5.英雄たりえる力

 泥に覆われた岩山で、ウィルと『沼男』は対峙していた。

 無くなった手首を抑えながら『沼男』が赤い眼を揺らして天に向かって怒り叫ぶ。
その叫びは草原中に響き渡るほどの大声量だった。
叫びに呼応するかのように、夜空は瞬く間に暗雲に覆われ、ぽつぽつと雨が降り始め、気づけば周辺地域は暴風雨に晒されていた。

ウィルは背に括り付けていた槍の二本ある内の一本を地面に突き刺し、もう一本を片手に持ち『沼男』に差し向ける。

「よお、やっとその面拝めたぜ?
どんな気分だ?テメェの手がなくなるってのはよ。」

『『オオオオオオオオッ!』』

『沼男』は唸り声を上げながら自らの先のなくなった腕を見て泥を操る。
泥は消し飛ばされた拳の形を作り、瞬く間に『沼男』の手は再生した。

「自己再生か?流石、幻獣種ってのは普通とは違うな。
じゃあ……再生できなくなるまでぼこぼこにしてやるよッ!」

ウィルは弾丸のように飛び出した。
踏み抜かれた泥の大地は弾け飛び、ウィルの動きを阻害するに至らない。
更に加速し続けるウィルはやがて『沼男』の視界から消える。

 何かが泥を巻き上げながら『沼男』の股下をくぐり抜けた。
視界が極端に下がる。両膝が消し飛んでいることに、大地に跪いてから気づく。
すぐに両膝を見て泥を出して両膝を再生させる。
疾駆する獣の如き人間はすぐさま左腕を消し飛ばして、また疾駆しだし『沼男』の周囲を駆けまわる。

 『沼男』は困惑していた。
なんだ、この人間は?
降りしきる大雨で岩山は泥の沼地と化している、それにも関わらず、まるで泥が無いかのように疾駆できるこの人間はなんだ?
なんだ?何が起きている?
今己に襲い掛かるこれは、本当にあの矮小な人間種なのか?
左腕を見て再生させるが、またあの人間が向かってくるに違いない。

『沼男』は泥を操り巨大な泥の塊を宙に浮かせ、周囲一帯に己ごと大質量の泥を叩きつける。
岩山の大地が粉々に砕け、凄まじい破砕音が鳴り響く。
それでも岩山でただ一点だけ、降り注ぐ泥を物ともせずに消し飛ばした男がそこに立っている。

暴雨の中から己を睨み続ける男の眼に『沼男』は恐怖し、思わず後ずさる。
何故だ?何故潰れない?何故泥で動けなくならない?
ただ一本の槍で己の体を抉り穿つこの人間はなんなんだ?

「なんだこいつはって聞こえるぜ、知りたいか?教えてやるよ。
俺の名前はウィル!村一番の偉大な狩人の息子にして、これからお前をぶち殺して英雄になる男だ!」

男は、ウィルは、槍の穂先を差し向けながら怪物にぶち殺してやるぞと宣誓した。

『沼男』は更に分厚く重い泥を纏い唸り声を上げ、拳でその宣誓に応える。
暴風雨と泥を纏う拳が轟音を鳴らしながらウィルに迫る。
ウィルの姿はすぐさま掻き消え、『沼男』の拳は大地を破壊するだけにとどまる。
またもや左足が弾け飛び、『沼男』はたまらず右足で膝をつき左手を地面につける。

己の顔面に迫りくる槍。咄嗟に右手で庇う。
結果として右手は弾け飛んだが、顔を隠す事に意味があった。
どれだけ素早く動き回っても、今この瞬間は確かに右手を弾け飛ばした己の顔の前にいるはずだ。

体内に溜め込んでいる泥が喉元まで上がってきていた。
渾身の泥のブレスを吐く。地平線まで突き進むかのようなブレスは大気を裂き、大地を破壊する。

『沼男』は己の弾け飛んだ箇所を見て体を再生する。
両足で立ち上がってブレスの先を見たが、ブレスによって直線に抉れていた大地は途中で真っ二つに分かれている。
ウィルは、泥のブレスを真正面から受け止めて己の槍で二つに引き裂いていた。

「どうした?大技はもう終わりか?
もう少しカッコつけさせてくれよ、クソ親父が見てんだ。」

再びウィルは獣の如く疾駆する。
最初よりもずっと力強く、速く、鋭く。
更に加速した槍が『沼男』の片足を消し飛ばす。
『沼男』はがむしゃらに両腕を振り回して周囲の地面を砕くが、ウィルには効果がなかった。
更に片足を消し飛ばされ再生は全く追いつかない。
両腕で体を支える『沼男』は常に駆け回り続けるウィルを探そうと周囲を探る。
しかし見つけることはできず、右腕も消し飛ばされる。
堪らず地面に倒れ込んだ『沼男』の両眼をウィルは槍で薙ぎ払い潰した。

「お前、泥を操ったり体を再生したりするために力を使う時、それが必ず視界に入ってないとダメなんだろ?だから怪我を見て治さなくちゃならない。
もし違うってんならさっさと再生したほうがいいんじゃないか?
早くしないともう死んじまうぜ、お前」

ウィルの言葉に危機感を覚えたからかは分からない。
『沼男』は突如膨れ上がり、その身に纏っていた泥が無数の鋭利な刃になって周囲に高速で飛散する。
ウィルは『沼男』から距離を取って回避し、回避しきれない泥の刃は全て槍で薙ぎ払った。

遠く、泥が弾け飛んだ爆心地には泥を一切身に纏っていない『沼男』がいた。

『沼男』の体は五体満足で再生していた。
まるで魚と人を合わせたような顔が露わになり、その表情は怒りに染まっている。

『『オオオオオオオオッッ!!』』

『沼男』は怒りの咆哮をあげる。
その身に泥はない。全ての泥を使い切った『沼男』にはもはや泥を操る力も自己再生もない。
泥を纏っていた時よりもずっと素早い動きでウィルに向かって走り出す。

だが、ウィルの元に辿り着くことはない。

ウィルは投槍の構えをとる、左足を大きく上げて地面を踏み抜く。
踏み抜かれた大地は悲鳴をあげ、強く握りしめて振り上げられた槍は今か、今か、とその時を待っている。

「これで……終わりだああああああああああ!!!」

雄叫びと共に、必殺の槍が放たれる。
一筋の光が夜闇の暴風雨を引き裂きながら暗雲を吹き飛ばし天に届いた。

ズシンという音を立てながら胴体に大穴が空いた『沼男』はすっかり泥が消えた岩山に沈んだ。
今、厄災にも例えられる幻獣種が一体、ウィルという少年によって倒された。



 僕はただ黙ってウィルと『沼男』の戦いを見ていた。
きっとこれは英雄譚の序章で、ウィルの英雄譚はここから始まるんだ。
そんな気がして、何よりこの胸の高鳴りをしばらくは抑えられそうになかった。

ウィルがやっと僕に気がついた。驚いているようだった。

「ラム!……なんでいるんだ?
いや、そもそもいつからそこに居たんだ?」

……………。

「はあ…………。
聞きたいこと、言いたいこと!沢山あるけど!
今回ばかりは先に言わせてもらうよ!ウィルのばか!あほ!なにやってんの!?
まず戦うなら僕にも言ってよ!大事なことを黙っておいて、なにをやりきったぜ、みたいな晴れ晴れとした顔してるのさ!この英雄ばか!
そもそも派手に暴れ回って!狩人さんは重症だったんだよ!?もう少し気を遣いなよ!大ばか!
僕が来てなかったら戦いの余波で死んじゃってたよ!?
なんならウィルがトドメ刺しそうな勢いだったよ!!大あほ!
暴風雨とウィルが戦ってる余波に晒されながら一生懸命に狩人さんの傷の手当てをして、体温が下がらないように厚い布に包んで、僕が体を張って雨風を遮ってたっていうのに!!
最初にかける言葉が、なんでいるんだ??????
流石の僕も怒るよ!村一番の大ばかウィル!」

はあはあ、僕は一息に思いの丈を全てぶつけた。
いや、まだ言ってないことがあるけど。

「あー……すまん、ラム、流石に反省してる。
でも、その、言い訳させてくれないか!?気にしてる余裕が無いくらい全力で戦わなきゃ倒せない相手だったんだ!
その〜、だからラムが居てくれて良かったぜ!な!な?」

ウィルが申し訳なさそうに僕に両手を合わせて謝ってくる。
僕はなるべくウィルの声を真似してキメ顔を作りながら言う。

「『どうした?大技はもう終わりか?
もう少しカッコつけさせてくれよ、クソ親父が見てんだ。』って、聞こえたけど?その時ウィルの親父さんは僕に手当されてたよ!!」

「うわあああああああ!!ラムうううー!!本当にごめんよおおおおおお!そんでありがとおおおおお!」

そんなことを言いながらウィルが大きく頭を下げ、膝をついて僕に擦り寄ってくる。

「ぷっ、あはははは!いいよ!全然気にしてないから!
本当はね、すっごーくかっこよかったよ!
僕の自慢の幼馴染だよ!大親友!
ウィルはもう村の英雄なんだからね!?
13歳で幻獣種を倒した人なんてこの大陸中探したって、きっとウィルだけだよ!本当に、もうとってもすごいんだから!
分かってるの!?」

僕はついに気持ちを抑えられずに、大はしゃぎしながらウィルを褒めちぎった。
ウィルは本当にすごいんだよ、心の底からそれが誇らしくて仕方ないんだ!

「ああ……俺はラムの最高の幼馴染で大親友だぜ!
誓うよ、それだけはこれから先もずっと変わらない。
村に帰ろうラム、親父は俺が背負うぜ。
……ったく、すやすや寝てんなあ、このクソ親父……。」

悪態を垂れつつもウィルの父親を見る顔は安堵と喜色に染まっていた。

夜空に輝く星々が、そんな僕たちの帰り道を見守ってくれているようで、これからの行く末を祝福してくれているようでもあった。

うーん、村……遠いなあ……僕もう疲れたよ、ひえー。

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