4.沼男

 僕はもうすっかり夜になった草原を駆けていた。

草原には久しぶりにきたけれど、酷い有様だった。
青々としていたはずの大地は泥と肉塊と血に染まった赤黒い世界になっていた。

そこら中に原型を留めていないぐちゃぐちゃになった肉塊が転がっている、よく観察すると牙狼の死骸であることが分かった。
死骸は牙狼だけに限った訳じゃない、大鹿や小さな獣達も全部ぐちゃぐちゃだ。

そんな有様の中で点々と綺麗な牙狼の死骸があった。
それらはどれも頭に穴が開いて死んでいて、鋭利な槍で一突きされたんだとすぐに分かる。
死骸は古くて長く時間が経っているから、ウィルがやったんじゃない。
ウィルのお父さん、きっと狩人がやったものだ。

でもそうなると狩人も戦っている?『沼男』の動向を探るだけじゃなかったの?襲われて致し方なく倒したにしては槍で倒されたであろう牙狼の死骸はあまりにも多かった。

「どこを見ても泥とぐちゃぐちゃの血肉の塊だらけ、これがあの穏やかな草原だったなんて信じられない………
ウィル!一体どこにいるんだよ!」

草原は、昔話に出てくるような地獄の形相をしていた。



 俺は特製の槍を3本担いで草原を駆けていた。

あのクソ親父ッ!!!何考えてんだよッ!!

 俺は俺を信じて無かった。
最高の、最強の英雄になるって誓ったのに。
二人で大樹に誓い合った、この誓いは嘘じゃない、半端なもんか、ラムは俺が英雄になれるって信じてた!

その昔、英雄アウリクスに啓示と祝福を与え、使命を授けた主神様よ……!
なあ無茶だと思うか?俺が泥の怪物を倒そうとするのは無謀だと思って見てるか?
俺は英雄になるんだぞ、逃げる?村で祈る?冗談じゃない!!!
おいウィル!!お前何してんだよ!!
英雄になるんだろ!?倒すんだッ!
無理無謀で逃げて英雄になれんのかよ!
ラムにそんなクソ弱い背中見せてんじゃねえよ!
俺はウィル!最高で最強の英雄になる男だ!
幻獣種『沼男』俺の英雄譚の1ページ目には十分相応しいじゃねーかよ!

 それなのに!覚悟を決めてきたってのに……!
草原には『沼男』も牙狼の群れも居なかった。親父の姿も。
あるのは争った跡だけだ。
俺には分かる、この草原に入った時から全身をビリビリと締め付ける絶大な覇気。
『沼男』から放たれているそれはどんどんと草原の奥に、村から遠く離れて行っている。
草原を越えた先には平たく広がっている岩山があって、その岩山のど真ん中を突き抜けるように人の手で整理された道がある。
その道をずっと辿っていけば辺境伯領の領都に着く。

『沼男』は明らかに何かに惹きつけられるように村から遠ざかり、岩山に誘き寄せられていた。
領都から出発してくるだろうキャラバンは岩山を通って草原に入ってくる。
だからだ、少しでも早くキャラバンの護衛隊に見つけて倒してもらうため、気まぐれで村に向かって行ってしまわないよう、被害が出ないよう、できる限り長く岩山に引きつけておこうとしているやつがいる。

こんな事するのは、できるのは、親父しかいない。

何してんだよ、動向を探りながらキャラバンを待つ?嘘ついてんじゃねえよクソ親父が!無茶すんなって言っただろうが!


俺は全力で草原を駆ける。
そんな俺と並行するように牙狼共が走り寄ってくる。
数は12。群れの主の姿はない。群れの主が『沼男』にぶち殺されたから、こいつらは逃げたんだろう。だからこうして生きていて、俺を狙ってる。そんなとこだ。

3体。左右と後ろから同時に飛び掛かってくる。槍を薙いで挽き肉に変えた。

4体。立ち止まった俺の前後から2体が体当たり、遅れて前方から更にもう2体が飛びかかる。
前から来たやつを槍で刺し、そのまま背後からきたやつに死骸を叩きつけて潰す。
前方から遅れてきた2体は2連続の突きで同時に頭を貫く。

5体。俺を囲むように全方位から噛みつこうと同時に飛びかかる。
全力を込めて槍を振り回す、残りの牙狼共はずたずたに引きちぎれた。

「尻尾巻いて逃げた負け犬如きがァ!!邪魔すんじゃねえッ!」

俺は再び走り出す、岩山はもうすぐそこまで迫っていて、体長4m、幅1mの泥を纏った人型『沼男』の姿が遠目に見えていた。



「さあこいよ!泥まみれのクソ野郎!」

 俺は残っていた最後の矢を、赤く光るヤツの目に向かって放つ。
矢は流動する泥に阻まれて、少しでも効いたようには見えないが、気を引けるならそれで良かった。
時に邪魔する牙狼を倒しながら、弓矢で挑発し続けて、思惑通りにヤツは逃げる俺を標的にし続けた。
やっとのことでついに岩山に来た。
こいつを、『沼男』を岩山に連れてきた。

『『オオオオオオオオッッッ!!!』』

『沼男』がまるで地獄からの呼び声のような恐ろしい唸り声を上げる。
やっと追い詰めたぞ、と言っている気がした。
俺は弓を捨てた、荷袋もいらない、槍だけで良い。

「はん、かかってこいよ、この狩人様がキャラバンが来るまで遊んでやる」

『沼男』は轟音を鳴らしながら巨大な拳を振り下ろす。
全力で飛び退いて避け、槍を真横の拳目掛け突き刺す。
泥が邪魔して深くまで突き刺さらない。
それでも泥奥の皮膚を傷つけた手応えが槍から伝わった。

『オオオオオオオオッ!』

『沼男』が真っ赤な口を開いて叫ぶ。

「おいおいどうしたよ、幻獣種様ってのは案外大した事ねえのかい?してやられてるって気づいてるかーい?やーい!なんとか言ってみろや!」

『沼男』は片足を振り上げて踏み潰しにかかる。
また全力で飛び退いて避け、飛び散る泥を避けながら槍を薙ぎ振るう。
こんなに全力で頑張ってもきっと擦り傷しか与えられないんだろうな。
それでも、こいつをここに縛り付けられるならどれだけでも槍を振り回してやるぜ。

轟音を鳴らしながら迫る泥の拳を避けては突く、繰り返しそれを続けながら、常に一定の距離は保ち続ける。
息はもうとっくに切れていた、肺がはち切れそうで、汗が滝のように身体中から溢れ出てる。
それでも『沼男』はその力が衰える様子は一切ない。

『沼男』の弱点。
俺はそれを見つけ出していた。
ある本に書かれていたのは『沼男』の生態についての考察。何故『沼男』は泥を纏うのか?
沼の外に出てきて活動する際に体内に溜め込んだ泥を纏い続ける理由は?
纏う泥は『沼男』にとって鎧であり矛にもなる。
泥に含まれた微量の魔素を供給し続ける事によって、『沼男』は強大な身体能力を維持し続けることが可能になっている。
つまり、泥を吐き出し切った時『沼男』は
その力の大部分を失うのではないか?と考えられる。
しかしこの攻略法は現実的ではないだろう。
何故ならそもそも『沼男』とは沼地や湿地帯に生息しており、沼の外に出てきたとしても常に泥を供給できる環境にあるからだ。
もしこの幻獣種を倒そうとするのならば、まず泥が一切ない環境で泥を吐き出し切らせる必要がある。

「……ぶち殺すには最高の環境を整えた、早く来いよ、キャラバン!」

『沼男』が攻撃の手を止める、埒があかないと思ったのか、最悪にして必殺の手段に乗り出す。

大量の泥が『沼男』の体から溢れだし岩山を泥の沼地に変えていく。
まともな足場はどこにも無くなった、足首まで浸かる大量の泥が愚かな人間の動きを阻害する。

「おいおい、マジかよ……!
そんなことができるなら早く言ってくれ」

再び泥の拳が狩人に迫る。
だが今回は泥が狩人の動きを止めた、避けることはできないだろう。
槍を拳に向かって振るう、足元の泥のせいで踏み込みは浅く、槍に込められた力は先ほどまでと比べてあまりにも軽い。

拳が直撃し、槍はへし折れ、身体は岩壁に叩きつけられる。
手足がズタズタに曲がり折れ、内蔵がぐちゃぐちゃになっているからか、上手く呼吸ができない。

ああ、畜生……指の一本も動かせやしない。

「トリシャ……ウィル……帰ってやれなくてすまない。
きっといつまでも愛してる、例えこの命が消えてなくなっても。
主神よ、どうか俺の家族がこれから先も無事で過ごせますように。
そして、ウィルにどうかご加護をお与えください。」

英雄に憧れるあいつは村の狩人になんてならないんだろう。
きっといつか……アウリクスを超えるような英雄になるんだろうなあ……。

「見たかったなあ……。
ウィル……こんなクソみたいに残酷な大地に、お前が英雄として立つ姿を。
本当に、俺なんかには勿体ない……自慢の息子だった……」

『沼男』が狩人の目の前まできた。

その最後を嘲笑うように拳を振り上げて


───────瞬間、飛来した槍が泥を纏った拳を消し飛ばした。

真っ赤な体液が、『沼男』の拳の消し飛んだ手首から溢れ出す。

「じゃあそこで見てろや、クソ親父。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?