消費される音楽と受け継がれる音楽
オヤジブログ怪気炎 vol.113
坂本龍一さんの自伝「音楽は自由にする」を読んでいたら、次のような文に出会った。
「バリ島の伝統音楽について長老の言葉『バリ島にはプロのミュージシャンは一人もいない」お金をもらって音楽をやるようになると芸能が廃れる。すごく自覚的に音楽を商品化しないようにしている。』共同体が長い時間をかけて培ってきた音楽には、どんな大天才も敵わない。」
商業化された音楽は、自転車操業的に次から次へとヒット曲を量産してきた。レコードや楽譜を売りまくることで収入を得てきたのであります。ネットの時代に入り音楽発信の仕方が大きく変わりました。ライブコンサートはさておいて、音楽の記録を商品として売るという行為が過去のものになりつつあります。
ではどうすれば音楽で食べていけるのでしょう? 江戸時代の琵琶法師たちは、按摩というサービス業者でした。マッサージに琵琶演奏のオマケが付いていたのです。能や歌舞伎など舞台芸能の音楽に入り込んでいた人も多いでしょう。今だってウイーンフィルハーモニー管弦楽団は、ウイーン国立歌劇場管弦楽団を兼ねているのですから。
もちろんこれからも音楽の創造・再生産は続いていくでしょう。けれど商業化・商品化することについては、一工夫必要な時代がやって来ているように感じます。
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