16話 魔導老公

 地平線の果てまで覆うような黒い波。
魔種の群体、大蟻の軍隊がもう目の前まで進軍して来ている。
ラムとウィル、そして辺境伯軍は領都の岩山方面に簡易的な防衛線を作り、衝突の時を待っていた。

「ラム、作戦は覚えてるよな?」

ウィルが隣に立つラムに話しかけた。

「えーと、辺境伯軍はここで迎え討って防衛に徹する、ウィルはどこかにいる女王アリを潰しに突撃、僕は防衛線が崩れない様に押し負けている箇所を助けに行く遊撃兵、合ってる?」

「合ってるぜ!防衛線が維持できるかはラムにかかってる、頼んだぞ。」

「うん、任せてよ!ウィルこそ、さっさと女王様を倒して来てよね!」

「おう!」

 ラムは胸元の首飾りを握った、これはセレーネから貰ったもので、セレーネ曰く御守りらしい。
セレーネは戦場に出るラムの身を酷く心配していたが、ラム本人は至って平静だった。

「さて、僕の剣はどこまで届くのかな!」

「おいおい、油断だけはするなよ?」

 張り切っているラムをウィルは一瞥しながら一人で走り出した。
まるで散歩するかのように歩き出し、小走りに変わり、駆け出した。
加速していくウィルはやがて一陣の風となって大蟻の群れに飛び込んだ。
ラムからウィルの姿は見えなくなったが、何十匹の大蟻たちが空に吹き飛ばされては、重力によって地に叩きつけられている様を見れば心配などするはずも無かった。

「大蟻が来るぞぉぉぉぉぉぉぉお!!!全軍防衛体制ーーー!!!!!」

 同時にゴザ司令官の怒号が防衛線に響き渡る。
ギシギシと音を立てながら行軍して来た大蟻たちが襲いかかり、兵士と大蟻がついに激突した。

 それからラムは戦場を走り回っていた、時に大蟻の身体の下を脚を斬りつけながら潜り抜け、戦場を注意深く観察する。

「1匹1匹仕留めるよりも、より多くの大蟻の脚を斬って傷付かせて行く方が効率的だって、言ってたっけ……」

 最後に仕留めるのは兵士たちで良い。
そのサポートをラムがする、被害を最低限に、一人一人の負担を少なくするために。

 しかし、1匹の大蟻が戦場を走り回るラムに目をつけたようでラムをしつこく追いかけ始めた。
これでは埒があかないのでラムは走り回るのをやめて追いかけ続けてくる大蟻と対峙した。

 大蟻がやっと追いついたぞ、と言わんばかりに口の牙をガチガチと鳴らす。
ラムはなんとなく、剣の刀身の腹の部分と鞘をぶつけて同じようにガンガンと音を鳴らしてみた。
大蟻は首を傾げた。
ラムはちょっと恥ずかしくなった。

 こほん、と咳払いをして気を取り直したラムは剣を構えて大蟻に走り迫る。
大蟻の鋭く硬質な脚による攻撃を避けて懐に入り、節々の関節を斬り裂いていく。
体液が身体のあちらこちらから噴き出した大蟻はギチギチと悲鳴を上げながら地面をのたうち回り、首を斬り落とされている事に気づかないまま絶命した。

「大蟻たちは甲殻が硬くてそのままじゃ刃が通らない。
だから脚の関節を斬って動きを鈍くしてから首を斬る。
働き蟻達は自己再生を持ってないから、傷は勝手に塞がらない。
うん、やっぱりより多くの大蟻たちに沢山の傷を作って動きを鈍くしていくのは大事だね。」

 ラムは思考を整理してからまた走り出した。
大蟻たちの隙間を縫うように駆け回り、すれ違い様に深い斬り傷を付けていく。
10匹、20匹、50匹、一体どれだけの時間走り回っていたかわからない。
そんなラムの耳に突然叫び声が届いた、展開している防衛線の右方面からだった。
ラムは大急ぎで駆けつけたが既に兵士が10人近く大蟻に噛み殺されていて、右方面の防衛線は崩れかけていた。

「しばらく僕が大蟻の相手を引き受ける!体制を立て直そう!負傷者を下げてあげて!」

 防衛線を乗り越えている複数の大蟻を斬り捨てながらラムは兵士たちに叫んだ。

 剣を振ってこびり付いた大蟻の体液を払う。
ラムの目の前には10体以上の大蟻がいたが、不思議とラムには自分がどう動けば良いかが直感で分かった。

 走り出したラムはそのまま大蟻の群れの中に飛び込み、大蟻たちの攻撃をまるで微風のように受け流しながら剣を振り続ける。
次々と大蟻の首がゴトゴトと地面に落ちた。

「す、すごい……君は一体…」

 その光景を見た兵士たちの一人が呆然としながら呟いた。
ラムは悔恨の念を剣に込めて剣を振り払い、体液を再度払い落とした。

「………助けてあげられなかった。」

 ラムは分かっていた、俯くべき時ではないと。
後悔している暇なんてないのは分かっていても、ついさっき亡くなってしまった兵士の顔が頭に浮かんだ。
ここはもう大丈夫だ、中央と左側の防衛線も見なくちゃいけない。
ラムはやるせない気持ちに蓋をして剣を握りしめ、また戦場を走り出した。
そんなラムの背中に、一人の兵士が言葉を投げた。

「俺は君に助けられた!!!!ありがとうーー!!!」

 それから兵士たちは再び防衛線を組み直し、各々の武器を持って大蟻と戦い始め、ラムは先ほどよりもずっと速く、軽やかに走っていた。


────────────────。


 岩山の半ばでウィルは満身創痍の女王蟻の頭を踏み潰した。

「くそ、思ってたより手こずったな……。
早く防衛線に戻って、残りの大蟻の掃討を手伝わねえと……ラムは無事だよな」

 女王蟻の死骸を放置して領都に展開された防衛線に戻ろうとしたウィルは、領都とは真逆の国境方面から、こちらに向かってくる旗を掲げた軍隊を見つけた。

「おい、まさか、」

 ウィルの居る岩山からは普通の一般人ではよく目を凝らしても見えない距離にその軍隊はあったが、ウィルの目は確かにその軍隊が掲げる旗を視認した。

「帝国国旗…………!やっぱり国境を超えて来てたんだ!辺境伯軍の偵察隊は全滅してる!クソッ!
大蟻の対処で精一杯なのに、このタイミングで更に帝国兵まで攻めて来たら、領都は抵抗できずに占領されちまう……
どうする…どうすればいい?考えろ俺!」

 ウィルは大蟻の死骸の山の上で腕を組み考えた。
帝国の軍隊はもう1〜2時間もしない内に領都に攻撃を仕掛けられる距離まで到達してしまう、大蟻に襲われている最中に他方面から帝国兵に攻められれば領都は一巻の終わりだ。

「大人しく降参すれば命は見逃してもらえる?
いや、帝国兵たちがどんな連中かなんて分からないだろ……。
なんで侵略行為をしてるのかさえも分かってないんだぞ……。
いや、例えラムや市民の命は見逃して貰えても、セレーネはどうなる?
公国の貴族、辺境伯の娘なんて処刑されるに決まってる。
クソッ、どうしたら……。」

必死に考え続けるウィルの眼に己の槍が映った。

「俺が……一人で時間を稼ぐ……。
無理をする必要はねえ、ラム達が帝国兵の存在に気づいてくれれば……そうすれば籠城する事を選ぶはずだ。
国境最大の都市、領都マーズは要塞にもなる。
俺ができる限りの時間を稼げば、上手いこと籠城の準備を整えてくれれば……。」

 ウィルは槍を握りしめた。
その視線は領都に向かって進軍し続ける帝国兵の軍隊を捉えていた。


 帝国の軍隊は草原を超えた後、岩山を迂回して領都マーズに近づいてきていた。

 約千名の帝国兵で構成された軍隊の中でも先頭を進む部隊の騎馬兵の一人が進路方向に一人の男が立っている事に気がついた。

「隊長、進路方向に男が1人立っているのですが….」

 隊長と呼ばれた騎馬兵の男は同じく騎馬兵である部下の報告を聞き、進路方向の先を見れば、そこには確かに男が一人立っていた。

長身で槍を持った男と目が合った。

「ふん、別にただの旅人などではないのか?気にする必要は…」

 槍を持った男は片足を後ろに高く上げ、地面を蹴り上げた。
力強く蹴り上げられた大地は爆発し、衝撃波と岩の破砕片が部隊に襲い掛かる。

「ぜ、全員伏せろッッー!!!敵襲!敵襲ッー!!!!」

 部隊長が声を張り上げて叫ぶ。
衝撃波で騎馬から落とされる兵士や、破砕片を頭に受け倒れる兵士たちがいる中、男は再び足を振り上げ地面を蹴り上げようとしていた。

「くっ、重装機動兵は前に出ろ!シールドを展開するのだ!!」

 男によって地面は再度蹴り上げられ、衝撃波と岩の破砕片が部隊を襲うが、特殊な魔術装備を纏った重装兵たちが素早く陣形を組み、大楯を展開することによって攻撃を防いだ。

「弓兵!続けて矢を放て!」

 部隊長の声に従って帝国の弓兵が次々と矢を放つ。
無数の矢が男を襲うが男はステップを踏んで矢を避け、避けきれないものは槍で弾いていた。

「公国の戦士か?舐められたものだな!たった一人で帝国軍を倒そうとでも?」

 部隊長は矢を避け続ける男を見て鼻で笑った。
この槍を持った公国の戦士は強者だ、だが軍隊というものを知らんのだろう。
私は運がいい、このまま矢を放ち続け疲弊したところを歩兵隊で潰してやる、不確定要素は排除しておくべきだ。
そう考えている部隊長の元に部下が報告の為に近づいた。

「隊長、もしかすると彼が例のウィルという少年かもしれません。」

「ウィル?あー、確か勇者の弟子だったか?
ふーむ、しかしあれが少年か?随分背が高いな。」

 初めは突然の強襲に焦りもしたが、部隊長は既に勝利を確信していた。
そのため、部下からの報告を受けても部隊長は矢を避け続ける男を、ウィルを、呑気に眺めていた。

「ちょっと隊長!諜報隊からはウィルという少年は幻獣種を討伐した経験があるという報告が上がっています!」

部下の焦る顔を見て、ようやく部隊長は意識を切り替えた。

「それは幻獣種を討伐する場にいたと言うことか?それとも師匠である勇者と共に倒したのか?」

「違います!この少年は単独で幻獣種『沼男』を討伐しています!」

「は?」

 思わずと言った風に部隊長が部下からウィルに視線を向けた。
ほんの少し、瞬きの間に矢を避け続けていたウィルは姿を消していた。

「お前が1番偉いのか?」

 それは部下の声ではない。
部隊長は騎馬から突き落とされた。
視界が二転三転し、馬が悲鳴を上げてどこかに逃げていくのが分かった。

──────────────。

 帝国内の酒屋にて、50名ほどの兵士たちが集まって宴会をしていた。
任務出発の前夜、兵士たちは酒を飲んで士気を高めていた。

「ついに明日ですね!俺、はじめての行軍だから今日ちゃんと寝付けるか不安です!」

部下、トーマスの声に部隊長は酒を飲みながら笑った。

「わはは!なあに、心配することはない!
訓練通りやれば問題ないんだからな!
それに計画通りに進んでいるから俺たちが戦うことも殆どないさ」

「そ、そうですか、あの、隊長!
もしこの行軍が終わって帰国したら、隊長に仲人を頼んでも良いでしょうか。」

 それは酒のせいか、顔を赤くしたトーマスがそう頼み事を言ってきた。
真面目で実直、頼もしくもどこか可愛げのある部下だ。
頼み事なんて珍しいが……。

「んん?仲人?なんのだ?」

「し,式を挙げようと思っておりまして……」

部隊長は驚き、そして何よりも喜びが溢れてきた。

「おいおい!まさか!結婚するのか!?誰とだ!花屋の看板娘じゃないだろうなあ?!」

「は、はい!結婚します!その、花屋の看板娘です!」

「おいお前ら聞けえ!こいつが花屋の看板娘と結婚するってよお!!!」

 部隊長は喜んでトーマスを抱きしめ、酒屋に居た兵士たちに声をかけた。
酒屋は大歓声に包まれ………兵士たちは歓喜に彩られた賑やかな夜を過ごした。

────────────。

「た、隊長……」

「あ、あぁ……トーマス!!」

 部下の、トーマスの胸から槍が突き出ていた。
鮮血が大地にこぼれ落ち、ずるりと槍が抜かれてトーマスは地面に倒れた。
部隊長を庇ってトーマスは槍に貫かれたのだ。
気づけば部隊のど真ん中に槍を持った男、ウィルが立っていた。

「貴様ァ!!!!よくもトーマスを!」

 部隊長は剣を抜いて斬りかかる。
ウィルは槍で受け止め、部隊長の腹を蹴り飛ばして遠ざけ、周囲の兵士たちを警戒しながら油断なく構えた。

「ふざけるなよ……なんてことを!!!こいつにはなあ!
可愛い嫁ができるんだぞ!!みんな知らないふりしながらずっと応援してたんだ!
それを、それを貴様ァァァァァァァァ!!!!!!」

 部隊長は激昂しながらウィルに再び斬りかかる。
剣身に魔術の光が宿り、加速する斬撃は残像を残しながら、何十もの斬撃を繰り出す。
ウィルはその全てを槍の穂先で弾き、部隊長の右腕を槍の振り下ろしで叩き潰した。

「ぐ、ぐああ!」

「俺に聞かせんなよ、そんなこと………
俺にも……何が何でも守りたいものがあんだよ!」

 兵士たちに囲まれている中でウィルは地面を強く踏み抜いた。
大地が割れ、衝撃波が兵士たちを吹き飛ばす。

 部隊長も吹き飛ばされ、ゴロゴロと地面を転がった。
己の剣はもう手元にない、潰れた右腕がズキズキと痛む。
這いつくばりながら顔を上げれば、吹き飛ばされた部隊の兵士たちが宙を舞っているのが見えた、兵士たちはそれでもなんとか戦っているようだったが……。

「クソ!なんなんだあいつは!強すぎる……!このままでは兵士たちがどれだけ殺されるか……」

 部隊長は胸のポケットに入れていた小さな結晶体を取り出した。
任務が継続不可能と部隊長が判断した時、この結晶体を壊せばその旨が帝国の司令室に届くようになっている。

「頼む!救援を寄越してくれ!」

 部隊長は左手で結晶体を握り潰した。
キィン と硬質的な音が戦場に鳴り響く。


 ウィルは槍を振り回した。
ただそれだけで暴風が巻き起こり帝国兵たちは突風に耐えられずに姿勢を崩す。
姿勢を崩した帝国兵から順に手足を潰したり、蹴り飛ばして戦闘不能にしていくが、帝国兵たちの数は減ったように見えないし、彼らは誰一人諦めていない。

 1人の重装機動兵が大楯を構え、突風や槍を防ぎながら突撃する、続いて数人の歩兵が同時に剣で斬りかかる。
 帝国兵たちは複数人で組を作り、ウィルに向かって波状攻撃を繰り出し続ける。
1組目がダメなら2組目、それもダメなら3組目が攻撃を仕掛ける。
交代で突撃し、人海戦術でウィルの攻略に当たっていた。
 帝国兵たちは厳しい訓練を積んでいる、軍人であり、彼らは軍隊である。
強大な戦士が現れた時はどのように対処すれば良いか、様々な状況、戦う相手を想定して何年も訓練してきているのだ。

 そんな帝国兵たちでもウィルを止めることができないでいた。
ジリジリと兵士たちがやられ、疲弊していく。
ウィルの体力が尽きるか、兵士たちの数が削られて今の戦闘陣形を維持できなくなるのか、どちらが先かの戦いが始まっていた。

「クソッ、ある程度暴れたら一旦離れようと思ってたんだけどな……」

 ウィルは一定の距離を置かれながらも帝国兵に囲まれており、帝国兵たちの波状攻撃で逃げる事ができず、常に戦闘を強いられていた。

「衛生兵、負傷者を下げろ!諦めるな!第二波!第三波!続け!続け!」

 帝国兵たちはお互いに声を張り上げ士気を維持しながら戦っていたが、目の前にいるたった1人の男、ウィルを倒すことができずに仲間が1人、また1人と負傷していく。
帝国兵たちの精神も体力も限界に近づいていた。

そんな時だった。

 帝国兵たちとウィルの間に、空間の歪みのようなものが生まれ、やがてそれは質素な木でできた扉を形作った。

「な、なんだ?」

 扉が開いて中から人が現れる。
その人物は長い白髪に、たっぷりと蓄えられた白髭、その目は閉じられているが、背筋は真っ直ぐで歩みに迷いはない。
豪華なローブを纏い杖を持った1人の老人が突如として戦場に現れた。

 只者ではない気配にウィルは槍を構えて最大の警戒を示し、続いて帝国兵たちが歓喜の声を上げた。
帝国兵なら誰もが知っている。
否、この大陸で一度もその名を聞いたことのない者はいないだろう。

「『魔導老公』様!助けに来てくれたんだ!!」

 老人は目を閉じたまま髭を撫で、帝国兵たちに軽く手をあげて歓声に応えた。

「魔導老公?聞いたことねえな。」

「ほほほ、儂を知らんのかね?随分小さな世界を生きてきたようじゃの。」

「悪かったな、こちとらまだ村から出たばっかでね!」

 ウィルは槍を構えて走り出した。
良く知らん老人が現れたがこれはチャンスだ。
帝国兵たちは完全に油断しきっている、今ならその隙をついてこの場を離れる事ができる。
一度離れて体力を回復し、もう一度攻撃を仕掛けよう。
今回は深く入りすぎた……次はもっと慎重に攻めよう。

 そう考えながらウィルは力強く槍を握りしめて振るい、暴風を巻き起こした。
砂塵と暴風が帝国兵たちの視界を眩ませる。
ウィルは助走をつけて高く跳び上がった、包囲していた兵士たちの真上を乗り越えて地面に着地して、そこで異変が起きた。

 魔導老公の広げた掌に砂塵と暴風が吸い込まれるように収束していく、それは小さな球体になってウィルに向かって高速で射出された。

 球体はウィルに直撃し、ウィルを中心に暴風と砂塵が吹き荒れる。
ウィルは槍を地面に突き刺して暴風に耐えた。
身体がバラバラになりそうな衝撃を受けながらも歯を食いしばって耐え、やがて風は収まり視界が晴れた。

ウィルの目の前には魔導老公だけが立っていた。

「………は?帝国兵は……?」

「ふむ、いやなに、こんな子供など儂一人でどうとでもできるのでな。
兵士たちには任務を続けるために領都に向かってもらったのじゃよ。
儂一人じゃ不満かね?」

 帝国兵たちは既にその場を離れ、再度隊列を組み直して領都に進軍していた。

「そんな……クソ!退けよジジイ!」

 ウィルは焦りを露わにして魔導老公に飛びかかる。
槍を突き出すも中空から青白く光る鎖が飛び出し、ウィルの槍に巻きついてその動きを止めた。

「なんだ!?どこからでてきた!?」

「知らんのかね?魔術じゃよ〜」

「ふざけんな!魔術ってのは詠唱が必要なんだろ!?」

 ウィルは本をよく読む。
読んだ本の中には魔術についての本もあり、そこには様々な魔術が記されていて、魔術とは詠唱が必要なのだという事は特に覚えていた。
この魔導老公と呼ばれる老人は詠唱をしていない。

「ほっほっほ、詠唱は作法のような物じゃ。
杖をつくだけで良い事もある、ほら髭を撫でるだけでも良いのじゃぞ。」

 そう言って老人が髭を撫でると、ウィルの足元の地面の土が2匹の蛇に変身して両足に巻き付き、更に蛇は鋼鉄の鎖に変化した。

「ちっ、そんなのありかよ!じゃあ俺も好きにやらせてもらうぜ!!!」

 ウィルは力任せに鋼鉄の鎖を引きちぎり、槍を魔術の鎖ごと無理やり振り回す。
鎖は千切れ、暴力的な槍の薙ぎ払いが大地を捲り上げる。

 魔導老公が手をあげると、捲れ上がった大地は時間を巻き戻したように元の地面に戻り、上げた手を下ろせば無色透明の風の砲弾がウィルを襲った。

 ウィルは魔術を避けるために飛び退いた後、そのまま最高速で走り出した。
疾風の如き速さで魔導老公の周りを走って隙を窺うが全く攻める隙が見えてこない。

「ほっほっほ、速さと力任せだけが取り柄かのう。」

 ウィルは魔導老公の背中目掛けて突撃した。
最高速から繰り出す神速の突き、魔導老公は認識すらできていないはずだった。

「まだまだ未熟じゃのう、駆け引きは苦手かの?あ、自分よりも強い者と戦った事がないんじゃろ?お主。」

 青白く光る魔術によって作られた壁が、ウィルの槍を遮っていた。
魔術壁は槍の力を弾くことなく全て吸収しているようだった。
槍が弾かれることもなく、ウィルは槍を持って突きを放った姿勢のまま、その場で静止させられていた。

「マジか……マジか…!正直舐めてたぜ、これが本物の魔術師か!」

 ウィルは心底から敗北を悟った。
勝てない、今はこの老人にどう足掻いても勝てないのだ。

「ほっほっ、うむうむ、魔術は素晴らしい力を秘めておるのじゃ。
お主、中々見所があるのぉ、どうじゃ?今からでも帝国に来んか?村を出たばかりなら公国に忠義などないじゃろう?」

 魔導老公は微笑みながら髭を撫で、ウィルに勧誘を持ちかけた。
ウィルは槍を下ろし、魔導老公から数歩下がって考える振りをした。
セレーネを助けてくれと言えばセレーネは助かるだろうか?
魔導老公はきっと帝国内でも偉い立場にいる、きっとできるだろう。
でも………あのオルカがどうするかなんて分かってる。

「悪い、無理だ!帝国は好かん!」

 ウィルは渾身の力で己の背後に向かって槍を投げた。
大気を引き裂きながら、地面と並行に真っ直ぐに槍は飛んでいく。
ウィルは魔導老公に向かってニヤリと笑った。

「おぉ、なんということじゃ…。」

「別に俺はあんたを倒すのが目的じゃないんでね!」

 ウィルは魔導老公から逃げるように走り出した。
先ほど投げた槍の向かう先は帝国兵の軍隊が居るであろう場所だ。
魔導老公もこれには思わず髭を撫でる手を止めてしまったほどだ。

 ウィルは魔導老公から遠ざかるように走り続けた。
向かう先は岩山、女王蟻を倒した場所には予備の槍がある。
それを拾って再度、帝国兵の軍隊に攻撃を仕掛けよう。
魔導老公がまた現れたら逃げればいい。
俺の最高速の速さには追いつけないだろうから。

 一般的な兵士ならば1時間はかかる距離をウィルは10分未満で走り抜け、岩山で槍を拾った。

「よし、これでもう一回戦えるな。」

 ウィルは領都に近づく軍隊を、岩山から視界に捉えていた。
先ほど投げた槍は見事命中、爆散して上手い具合に大きな被害を与えられたようだった。

「んん?………あ、良いこと思いついたぞ?
よく考えたら大蟻の脚は硬いし鋭いし手頃な長さだ……ここからなら軍隊も見える。」

 ウィルは女王蟻とその場に山となった大蟻の死骸から十本ほど脚を引きちぎった。
そしてその内の一本を強く握りしめて大きく振りかぶり、軍隊に向けて投げた。
狙いは寸分違わず兵士を3人貫いて地面に突き刺さった。

「うわ…最初からこうしてりゃ良かったかもな。」

 ウィルは再び振りかぶって脚を投げた。
帝国兵たちは突然のことで混乱しているようで、防御することもできずにまた兵士が貫かれた。

「ズルしてるみたいで悪いけど、勘弁してくれよな!」

 しかし、三度目の投槍は帝国兵に当たることなく空で砕け散った。
不思議に思う間もなく、ウィルから少し離れた場所に木の扉ができた。
ウィルはそれを見てすぐに扉に向かって大蟻の脚を投げつけ、数本の大蟻の脚と槍を抱えてその場から走り去った。

「ジジイの相手なんかしてやるかバーカっ!!!!」

 扉から出てきた魔導老公は飛んできた大蟻の脚を静止させてため息を吐いた。

「中々ズル賢しいのう、これは困った、どうしたものかのう。」

 追いかけっこでは老人は少年には勝てないようだと、魔導老公は気がついた。
そして何より、ウィルという少年は帝国軍隊の消耗を狙っている。
目の前の戦いではなく、戦略的な勝利を狙おうとしているのは明白で、それ故に厄介であった。

「ふーむ、儂が嫌なら別の相手を用意してやろうかのぅ……。」

 これは本来ならもっと後で出す計画ではあったが、今、公国を潰せなければ他の大国への侵略ルートを大きく遮られてしまう。
 大陸を帝国が統一する計画の第一段階として、ここで挫ける訳には行かなかった。
 魔導老公はその場に魔法陣を描き、杖を構えて長い詠唱をし始め、とても大きな力の奔流が魔法陣の上で渦巻き、やがてそれは形を成した。

「ふむ、儂の理論は正しく、魔術は精密に作動しておる。
何も問題ないのは分かっておったが、ちょうど良い機会じゃからな、ちょいと実験をしようかのう。
付き合っておくれ、少年や。」

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