ディストピア2-5

最も身近にある物理的な武器とは何だろうか。ペン?いや、違う。スマートフォン?いや、それも違う。ベルト?いいや、それも違う。
正解は重力だ。高さのあるところから落とせば簡単に相手を痛めつけることができる。場合によっては殺すことだって可能だ。
私はクラスメートが新しい遊びを見つけたこと知った。それは「せーのっ!」である。かいつまんで説明すると、落ちる胴上げである。複数人によって一人の人間の縦向きに投げて地面にたたきつけるという遊びである。主に地面にたたきつけられていたのは玉木と酒谷であった。本来、この遊びは小学校のときに酒谷がよくやられていたものであったのだが、最近になってここに玉木が加わったらしい。
休み時間になると、富岡が玉木の足を引っかけて、彼をこかした。玉木は自分の上に人が積み重なってきた体験や酒谷が地面にたたきつけられるのをみていたため、すぐに体勢を立て直そうとしたが遅かった。彼のもとにやってきた原島や里山によって体は抑えつけられ、さらに集まってきた男たちに頭の先から足の先までつかまれた。私は玉木の太ももをもつと、他の連中と共に、彼を、赤子でもあやすかのようにして縦方向に揺すった。体をばたつかせて、抵抗するも、玉木の体は高い場所へと上がっていった。彼は希望の階段ではなく絶望の階段を上っていたのだ。およそ、地面から高さ100cmほどのところに玉木の体がきたとき、原島が声を上げた。
「せーのっ!」
その瞬間、玉木を支えていた14本の手が彼の体を同時に離れた。そう、地面にたたきつけられたのである。ごつんという鈍い音と共に、男子生徒は床の上で水揚げされた魚のように跳ねていた。周りの人間はそれをみて笑った。私自身もその一人であり、笑っていた。教室中には笑い声が響き渡っていた。
「痛い!痛い!」
他の人間とは対をなすようにして、男子生徒は床にたたきつけられた痛みにあえいでいた。
全員が笑っているところで、富岡が急に酒谷の足をひっかけ、転げさせた。さきほどまで笑っていた酒谷の目からは光が消え、何が起こったのかわからないというような顔をしていた。すると、我々は酒谷の体を持ち上げた。このクラスの人間は誰かが床に寝転がると、餌を投げられた池の鯉のように光の速さで、とてつもないエネルギーをもって集まってくるという性質を持っていた。じたばたと動く男子生徒を複数人の男たちが持ち上げており、誰一人として、酒谷の体から手を離すことはなく、“合図”を待っていた。
気がつくと、先ほどまでもがいていた玉木が酒谷の体をつかんでいた。普段は、攻撃を受ける側の人間であったからなのか、彼は満面の笑みを浮かべていた。
「ちょっとまってまって!」
これから地面にたたきつけられる男の声がした。だが、彼の願いとは裏腹に体はどんどん高い位置へと移動していった。
「せーのっ!」
里山の掛け声によって、全員の手が離れていった。
ごんという鈍い音が鳴った。酒谷は玉木よりも質量が大きかったため、さきほどよりも鈍い音が鳴った。彼が地面の上でもがいている姿をみて我々は笑っていた。そして、だれよりも笑っていたのは玉木であった。
私はもがき苦しんでいる人間をみているとき、思わず言ってはいけないことを言ってしまった。
「これ、どんくらい痛いんかな」
私はしまったと思った。しかし、周囲の人間は私の発言に気づいていないように思えたが、それは違った。
「じゃあ、試してみる?」
横にいた富岡が話かけると、同時に足をひっかけてきた。
絶対に転んではいけない。
そう思いながら、足の筋肉を硬直させ、体勢がくずれないように努力した。
「竹下、あんま痛くないって」
「いや、絶対痛いやろ」
富岡は喋りながら、私を転がそうとしていた。必死に抵抗したが、あるとき脚の力が抜けてしまった。その瞬間、クラスにいたと男から体を抑えつけられた。
ああ、終わった。これから落ちるんだ。でも、落ちたくない。せめて、必死に抵抗はしよう。
私は全身を使って、「せーのっ!」から逃れようとした。それが功を奏したのか、幸い、持ち上げられることはなく、一命をとりとめた。
安心し、床に座っていると、突然体が浮遊する感覚がした。何が起こったのか分からなかった私は首を曲げ、腰のあたりあった人間の感触の正体を探った。すると、後ろには私を一人で持ち上げている富岡の姿があった。油断していくうちに体は徐々に高度の高い場所へと移動していた。
にげなければ。そう思った瞬間、私の右腸骨に激痛が走った。体重がいや、重力が体の一点に集中し、ごんという音が小さく鳴った。体を前後にうねらせて、喘いだ。だが、痛みは治まる気配がない。私の感覚器官は痛覚以外反応していなかったように思える。酒谷や玉木が「せーのっ!」をされ、もがいているときに他人が笑っていることについて言及しないのはおそらく、このためなんだろうと私は今になって気が付いた。あまりにもの痛みに、周りの景色が霞むのである。結局、五分もがいていると、痛みは消えた。しかし、クラスメートは私の苦しむ姿をみて、まだ笑っていた。近いうちに自分が当事者になるとは知らずに、彼らは高みの見物をしていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?