アオハルの感想等々。

下世話な下ネタみたいな事を超真剣にはなすのは、今回は本当に真面目な動機から、そうしている。
主導権の握り合いみたいなことは、インフルエンサー同士を知識人の論壇みたいに、すこしたまに高潮させる。結局ひとは、ひとりひとりに同様の影響力は持っていないから、意外となおる事はない各々の考えかたから、得た力を募金の様に用途を考える事になる。そういう話題として、自慰を語り合いたい御丁寧なれんちゅうとされる人たちも登場したと言える。敬意をこめてそう言いたい。
この話題はせめて、礼儀としての含羞という側面を持っている。いきなり勇気を出すのは、なんと不思議なことか。そして、本当の本当に、本音なら、SNSから全ての、コミュニケーション(スキル、能力)を、始めるのはハッキリとした意見は伝わってこない。シェリーの様な受け持つ視聴者層の若い事から、性的なリテラシー、なんとかアーツを、重視する人も居る中、オナ禁を連続記録として書き溜める逆の派閥も表れた。否定というより不可解になっても、むりはあるまい。理解にくるしむ事はひとを成長させる。理解に苦しませるほうを成長させない一方。
田中みな実という方のそれなりにしっかりと真剣な性的な風潮への責任感もあらわれ始めた。
蛇足とは思わない。
せめて照れる人には理解を示したいところそれは、ない。確かに「質実剛健」とはいう。
「勇猛精進」「文武両道」とまた、
「二足の草鞋」と。
真剣にえっちに向き合いつつも、拡散希望にうちこむその姿は、真剣そのものと、言える、かも、知れない。ある種の独自な分野(領域を)開拓したyoutuberにしたら、性事情は最初知れるのを嬉しかったとゆうもののあまりに愛に飢えた実際より情緒を考える人を目にしては、覚悟を折られる挫折も経験している。
こういう時少し、クッキリしているのは、勇気のある人は、照れに直面している段階に、勇ましくも、性的倒錯を語り出すあたらしい退廃文化について没落の世界線について、また諦めへの挑戦状として、、突如果敢と成り猛攻を覚えた性的隆盛について。あるノンフィクションライターは生の確認を若年層ないし大きい大きいお友達(ら)として性に得る事を完全に否定はしなかった、、、
いきなり出せなかった勇気を出せること。その事に、女性なりに堅実な足場から、昨日との連続性を失わないやり方から正当に疑問を持つ事等。
その不明瞭な前進能力らしい物は、、周辺を見失いたくない正常な躊躇を所々に持って居る。
勇気を判断として捉えるなら対義語の状態を知っていないと、それはアクセルというひとつしか知らない物を、いつもより強く押した事とあまり、かわらない.そして現実的な程度に冷たくない、悟らない世代として、相手の痛みに妥当な関心を持ち、、、それも限られているとはわかってくる。
具体性に。

幸福と堅実さと夢という葛藤の構図は、ありふれている様に見えて、若者に特有の人気を、見せ始めた。
こういうのは人気という。

人気にはいる。

それへとあたまを、悩ませる好みの傾向とは言えるから。

なにか構図は、見つかりそうなのかもしれない。
とはいえフツウの場合は「幸福には苦痛を減らし」「夢にはつらいことを乗り越え」「堅実に居るなら両方安定にはマイナス」という三つ巴の矛盾を本来は抱えるという事自体、、定説みたいな所はある。
そういうことのシェアの段階を位置付け的には担っている、と、想う。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。