰もがそう思った。
体育委員が号令をした。徳川も挨拶をした。ようやく、授業は始まったのである。ふと、私は体育館の観客席がある場所に設置されている時計に目を遣った。時刻は午後2時05分。二年四組と体育教師徳川はおよそ、25分もの間、茶番をしていたのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?