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2024 6/12 チェソチェソがむずむずするのら!


※今日配信された最新話までのチェンソーマンネタバレを含みます



日記です。チェンソーマンすごいことになってきてる。ちんちんスッキリさせるよ、ちんちん斬るよ、ちんちんからなんか出たよ、直近の話全部ちんちんで回ってるじゃん。とんでもない漫画だ。

二部に入ってようやくデンジとまともに恋愛をしようとしてくれる存在が出てきた。今までのデンジって恋愛対象性から条件付きの関心を向けられるか家族としての愛情を向けられるかしかしてこなかったので、デンジ保護者面オタクとしては胸が熱くなる展開だ。二部のアイコンになっているアサとデンジが向き合っている絵も、そういう視点で見るとまた趣深い。

個人的にチェンソーマン二部を“デンジ自立編”みたいな理解で読んでいるので、ここからデンジの精神面がどう変化していくのか非常にワクワクしている。チェンソーマン一部の象徴だったマキマさんが擬似的な母性と近親姦的期待でデンジくんを支配しようとしたのに対し、アサ(ヨル)は真っ向からデンジと向き合い、無我夢中のどデカいキスをしようとしている。しかもそれが降って湧いたような恋心から始まっているのも最高だ。
楽しみだな〜。デンジの幼児性は恋をすることでどう変わるんだろう。「好きなの?オレがっ」っていいセリフすぎるよ。ちいかわぐらい素直じゃん。
もっと色んな顔見せてねデンジ(^ ^)
俺が新しいママとして見守ってあげるからね(^ ^)

チェンソーマンのことってなんだかすごく訳知り顔で語りたくなってしまうのはどうしてだろう。藤本タツキ先生への対抗心なのかな。

タツキ先生へのこの気持ちってみんな持ってるのか?
俺なんか全然創作をやってる人じゃないのに、むしろ役者なんて他人の創作物に乗っかってる立場なのに、タツキ先生の漫画を読むと「面白い!」って感情の裏に心がギュ〜っと締め付けられるような悔しさが生まれるんだけど、これはみんなそうなのか?
悔しい、真似したい、タツキ先生みたいになりたい、そういう気持ち。

俺みたいな漫画作りと無縁の人間でもこうなるんだから、漫画家さんなんかもう凄いだろうな。
いつだったかジャンプ新人賞の審査を担当した松井優征先生が、「藤本タツキ先生の影響を受けたようなヒューマンドラマ系の作品が多くて、そればかりだと見飽きてしまいます」というようなコメントをしていて、ヒエ〜と思った記憶がある。そんなん一番言われたくないじゃん。
「タツキ先生みたいな漫画描くねぇ、憧れてるの?最近多いんだよそういう新人さん」みたいな。そんなん言われたらフリスビーみたいにペンタブ投げてそのまま走り出しちゃうよ。

そんでその勢いのまま河川敷まで行ってさ。漫画家さんなんてあんま走らないから着く頃にはもうヘトヘトになってんの。飲み物買うにしても財布なんか持ってきてないし。八つ当たりみたいにそのへんの石ころ蹴っ飛ばしたり。
もう悔しくてやりきれなくて、川に沈んでく夕陽めがけて叫ぶのさ。「バッキャロー!!俺だってチェンソーマンぐらい描けらぁ〜〜い!!」
描けないんだけどね、画力も発想も何一つ追いついてないんだけど、それでも本当にそうだって自分に言い聞かせながら叫ぶの。バッキャロー、俺だって、俺だってなぁ。
そんなやつの描いた漫画、俺読みたいよ。なあ、原稿に染み込むくらい手に汗握って描いたさぁ、人間の心のひだに入り込むようなヒューマンドラマ。

それを読んで俺は言うわけさ。「これ面白いじゃん!タツキ先生ほどではないけど!」そんでまた河川敷まで走らせるわけ。

でもよぉ、そういうことの繰り返しなんじゃねえか、人生って。
悔しさに悶えながら走って転んで、心と体に小さな傷をいっぱい作りながら、それでもまた走っていく。それが人生、ヒューマンドラマってやつなんじゃねえのかよ。

だからオメェらも、できるかぎり精一杯頑張り抜くんだぜ。
そしたらオメェのちんちん、俺が握ってやっからな。

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