危険と煙草を呑みながら part3

モナスを後にすると、軍事博物館や東南アジア最大のモスクである、イスティラクルの大モスクを通って、ガンビル駅に向かった。モナスにいるときに、三人でモスクに入ってみようと言っていたものの、金曜礼拝の日であったため、非ムスリムである私たちは、入ることができなかった。私も、フアンも、ケイも行きたい場所がなかったため、とりあえず電車に乗ろうということになり、汗の臭いが充満した満員電車に乗って、コタ駅で降りた。当時、インドネシアでは、G7が開催されており、コタでは、それに伴った様々なイベントが開かれていた。駅から出て、歩いていると日本では見られないような光景がたくさん目に入ってきた。虹色の装飾品をつけた馬や明らかに著作権を侵害しているとしか思えない、キャラクターものの風船、あらゆる衝撃的な風景の中でも、ひと際目立っていたのが、未成年喫煙だ。高校生が歩きたばこをしているのはもちろん、中学生なのか小学生なのかわからない幼い子供たちも平然と煙草を吸っていた。街の電柱や建物の壁には、20歳以下の喫煙を禁止する張り紙がたくさん貼られているにも関わらず、老若男女問わず、口から煙を出していた。
 「すげぇ、子供でも煙草吸ってるよ。」
ケイが小さい声で、驚きながら言っていた。
 「たしかに。でも、インドネシアも20歳以下は煙草を吸ってはいけないはずなんだけどな。」
私たちが、そう話していると、フアンが言った。
 「インドネシアでは、未成年の煙草の購入が禁止されているだけで、喫煙が禁止されているわけではない。だから、中学生や高校生でも、煙草を吸えるんだ。だから、ここでは中学生も煙草を吸うのが普通だよ。」
 なるほど。日本において、大麻の所持は罰せられるが、使用することは罰せられないというのと同じなのかなと私は思った。それにしても、喫煙者の数が多すぎて、しばらくの間、何も考えられなかった。また、私自身がたばこを吸うため、喫煙に時間と場所の制約を受けないインドネシアが羨ましかった。
 フアンが、どうせならG7のイベントでも覗いてみないかと言うので、我々は紫色のバルーンアーチで囲われた、イベント会場の入り口を入ろうとしたのだが、係員の人間に今日はもう入れないと言われた。コタに来たものの、またしても行く当てがなくなった私たちは、とりあえず、周辺でそぞろ歩きすると、コタ駅に戻った。電車を待っている間、汗を拭きながら、腕時計を確認すると、時刻は17時になっていた。ご飯を食べるには微妙な時間だが、腹が減っていないというわけではなかった。かといって、ここで、せっかく出会った二人の友達と別れてしまうというのも、どこか切なかった。三人で駅構内の地面に胡坐をかいて座っていると、またしてもフアンが提案してきた。
 「今度は、都心に行ってみないか?そこに行って、ご飯を食べたくなったら、食べたらいいし、歩いていて、どこか行きたいなと思ったところがあれば、そこに行けばいいじゃないか。」
 「そうしよう。」
私は、二つ返事で彼の提案に乗った。思い返せば、フアンはこの数時間、ずっと私とケイを引っ張ってくれていた。切符の買い方や目的地への行き方が分からなくなったときは、彼がインドネシア語で近くにいる人に聞いてくれていたし、何かあった時も、すぐに通訳をしてくれていた。また、逆にフアン自身が道を間違えているときは、私とケイで協力し合いながら、目的地へと向かった。三人とも、得意なことも違えば、苦手なことも違った。しかし、誰かが困るたび、誰かが立ち止まるたびに、我々は一緒になって止まり、歩幅を合わせた。出会ってほんの数時間しかたっていなかったが、みえなくて、それでいて強い一本の糸で三人は繋がっていた。
 コタ駅からスルディマン駅という場所に行った。さほど時間はかからなった。先ほどと同じように、満員電車に揺られると、人ごみをかき分けながら電車を降り、駅の改札を出た。駅周辺の道はあまり舗装されていなかった。上を見ると、高層ビルが何棟もそびえたっているのが見えている。このように、ジャカルタでは顔を見上げると、近代化の波を感じる。しかし、下をみると瓦礫が積もった、危険な道路をヘルメットもつけず、サンダルとタンクトップ、半ズボンのみで整備している褐色のインドネシア人が複数人いるのが見える。一見、発展しているように見える場所でも、ほんの少しだけ、違うところに目をやると、経済格差のようなものをありありと感じる。我々は、グーグルマップを開き、近くにある観光地を探した。すると、map上にJPOkarketという場所が表示された。写真を見る限りでは、八車線もある、大きな道路の上に建てられた、小洒落た歩道橋のようなものであった。フアンが「有名な場所だよ。知らないのか?」と言ってきたため、私とケイは首を横に振った。正直、おもしろそうな場所ではなかった。でも、行ってみると、案外、いい景色なのかもしれない。それに、魅力的ではなくても、三人で喋りながら歩くというだけでも十分楽しいなと思ったため、私はついていくことにした。60キロ以上で走る、車の大群を横目に綺麗に整備された、ゴミ一つないアスファルトの歩道を横並びになって歩いた。
 「明日からの予定は何かある?」と、フアン
 「俺はバリに行く。そこで、ビーチで一日過ごした後は、イジェン火山に行くんだ。」と、私。
 「イジェン火山?どこにあるの?」と、ケイ
 「イジェン火山はジャワ島の端っこにある火山だよ。でも、ここは普通の火山とは違って、炎が青いんだ。それが、テレビで放送されているのをみて、いつか絶対に行こうって思ってたんだ。」
「バリか、、、いいね、きれいな場所だよ。」
フアンとケイは、笑顔で言った。
 「フアンとケイはどうするの?」
 「俺は、電車を乗り継いで、ジャワ島に行くよ。ボロブドゥールを見に行くんだ。それで、フアンもジャワ島に行くらしいから、二人で行くことにしたんだ。」
 私は、それを聞いて自分もジャワ島に行きたくなった。厳密に言うと、彼らと一緒に旅をしたくなったと言った方が正解なのかもしれない。しかし、既にバリ行きの航空券も取ってあるし、ホテルも予約していたため、それはできなかった。フアンから、シンペイも一緒に来ないかと言われたものの、ホテルと飛行機をとってあるから、行きたいけどいけないと伝えると、彼は、ほのかに顔に皺を作り、それは仕方ないねと言った。
 三人で旅行プランとあれこれ話し合っていると、目的地についた。思っていた以上に人は多かった。ざっと、20人くらいはいた。歩道橋であるため、20人であっても、沢山人がいるように感じた。橋の上では、高層ビル群を背景に写真を撮っているカップルや晴れ着姿をまとった、新婚の夫婦もいた。フアンの言う通り、インドネシア国内では、人気のある場所であるらしかった。我々は、橋の上の中心部に行き、近くにいた人にスマホを渡し、三人の集合写真を撮ってもらった。私は左に、フアンは中央に、ケイは右側に立って、下の道路を駆け抜けていく車と煌々と光るビルを背景に…。撮った写真をみると、私は心地よくなってきた。三人とも笑顔だったからだ。それも、写真を撮るための笑顔などではなく、心から旅を楽しんでいるときに出てくるような、純度の高い笑顔だった。この日、私はあることに気づいた。
 これまで、私は、誰かと友情を気づくには時間が必要だと考えていたがそうではないようだ。会ってから、数時間しか経っていなくても、言葉がしっかりと伝わらなくても、人は助け合い、感情を共有することができる。そうだ!言葉や時間は、人が分かり合うためのツールでしかない!大切なのは、そのツールをどう使うか、どう使おうとするかだ!
 と私は思った。言葉にすると当たり前のことであるかのように思える。しかし、その当たり前だと思えることを、心から「分かった」となった、この瞬間は、とても心地が良く、幸せであった。
 一通り、歩道橋の上を歩くと、夜ご飯を食べに行った。スルディマン駅の近くにある。大衆食堂でご飯を食べることにした。人が多く、料理には虫がたかり、トイレも目を覆いたくなるような汚さで、いかにも海外らしい食堂であった。私は、そこでインドネシア語で書かれたメニューをみて、注文をした。正直、何が出てくるかも、自分が何を頼んだのかさえもわからなかった。もしかすると、ゲテモノ料理が来るかもしないと思ったが、実際に来たのは、ナシゴレンという、ビビンバのようなご飯だった。ケイとフアンは、私とは違ったものを頼んでおり、ケイは、ナシゴレンにスープが付いたものが、フアンには、ミーゴレンという、焼きそばに目玉焼きをのせたような料理が提供されていた。一日中、炎天下を歩き回り、腹が減っていたため、我々は12,3分で完食した。米粒一粒、麺一本たりとも残さずに、きれいに食べた。ご飯を食べると、ケイがポケットから煙草を取り出し、一服した。すると、彼は吸っていた煙草をフアンにみせ、ジャパニーズシガレット!と紹介していた。私は、煙草を忘れていたため、ケイに一本くれないかと頼んだ。すると、フアンが「どうせなら、インドネシアの煙草を吸ってみない」と言ってきた。思い返してみると、外国の煙草を吸ったことがなかった。日本の煙草よりも、強いと聞いていたものの、実際にどのくらいの違いがあるかは吸ってみないと分からなかった。そのため、今すぐにでも、吸ってみたくなった。すると、私の気持ちを察知したのか、ケイが
 「今から、みんなで買いに行こうよ」と言ってくれた。
我々は、会計を済ませて食堂を出ると、近くにあったコンビニで煙草を買った。ケイはガラム・スーペリアという銘柄を私はサンプルナという銘柄の煙草を買った。電車が通っている、高架下で三人は固まり、煙草を吸った。橙色に光る円柱形の先っちょを見つめながら、深呼吸でもするように、ゆっくりと肺に入れた。とても甘かった。シロップでも舐めているのかと思うくらいに甘く、吸っていくうちにクセになった。ケイが吸っていたものは、もっと甘く、強かった。あまりにも強くて、咳き込みそうになった。しかし、ガラムも吸えばすうほど、おいしく感じた。私は、ふと煙草のパッケージを見て、タールの量を確認した。そこには、16mgと書かれてあった。気になって、ガラムのタール量も観てみると、30mgと書かれてあった。日本の煙草でタールが多いといわれている、セブンスターですら14mgである。つまり、インドネシアのものは、規格外のタール量が含まれているということである。しかし、まったくもってヤニクラしないため、不思議であった。いつもの癖で、煙草を吸いながら腕時計をみると、針は20時を刻んでいた。取っていたホテルが空港の近くであり、今いる場所からかなり離れていたため、そろそろ帰らなければならず、私は別れを切り出した。
 「もう、帰っちゃうのか。」
フアンとケイが寂しそうに反応した。
 「うん、ホテルが空港の近くにあって、ここからだと帰るのに、時間がかかるしね。それに、明日のバリ行きの飛行機が朝早いんだ。」
 「そうか!明日、バリに行くんだ!」と、フアンが言った。
 「そうだよ。バリでも、二人みたいな人に出会えるといいな。」
私は、迫りくる別れを惜むようにして言った。
 「出会えるさ、良さそうな人がいたら、話しかけなよ!」
フアンは、自分事のようにワクワクしていた。ケイもまた、笑顔で、楽しそうに話を聞いていた。
 「バリかぁ…。リゾート地だから、ジャカルタよりも風俗とか多そうだな。」と、ケイ。
 「確かに。バリの女の子ってかわいいのかな?」と、私。
 「さぁ、どうかな。でも、ビーチがたくさんあるから、そこに行けば綺麗な姉ちゃんたくさんいそうだけどね。」
 「それは、間違いない!」
そういうと、私は吸っていた煙草を道路に投げ捨てた。それに続いて、ケイとフアンも煙草を捨てた。
 「じゃあ、もう俺は行くよ。」と私が言い
 「ああ、元気でね。バリで楽しんでね。」とケイが言い
 「今日は楽しかったよ、本当にありがとう」とフアンが言った。
私は、ありがとうと言い返し、二人と握手をした。
 「それじゃあ、またどこかで。」
私は、二人にそう言って、手を振ると、踵を返して、駅の方へと歩き始めた。群衆の中をただ一人、歩いた。ただただ、まっすぐと。後ろを振り返らずに。

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