覚悟と信

心理療法と文学(純文学)っていうのは読者や、相手を対象とするから、覚悟の質に、生存への意志なのか、タナトスへの滑走なのかと、いう、課題になる点、浮上する。わたしは正直そこのみきわめは、つくし、出来て困ったことは、無い。一般的には、なお、そこから、躓くらしく、それは末期の目の不足、すなわち、現世を現世としてしか見ない時に、メメントモリの不足から、逆転した発想の貧困、欠乏、こうして画一化した大人にからめとられたのを成功とした事に、成る。
おそれから、焦慮して、あっと、いうまに、老成を身につける代わりに、内面の子供は息苦しくなっている。これは、単純に、昨今流行りの無垢なありのままに原点回帰、初心から、戻るというやりかたは、正しい…。先進国なら、なおさら、意識をして、愚かな思春期とかを見捨てないという対応は求められて來る。ひとは賢い時には、すっかり、愚直な時代を忘れている。それは先進国特有の問題となって、あらわれてくる。
日本は規模のわりに先進国なのは自信を持ってよいとして、同時にこういった問題からは直面を免れない。
ふつう、常識から考えて、外見に顕著な特徴は眼に入ったり人相からちょっとの事は分かったり、飛躍したさあ、生きるのか死ぬかと云う悩みからは、開始をしない。そこは理解しないと話に成らなくて。諦めてほしくない。

相互援助そのものは、大切と、思います。有償のことをする余裕を持って、無償の活動を敢えてする系のスタイルを、とってます。 プライスレスに、人生を再始動したい人には情報を提供出来るかなとおもいます。OK??? 企画倒れは充分警戒したいし、格闘技なら階級低め、組織ならNPOは、穴場。