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ミセスの「コロンブス」炎上騒動に思うこと

 人気ロックバンド、Mrs. GREEN APPLE(以下、ミセス)の最新曲、「コロンブス」のMV(ミュージックビデオ)が、「ヨーロッパの白人がかつてアメリカ大陸の先住民を虐げていた歴史を揶揄している」として批判が殺到し、公開停止、アーティストが謝罪する事態となりました。

 動画は削除されてしまったため、直接は確認していませんが、ネットに流れてきた断片的な画像を見る限り、たしかに「差別的だ」という批判をする人が出てきても仕方がない表現があるように感じました。

 謝罪文を読むと、同曲は「コロンブスの卵」という言葉に着想を得て制作され、MVのコンセプトとしては「歴史的時間軸は存在せず、類人猿も人の祖先として描き、時間の垣根を超えてホームパーティーをする」というフィクションの物語であり、決して差別の意図はなかったが、結果として狙いとは違った意味合いを含んでしまった「配慮不足」を原因としています。

 おそらく彼らには本当に差別の意図はなく、製作陣の中にも明確な悪意をもっていた者はいなかったでしょう。アメリカ大陸を「発見」したコロンブスという人物の歴史的評価が、近年になって「奴隷制や人身売買に深く関与している」として急降下していたことも災いしたものと思われます。

 さて、この件について「歴史を学ぶことはやはり大事だな」という言説を見かけます。たしかにそれはその通りなのですが、この件で怒り狂っている人は、歴史を学ぶ意味を何一つ理解せず、歴史を利用して他者を攻撃しているに過ぎないと私は思います。

 まず大前提として、我が国をはじめとした近代的な国家には「表現の自由」というものがあります。これは特定の人物や団体の名誉や財産を毀損したりしない限り、何を世間に発表しても阻止されることはありません。ミセスの「コロンブス」MVは、直接的に現代の誰かを傷つける表現があるとは認められず、自由の範囲内であるといえます。

 余談ですが、昨今は小説や映画、漫画、アニメに関して、「表現が差別的だ」だの「傷つく人もいるんですよ」だの、具体的な内容のない「お気持ち」クレームが元で、作品が公開停止になったりすることがあります。不快だと感じるのなら見なければいいのに。

 もちろん、批判をするのも自由ですし、それを受けて表現を取り下げるのも自由です。しかし、これだけは強調しておきたいのは、今回の「コロンブス」のMVが表現として「間違っていた」ということは絶対にない、ということです。

 よく考えてほしいのですが、コロンブスは1506年に亡くなっている「歴史上の人物」です。コロンブスが奴隷制に深く関わっていることは承知していますが、そんなことを言い出せば中世以前のヨーロッパの偉人の多くは奴隷を所有していました。これでは欧米の偉人のほとんどが、表現に使えないことになります。

 「歴史を学ぶ」というのは、当時の人々の言動を現代の価値観で裁くということでは決してありません。織田信長を「殺人犯だ」と断罪して何になりましょうか。欧米人が先住民を虐げた過去は、決して褒められたことではありません。しかし、それも含めて、取り返しのつかない「歴史」であり、それを学んだ上で私たちの生きる上での指針とするのが、歴史を学ぶ最大の意義といえます。

 人間、誰しも良い面と悪い面があります。コロンブスは最近になって負の側面が強調されていますが、それで彼の功績が消えることはありません。ミセスの楽曲はフィクションであることを横においても、コロンブスに対するイメージの一側面を描いた表現の一つに過ぎず、歴史的に誤りであると断ずるのは独善的と言わざるを得ません。

 「コロンブスは奴隷制を助長した悪人だからね」と賢しらに論評する人を見ていると、かつての白人国家が「肌の色が違う異教徒は文明のない劣等人種だから、私たちが導いてあげなきゃね」と本気で考えていたことに、何か似たものを感じるのは私だけでしょうか。

 「誰が正しい」「それは間違っている」と議論するのは自由です。しかし、「その表現は間違っているから取り下げろ」とか「傷ついている人がいるから謝罪しろ」とか、何かと理由をつけて相手の言論を封殺したがる人に、歴史を語る資格などありません。

 

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