いつだってあの頃の延長線上にいる
私が「学生」から「社会人」へ、肩書を変えたのはコロナ禍だった。
短期大学へ通っていた私は、新型コロナウイルスにより二年間の大学生活の内半分の一年間しか大学へ行くことができなかった。
最後の一年はすべてオンラインで授業を受け、片手で数えられるほどしか大好きな大学へ行けなかった。
卒業式はスーツで出席し、たった三十分で終わってしまった。
人生はいつだって過去の延長線上だ。
私はなんだか実感がないまま卒業をし社会人になった。
だから、私のかなえたい夢はもう一度大学へ通うこと。
大好きな街に住み、市民として講義を受けること。
市民になれば全ての講義ではないにしろ無料で講義を受けることができるのだ。
たった一年。
だけど春夏秋冬、季節の移り変わりを短大のある街で感じた。
私は他人と関わるのが苦手だった。
集団の中でどういう振る舞いをすることが正解なのか今も分からない。
それでも中学高校とは違い全国から人が集まる大学生活は新鮮で楽しかった。
いろんな一人称があること。
私の何の気なしに話している言葉が他県民からすると違和感だらけの方言だったこと。
誰かとしゃべりながらコンビニのご飯を食べることはすごく楽しいこと。
私は意外といろんなタイプの人と話せるってこと。
短かった大学生活ではたくさんのことを知った。
久しぶりに学校が楽しいと感じた。
時間は関係ない。
大切な思い出はいつまでも大切で、私の心を支えてくれる。
もう一度大学へ通うにはどうしたらいいのだろう。
と考えたときにやっぱりお金が必要だと思った。
引っ越しをして一人暮らし。
講義を受けるために時間の融通が利く仕事を見つけなければならない。
安定した収入は見込めないだろう。
だから今私が頑張ることは目の前の仕事をしてお金を稼ぐこと。
無駄遣いをしないこと。
いつか大好きな街で大好きな景色を見ながら講義を受けるんだ。
夢はいつだって折れそうな心を支えてくれる。