5/11 キャラ元ネタ名付けの是非
世界には2人の''まみみ''がいる。
サメジマ・マミ美(フリクリ)と田中摩美々(アイドルマスターシャイニーカラーズ)である。
この名前凄すぎませんか。まみみ て。まみ じゃない。まみみ て。アルファベットにしたらMMM。そんなの。
ちょっと待てぇ!
大悟「(笑いながら)ま、まみみぃ!?」
ノブ「まみみだ」
大悟「どうなっとん、ここまで来とんか名前は」
ノブ「いやだからもう、まみちゃんじゃないんよ。今は」
大悟・ノブ「まみみ」
大悟「(笑う)」
ノブ「もうそういう時代が来てます。テレビの前の皆さん(笑う)」
こうなりますよ。
実際、現実にまみみという名前の人がいた場合、恐らく9割はフリクリ由来なのではないかと思うくらいには''まみみ''というのは珍しい名前だと思うんですが、そういう、なんらかのキャラクターに由来する名付けって実際どのくらい『有り』なんでしょうか。
例えば、小学校とかで出る『あなたのお名前の意味をお家の人に聞いてきてください』の宿題。あれに
「透というのはな、お父さんが当時ハマっていたアイドルゲームのキャラの名前だ」
と返すのは有り?許されます?許されるなら全然つけたいよな。透って。浅倉透(アイドルマスターシャイニーカラーズ)って本当に美しいものなので……
ここで思うのが、名前ってその子が世界に生まれてはじめて受ける言祝であり付与される記号でもあると同時に、ある種の理想を言語化したものなわけだよなということです。
『優しい人間になってほしい』という意味合いで''優''と名付けられた子供は、その時点で『優しい人間』という理想的なロールに沿って生きることを押し付けられると言ってもいい。(押し付けるという言い方が正しいのかは分かりませんが)祝福とは常に一方通行の愛なのです。
とにかくそういう風に、名付けというのは対象を一方的に理想化する、あるいはその理想に存在を結びつける行為なのかもしれないと考えた時。そこで大切になってくるものはなんなんでしょう。僕は根本的な、理想の有無以外には特に無いのではないのかと思います。
例えば『世界平和を実現するくらい優しい人間であって欲しい』と願われた''優''くんと『近くにいる人に優しくしてほしい』と願われた''優''くんに価値の違いは無いわけです。そこをジャッジしていい人なんていないし。
理想の軽重は必ずしも重要じゃない。理想があることそれ自体が大事。元となる願いが有りさえすれば、それは名付けとして成立し得る。そこに善し悪しは無い。つまり、たとえその願いが『アイドルマスターシャイニーカラーズに出てくる浅倉透さんのように美しい人間になってほしい』でも良いわけです。良いよな?
1:名無しさん2023/05/11
良いよな?
2:名無しさん2023/05/11
>>1 うん、良いと思うよ。
3:名無しさん2023/05/11
>>2 ありがとう。
でも透はまだ通る。ダジャレじゃなくて。シンジも擬態できますね。レイも。病室で「男の子ならシンジ……女の子ならレイ」って名シーンの引用してもワンチャンバレない。問題は前述のまみみとかですよ。
困るよな〜〜〜。「まみみちゃんかぁ。変わったお名前ですね、由来とかあるんですか?」って聞かれた時に「え、あ、フリクリとシャニマスが好きで……」とは言い辛い。でも嘘つくわけにもいかないじゃないですか。そこは。そこに自信持っていかないと子供にも失礼だから。
「尊敬する人の名前から取りました」ならいける?
いけるかな、ちょっとシミュレーションしてみましょう。
「まみみちゃんかぁ。可愛いお名前ですね。由来などお聞きしても?」
「……尊敬する人が、まみみという名前でして」
ちょっと待てぇ!
大悟「ま、まみみぃ!?」
ノブ「(笑う)おらんおらんそんな名前のやつ!」
大悟「尊敬する人言うからなんや偉人の名前かと思ったら」
大悟・ノブ「まみみ」
ノブ「おとぎ話聞きよんかいワシャ」
大悟「(机に突っ伏して笑う)」
いけませんでした。
かわいすぎました。
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