ディストピア(プロローグ)

過去にとらわれていてはいけない。前を向いて歩け。そんなありきたりともいえる言葉に私はここ最近、嫌気がさしてきた。自身が取りつかれてしまうような、しがみついて離れたくないような過去をもっていること自体が素晴らしいことなのではないかと私は考えている。虐待やいじめに悩んでいた人間たちは過去を振り返るというプロセスすら苦痛になる。それに比べれば輝かしい過去があるということはなんとも幸せな、恵まれたことではないか。
今日は十年ぶりに中学・高校時代の友人と出会った。卒業式のあのときと比べると、友人たちの体と心はすっかり変わってしまっていた。結婚をしている者や、会社でそれなりに稼げるポストのつくことができた者、変わりようは様々であった。酒を飲みながら行われた話はパートナーの愚痴や会社の同僚の陰口もあったが、ほとんどが中学・高校時代の思い出話であった。酔っているせいなのか、涙をちらつかせながら感傷にひたっている友人もいた、私自身もノスタルジーに浸り、もう一度あのときを過ごせたらなと思いながら古い友人たちと談笑していた。
同窓会が終わると、友人たちと別れを告げ、一人で甲州街道を通り、新宿駅に足を運んだ。駅に着くと、人ごみをかきわけ、中央西改札から中央線に乗った。電車の中には酔っぱらってぐったりとしている中年男性や恋人との別れを惜しむようにしてお互いの肩を寄せ合っている若者の姿もあった。人気のない電車に揺られること7分、酔いも冷めやらぬ状態で四ツ谷駅に到着した。私は駅の近くにあるスーパーで明日の朝食と豚肉を買うと、商業施設として使われているビルを通り抜け、防衛省の麓にある自宅を目指して歩いていた。すると、ふと冷たい風が私の体にあたった。よっているからなのか、秋は始まったばかりなのに私のからだはぶるっと震えた。その瞬間、我に返った。
「本当に?」
そんな問いが頭を駆け巡った。
家に着き、部屋でくつろいでいるときも、その問いは止まなかった。
「本当に私の過去は素晴らしいものなのか?迷治学園は心地よかった、友人も最高だった。それらは一生の宝物であることには違いない、でも本当にそうなの?」
ここ最近、年のせいなのか自問自答をすることが増えた。良くも悪くも自分のことを見直すような習慣がついてきたのである。
確かに、誰がどう見てもあの学校は私にとってはユートピアであったことに違いないと思っている。多少、空気が読めなくても、人間的に欠陥があっても、それを受け入れてくれる人間しかいなかったあの学校はこの世のどこをさがしてもみつからない、理想の場所であったと私は思っている。
本当に?
だったら、どうして、私の心からは寂しさが消えないのか。どうして、同級生と会うたびに寂しさで押しつぶされそうになるんだ?
そんなことを考えながら、私は机につき、筆をとった。

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