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融和を好む文化

韓国とか中国は、業を理解する国柄なので、まざまざとぶつかってる人に過剰においうちは、かけない。妥協を知った人の個性とも重なるだろう。土地的にも妥協は、知らざるを得なかった。ドイツならば、保守を一度知り抜き、少し国際化は、本当に切ないところもあるという理解を、えた。それは地理的条件が重ならないと試行不可能な部分も、ある。少し、大人どうしの壁も意識するように、なったイギリスも地理的条件は、揃っている。アフリカに複数の外国語を習得した人たちが多いのは、拒否を必ずしも出来なかったからそれは、大きな、理由の1つに成っている。寛容になってから普通ここには、到達するが、不幸を逆手に使って成功した。それも現実なので歓迎はした方がいい。現実というのはいつも、間違ってはいないし、現実は、現実だ。センチメンタルに日本より成り過ぎる所はあるのだろう。しかし最終的に悪意ではなく、もうそうなのなら、国というのは冷戦みたいになって分裂する。こうは、なっていない。つまり北朝鮮のように仲間意識の限界を迎えては、ない。まあね重要なこと言うと結局は個人と友情をつくる時、背景を話しはじめるより、先にすべきことがあるので、現実的な手続きを人任せでは、無理強いはしないけれども、現実を知る事自体からほんのちょっと、逃げている。比喩だが。器というのは、人それぞれなので、差もたまには、あり受け入れる限度を越えると、人間は故郷に帰還したくなる。そんな中でひとりだちしようとしてるのが、アメリカでもあるから、大人なのは事実だろう。実際問題は、人にとって、ノスタルジーと別問題として、あることが、多い。そういうところを、割り切ったりもする。それを薄情とは言わない。複雑な気持ちを抱えにくい人がアメリカに居易い。メディアというのもそう云う、中韓みたいな所は体質としてあり、というのは、駄目ならさらけ出しましょうというメッセージをわりと、広範囲に伝えちゃう。それを悪い悪いではなく、事実をこわがりながら毎回うけとめてきた人の一般的な態度と、見る事は、自然なのだと、思う。しかし体質として、疲労しているのかも知れない。疲れた人は、挙動おかしくなる事も、ある。そういう意味で相手の負担も考えて全幅の信頼を置かないほうが、よい。悪意を考えてたら対応はしにくい。実際に悪意のある時でさえ、雑念はない状態で対処を、した方がいい。サイコパスに伝える時も、薄情じゃない自分で居た方が良い。もう単純にそういう問題で、自分の態度として優しいほうが良い。相手がたとえどうだろうと、薄情にしてたら自分も疵ついてしまう。そういう問題に過ぎない面を見るべき。単に優しい自分で居たら自分に納得するハズ。感情もちょっとは抑えられる筈だし、向き合えるタイミングまで、持ちこしてしまうと良いんだけどな。意見をたたかわせながら、向きあえるはずないとかもあるよ。単に傷つかない範囲のところは、その場は負けてあげたりもしつつ、大事なところをもっと確実に、守る。勝負で決まるような事は、いくつか譲っていい面、あるし、結局自分で判断する事から逃げない人ってねいうのは優先順位は、持っていて、人と食い違って辛くても優先順位は立てていて、空虚になるような事は、しない。日本はアジアじゃないところはある。一員じゃないと言うのも間違ってはいない。右傾化しても根拠なんて簡単に見つかっちゃうし、根拠はそれだけなら、ある。イギリスも右傾化する条件は、恣意ではなく、ナチュラルに揃った。自分に向き合いたい時は、人ですら、ある。トラブルメーカーのイレギュラーな条件を常に入れて考えるのは、根源的に難しい。イギリスにもドイツにもそういう疲れは、蓄積されていた。右傾化というのは右は右として良いとして、行き過ぎのマズさ。遠くで元気にやってるよ鎖国ねっていう事もあるし、健全と言える感情。なんか英国はちょっと、そうなっちゃった。苦労なんて自分は向きあってきましたよ。どんな苦しい時だって。みたいな事であり、離脱はそんなような事であり、自分を生きられないから共依存として外交に活路を求める体質には根本的に疾病が、ある。その状態で他者に甘え助力を頼み依存したり、要求したり、そういう事は一国として乗り越えて、プライドも強く、自分がのり越えて他者は出来ないっていうのもそれは、それで差別に似てるし、出来るだろと突き放すことも出来ないし、人情として、出来ないもんであるし、孤立を選ぶしかない文化圏は生れて来た。個人は、こうと目の前で見せるしかそれらの国は、なくなっていて。わかりやすい説明で言えるのは、ここまでだな。右傾化は、右からでも傾くということだから、よくはない。右が極右化するという側面で、不味い。極右勢力というのは、確かになんとも拙い。右翼も滅ぼすのだから。違いが恐くて場当たり的に右にしちゃったのが極右って場合がほとんど、多い。右翼っていうのは完全に右翼でも1つの正式な立場でありながら、仲間の事も諦めてるのは極右や、極左。いざという時は、プリンシプルも無く、可能性としては切るかも知れないのだ。極端というのは、病気だ。
ガンバロ!!!

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。