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句点の功罪

オヤジブログ怪気炎 vol.166

マルハラスメント。文に句点が打たれていることが怖い人々がいると言う。文末には絵文字というやり取りが一般化しているので「。」で区切られると、その文の裏には込められた気持ちが想像しにくいのかもしれない。
小学校で教わる句読点の歴史は以外と浅い。キリシタンの文献に見られるものの、実際に定着したのは、明治20年ごろだという。実際古文には句点はない。
このブログの文も「。」で、区切りながら書いていますが、おそらくそれは自分が思いついたことを「。」でまとめながら書いているからであって、滔々と流れるように語りかけるように言葉が湧いてくる才能がボクにあるならば、「。」は不要であり却って障害になってしまうでしょう。
本来の言葉の流れを「。」で断ち切ることで、エネルギーは失われ、もう一度「よいしょ」と立ち上げるしかなかったのですが、いつの間にか教育やメディアで読む文の影響で「。」を付けて書くことが、当たり前になってしまいました。
手紙や挨拶文では「。」の扱いに対する慣習が残っているけれど、それは○が流れを切るところから、「縁を切る」に繋がると感じる人がいたからでしょう。
マルハラスメントを感じる方々から学び、私たちの句点文化の功罪を考え直していいのかもしれません。

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